主日礼拝「信仰者の発想~苦しみを喜びに」

10:30より、主日礼拝 が行われました。

説教題
信仰者の発想~苦しみを喜びに
聖書
ピリピ人への手紙1章12~26節
説教者
加藤郁生師
出席者数
71人

聖書: ピリピ人への手紙1章12~26節 (中心聖句は18節) 口語訳

12
さて、兄弟たちよ。わたしの身に起った事が、むしろ福音の前進に役立つようになったことを、あなたがたに知ってもらいたい。
13
すなわち、わたしが獄に捕われているのはキリストのためであることが、兵営全体にもそのほかのすべての人々にも明らかになり、
14
そして兄弟たちのうち多くの者は、わたしの入獄によって主にある確信を得、恐れることなく、ますます勇敢に、神の言を語るようになった。
15
一方では、ねたみや闘争心からキリストを宣べ伝える者がおり、他方では善意からそうする者がいる。
16
後者は、わたしが福音を弁明するために立てられていることを知り、愛の心でキリストを伝え、
17
前者は、わたしの入獄の苦しみに更に患難を加えようと思って、純真な心からではなく、党派心からそうしている。
18
すると、どうなのか。見えからであるにしても、真実からであるにしても、要するに、伝えられているのはキリストなのだから、わたしはそれを喜んでいるし、また喜ぶであろう。
19
なぜなら、あなたがたの祈と、イエス・キリストの霊の助けとによって、この事がついには、わたしの救となることを知っているからである。
20
そこで、わたしが切実な思いで待ち望むことは、わたしが、どんなことがあっても恥じることなく、かえって、いつものように今も、大胆に語ることによって、生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストがあがめられることである。
21
わたしにとっては、生きることはキリストであり、死ぬことは益である。
22
しかし、肉体において生きていることが、わたしにとっては実り多い働きになるのだとすれば、どちらを選んだらよいか、わたしにはわからない。
23
わたしは、これら二つのものの間に板ばさみになっている。わたしの願いを言えば、この世を去ってキリストと共にいることであり、実は、その方がはるかに望ましい。
24
しかし、肉体にとどまっていることは、あなたがたのためには、さらに必要である。
25
こう確信しているので、わたしは生きながらえて、あなたがた一同のところにとどまり、あなたがたの信仰を進ませ、その喜びを得させようと思う。
26
そうなれば、わたしが再びあなたがたのところに行くので、あなたがたはわたしによってキリスト・イエスにある誇を増すことになろう。

礼拝メッセージの要約 「信仰者の発想~苦しみを喜びに」 加藤郁生師

良く知られている言葉に「ピンチがチャンス」というのがありますが、パウロはまさにその言葉を地で行く人でした。 その舞台は、獄舎です。 当時パウロは伝道のゆえに獄に投ぜられ、裁きを待つ身でした。

  1. パウロの現実

    パウロにとって状況は必ずしも楽観できるようなものではありませんでした。 しかもパウロの手紙によると、妬みや党派心から、パウロの苦しみにさらに患難を加えようと働く輩がいたようです。 傷口に塩をぬると言う言葉がありますが、パウロを取り巻く状況は厳しさを増していました。

  2. パウロの受け止め

    しかしパウロはそのことを悲観していたかと言うと、さにあらずです。 パウロはそのことがむしろ福音の前進に役だった、何故ならパウロへの中傷、非難、誹謗? を通して、結果としてキリストが宣べ伝えられることになったとして喜んでいるのです。

  3. 信仰者の真の強さ

    ここに信仰者の強さを見る思いがします。 その内面は決して硬直した強さではなく、柔らかい柔軟性に満ちています。 自分の身に起こった状況を短絡的に捕えるのではなく、柔らかく受け止め、信仰をもって、そこから希望を見いだして行くのです。 パウロはそうした信仰をもって、厳しい患難の状況の中で喜ぶことができました。

  4. わたしたちも…

    神様はわたしたちにも、その信仰を与えてくださるお方です。 今も生きておられる主は、わたしたちがキリストを見上げさえすれば、上よりの力を与え、喜びに満たして主のわざに用いてくださるのです。

    多発性硬化症で召された阿南慈子さんという方がいますが、この方などまさにパウロが示した信仰の模範です。 わたしたちも、この時代に、苦しみや困難の中でも喜ぶ者とさせていただきましょう。

