毎週日曜日、以下の礼拝を行っています。ぜひお越しください。
09:30~ 教会学校 乳幼児~高校生、ぜひご家族とご一緒に
10:30~ 主日礼拝 賛美、聖書のメッセージなど
19:00~ 夕拝 朝の礼拝には時間が合わない方のために
集会の詳しいご案内 | 教会へのアクセス

2005年07月31日

主日礼拝「神を慕いあえぐ信仰者」

10:15より、主日礼拝 が行われました。

聖書
詩篇42篇
説教題
神を慕いあえぐ信仰者
説教者
加藤郁生師
出席者数
69人

聖書: 詩篇42章1-11節 (中心聖句は1節) 口語訳

1
神よ、しかが谷川を慕いあえぐように、わが魂もあなたを慕いあえぐ。
2
わが魂はかわいているように神を慕い、いける神を慕う。いつ、わたしは行って神のみ顔を見ることができるだろうか。
3
人々がひねもすわたしにむかって「おまえの神はどこにいるのか」と言いつづける間はわたしの涙は昼も夜もわたしの食物であった。
4
わたしはかつて祭を守る多くの人と共に群れをなして行き、喜びと感謝の歌をもって彼らを神の家に導いた。今これらの事を思い起して、わが魂をそそぎ出すのである。
5
わが魂よ、何ゆえうなだれるのか。何ゆえわたしのうちに思いみだれるのか。神を待ち望め。わたしはなおわが助け、わが神なる主をほめたたえるであろう。
6
わが魂はわたしのうちにうなだれる。それで、わたしはヨルダンの地から、またヘルモンから、ミザルの山からあなたを思い起す。
7
あなたの大滝の響きによって淵々呼びこたえ、あなたの波、あなたの大波はことごとくわたしの上を越えていった。
8
昼には、主はそのいつくしみをほどこし、夜には、その歌すなわちわがいのちの神にささげる祈がわたしと共にある。
9
わたしはわが岩なる神に言う、「何ゆえわたしをお忘れになりましたか。何ゆえわたしは敵のしえたげによって悲しみ歩くのですか」と。
10
わたしのあだは骨も砕けるばかりにわたしをののしり、ひねもすわたしにむかって「おまえの神はどこにいるのか」と言う。
11
わが魂よ、何ゆえうなだれるのか。何ゆえわたしのうちに思いみだれるのか。神を待ち望め。わたしはなおわが助け、わが神なる主をほめたたえるであろう。

礼拝メッセージの要約 「神を慕いあえぐ信仰者」 加藤郁生師

神よ、しかが谷川を慕いあえぐように、 わが魂もあなたを慕いあえぐ。

わたしたちの心を慰め励ます御言葉ですが、 同時に切実なものでもあります。 それは、 生い茂る緑の中で満々とたたえられた川の水を求めて飲むというのではなくて、 灼熱のようなな日照りの中で 水の無いカラカラに渇いたイスラエルの荒野をさまよい歩く中で、 必死に谷川の水を慕い求める鹿の姿をあらわしています。 詩篇の作者はこの鹿のように神を慕い求めることを告白しているのです。

もとより詩篇の作者にはのっぴきならない事情がありました。 彼はおそらくイスラエルの神殿を司る祭司でしたが、 バビロニヤによって国を滅ぼされ異国に連れ去られてしまいました。 ですから異邦人はひねもす作者に向って 「おまえの神はどこにいるのか」と嘲笑し続け、 作者は自分が神殿で奉仕をすることが出来た時のことを思い出して 涙を流しうなだれるのでした。

そのような作者にとっての唯一の希望は誰でしょうか? 作者はうたいます。

何ゆえうなだれるのか。神を待ち望め。

作者は絶望の中でなお神を待ち望むのです。 鹿が涸れた谷川を慕いあえぐように、 絶望の中で作者は神を待ち望みます。 これは詩篇の中であらわされる信仰者の姿ですが、 わたしたちもこの作者の信仰に習いたいと思います。

試練や困難や絶望の中、 なお神を神に希望を置いて歩む者とさせていただきましょう。

Read more...

Posted in  | no comments | no trackbacks

2005年07月24日

主日礼拝「わきあがる命の水」

10:15より、主日礼拝 が行われました。

聖書
ヨハネによる福音書4章1-15節
説教題
わきあがる命の水
説教者
加藤郁生師
出席者数
63人

聖書: ヨハネによる福