09:30より、教会学校 が行われました。

テーマ
内面の義
みことば
マタイによる福音書5章17~32節
出席者数
10人(生徒のみ集計)

午後より、青年会(歓迎会) が行われました。

19:00より、夕拝 が行われました。

出席者数
4人


主日礼拝「主の卓に備えあり~湖畔のキリスト」

10:30より、主日礼拝 が行われました。

説教題
主の卓に備えあり~湖畔のキリスト
聖書
ヨハネによる福音書21章1~19節
説教者
加藤郁生師
出席者数
69人

聖書: ヨハネによる福音書21章1~19節 (中心聖句は9節) 口語訳

1
そののち、イエスはテベリヤの海べで、ご自身をまた弟子たちにあらわされた。そのあらわされた次第は、こうである。
2
シモン・ペテロが、デドモと呼ばれているトマス、ガリラヤのカナのナタナエル、ゼベダイの子らや、ほかのふたりの弟子たちと一緒にいた時のことである。
3
シモン・ペテロは彼らに「わたしは漁に行くのだ」と言うと、彼らは「わたしたちも一緒に行こう」と言った。彼らは出て行って舟に乗った。しかし、その夜はなんの獲物もなかった。
4
夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。しかし弟子たちはそれがイエスだとは知らなかった。
5
イエスは彼らに言われた、「子たちよ、何か食べるものがあるか」。彼らは「ありません」と答えた。
6
すると、イエスは彼らに言われた、「舟の右の方に網をおろして見なさい。そうすれば、何かとれるだろう」。彼らは網をおろすと、魚が多くとれたので、それを引き上げることができなかった。
7
イエスの愛しておられた弟子が、ペテロに「あれは主だ」と言った。シモン・ペテロは主であると聞いて、裸になっていたため、上着をまとって海にとびこんだ。
8
しかし、ほかの弟子たちは舟に乗ったまま、魚のはいっている網を引きながら帰って行った。陸からはあまり遠くない五十間ほどの所にいたからである。
9
彼らが陸に上って見ると、炭火がおこしてあって、その上に魚がのせてあり、またそこにパンがあった。
10
イエスは彼らに言われた、「今とった魚を少し持ってきなさい」。
11
シモン・ペテロが行って、網を陸へ引き上げると、百五十三びきの大きな魚でいっぱいになっていた。そんなに多かったが、網はさけないでいた。
12
イエスは彼らに言われた、「さあ、朝の食事をしなさい」。弟子たちは、主であることがわかっていたので、だれも「あなたはどなたですか」と進んで尋ねる者がなかった。
13
イエスはそこにきて、パンをとり彼らに与え、また魚も同じようにされた。
14
イエスが死人の中からよみがえったのち、弟子たちにあらわれたのは、これで既に三度目である。
15
彼らが食事をすませると、イエスはシモン・ペテロに言われた、「ヨハネの子シモンよ、あなたはこの人たちが愛する以上に、わたしを愛するか」。ペテロは言った、「主よ、そうです。わたしがあなたを愛することは、あなたがご存じです」。イエスは彼に「わたしの小羊を養いなさい」と言われた。
16
またもう一度彼に言われた、「ヨハネの子シモンよ、わたしを愛するか」。彼はイエスに言った、「主よ、そうです。わたしがあなたを愛することは、あなたがご存じです」。イエスは彼に言われた、「わたしの羊を飼いなさい」。
17
イエスは三度目に言われた、「ヨハネの子シモンよ、わたしを愛するか」。ペテロは「わたしを愛するか」とイエスが三度も言われたので、心をいためてイエスに言った、「主よ、あなたはすべてをご存じです。わたしがあなたを愛していることは、おわかりになっています」。イエスは彼に言われた、「わたしの羊を養いなさい。
18
よくよくあなたに言っておく。あなたが若かった時には、自分で帯をしめて、思いのままに歩きまわっていた。しかし年をとってからは、自分の手をのばすことになろう。そして、ほかの人があなたに帯を結びつけ、行きたくない所へ連れて行くであろう」。
19
これは、ペテロがどんな死に方で、神の栄光をあらわすかを示すために、お話しになったのである。こう話してから、「わたしに従ってきなさい」と言われた。

礼拝メッセージの要約 「主の卓に備えあり~湖畔のキリスト」 加藤郁生師

聖書の中に、アドナイ・エレ「主の山に備えあり」というみ言葉があります。 創世記においてアブラハムがイサクを供えようとした時に、神様がイサクの身代わりとして用意してくださった雄羊を呼んだ言葉ですが、 聖書を見ますと主は徹頭徹尾アドナイ・エレたるお方であることが分かります。

そのことは復活の主にあっても例外ではありません。 わたしたちは復活の主のアドナイ・エレたるお姿を見ることができます。

  1. 弟子たちの徒労

    主が復活して後、ガリラヤに帰った弟子たちですが、何をするあてもなく、流れに任せて漁をしました。 しかしその結果は残念なものでした。 「その夜はなんの獲物もなかった」と、彼らの労苦は徒労に終わりました。 人間が自分の力にたよって働く時、えてしてこのような結果になることが少なくありません。

  2. 復活の主の声

    その時、遠くの岸からの声。「舟の右の方に網をおろしてみなさい」。 結果は、恐ろしいほどの大漁です。 見れば、誰かが岸に立っておられるではありませんか。 「あれは主だ」との声に従ってすぐに上着を着てペテロが飛び込み、他の弟子たちも舟で後に続くのでした。

  3. 主の卓に備えあり

    岸に上がった弟子たちに用意されていたものは、暖かい炭火、魚、パン、そこに弟子たちの魚も加えられました。 弟子たちが何も取れず疲れはてていた間に、復活の主はこれらのものを、弟子たちを迎えるためにせっせ、せっせと備えておられたのでしょう。 まさに主の卓に備えあり。それは一方的な神様の愛のみわざではありませんか。

    主が先回りして備えてくださる。 十字架の贖いの恵み、聖霊によるきよめの恵みもすべてそうです。 わたしたちはこの主に信頼して、自分が足りない、駄目だということに失望落胆しないで、 主を見上げて、希望を持って歩んでまいりましょう。

09:30より、教会学校 が行われました。

テーマ
地の塩 世の光
みことば
マタイによる福音書5章13~16節
出席者数
11人(生徒のみ集計)

午後より、婦人会(春のレクリエーション) が行われました。

19:00より、夕拝 が行われました。

出席者数
5人


主日礼拝「復活の信仰に生きる」

10:30より、主日礼拝 が行われました。

説教題
復活の信仰に生きる
聖書
コリント人への第一の手紙15章12~28節
説教者
加藤郁生師
出席者数
87人

聖書: コリント人への第一の手紙15章12~28節 (中心聖句は20節) 口語訳

12
さて、キリストは死人の中からよみがえったのだと宣べ伝えられているのに、あなたがたの中のある者が、死人の復活などはないと言っているのは、どうしたことか。
13
もし死人の復活がないならば、キリストもよみがえらなかったであろう。
14
もしキリストがよみがえらなかったとしたら、わたしたちの宣教はむなしく、あなたがたの信仰もまたむなしい。
15
すると、わたしたちは神にそむく偽証人にさえなるわけだ。なぜなら、万一死人がよみがえらないとしたら、わたしたちは神が実際よみがえらせなかったはずのキリストを、よみがえらせたと言って、神に反するあかしを立てたことになるからである。
16
もし死人がよみがえらないなら、キリストもよみがえらなかったであろう。
17
もしキリストがよみがえらなかったとすれば、あなたがたの信仰は空虚なものとなり、あなたがたは、いまなお罪の中にいることになろう。
18
そうだとすると、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったのである。
19
もしわたしたちが、この世の生活でキリストにあって単なる望みをいだいているだけだとすれば、わたしたちは、すべての人の中で最もあわれむべき存在となる。
20
しかし事実、キリストは眠っている者の初穂として、死人の中からよみがえったのである。
21
それは、死がひとりの人によってきたのだから、死人の復活もまた、ひとりの人によってこなければならない。
22
アダムにあってすべての人が死んでいるのと同じように、キリストにあってすべての人が生かされるのである。
23
ただ、各自はそれぞれの順序に従わねばならない。最初はキリスト、次に、主の来臨に際してキリストに属する者たち、
24
それから終末となって、その時に、キリストはすべての君たち、すべての権威と権力とを打ち滅ぼして、国を父なる神に渡されるのである。
25
なぜなら、キリストはあらゆる敵をその足もとに置く時までは、支配を続けることになっているからである。
26
最後の敵として滅ぼされるのが、死である。
27
「神は万物を彼の足もとに従わせた」からである。ところが、万物を従わせたと言われる時、万物を従わせたかたがそれに含まれていないことは、明らかである。
28
そして、万物が神に従う時には、御子自身もまた、万物を従わせたそのかたに従うであろう。それは、神がすべての者にあって、すべてとなられるためである。

礼拝メッセージの要約 「復活の信仰に生きる」 加藤郁生師

わたしたちが礼拝をする時、使徒信条に表わされるような共通の信仰を分かち合うわけですが、その一つが復活の信仰です。 わたしたちにとっては当たり前のようなこの出来事ですが、この手紙が書かれた当時のある人々には ? をもって語られていたようです。

それに対してパウロは…

  1. もし死人の復活がないならば

    パウロは、復活こそがクリスチャンの宣教の核であることを心得ていました。 ですからここでは「もし、もし、もし」を使って、復活のない信仰、復活のない宣教がいかにむなしいことであるかを論じました。 実際確かに、死人の復活などなく、復活しなかったキリストに望みをかけているだけだとしたら、わたしたちは何とあわれむべき存在でしょう。

  2. しかし、事実、キリストは眠っている者の初穂として

    しかし、パウロは力強く宣言します。 「キリストは眠っている者の初穂として、死人の中からよみがえったのである」

    ここで初穂とあるのは重要です。 初穂というからには、後に続いて穂が成ります。 しかもその穂とはわたしたち信仰者なのです。 このことの事実がわたしたちを励まします。 わたしたちは、あわれむべき者どころか、光栄ある者なのです。

  3. 朽ちるものでまかれ、朽ちないものでよみがえり

    復活にあずかるわたしたちはどうなるのか? これが当時の人々の疑問でしたが、パウロは種まきとその結果に例えて復活を説明しています。 復活の連続性と非連続性です。 わたしたちは、死んでよみがえりますが、それは以前の体とは明らかに違います。 その体は、朽ちることのない、強い、栄光に満ちた霊の体なのです。

    こんな素晴らしいことが起こる! すべては眠っている者の初穂としてよみがえられたキリストからです。 この主を心からほめたたえましょう。 ハレルヤ!

09:30より、教会学校 が行われました。

テーマ
地の塩 世の光
みことば
マタイによる福音書5章13~16節
出席者数
10人(生徒のみ集計)

午後より、墓前祈祷(献花)、CS教師会 が行われました。

19:00より、夕拝 が行われました。

出席者数
5人


教会学校イースター昼食会

4月8日(日)午後に、教会学校イースター昼食会が行われました。

数年ぶりに鴨川河畔での昼食となりました。以前は紫明通り辺りでしたが、今回は今出川通りのやや下流辺りで行いました。

とても良い天気で、昼食を共にした後は、ボールなどで遊んだり、卵探しをすることが出来ました。

総勢27名(生徒10名、青年7名、スタッフなど10名)の参加で、ともにイースターのお祝いが出来、感謝でした。

写真1 周りに桜の木がほとんど無い代わりに、広いスペースでした
周りに桜の木がほとんど無い代わりに、広いスペースでした
写真2 賛美もたくさん歌えました
賛美もたくさん歌えました


イースター礼拝 青年会特別賛美

4/8(日)のイースター礼拝では、青年会が特別賛美を行いました。

  • 「愛の絆」作詞作曲: 長沢崇史
  • 御名を掲げて」作詞作曲: Rick Founds、訳詞: ジョン山崎

十字架でなされた犠牲と私たちへの愛を、青年会が素晴らしく歌い上げました。

録音をしていますので、ぜひお聞きください。約9分10秒です。 (ご自身のアクセス環境に応じて、ファイル形式をお選びください)

MP3形式(.mp3) 18MB WMA形式(.wma) 18MB AAC形式(.aac) 11MB M4A形式(.m4a) 11MB OGG形式(.ogg) 17MB
写真1 総勢8名での賛美。「カホン」という箱形の打楽器も用いています
総勢8名での賛美。「カホン」という箱形の打楽器も用いています
写真2 バイオリンは加藤牧師、ピアノは加藤順子師が演奏しました
バイオリンは加藤牧師、ピアノは加藤順子師が演奏しました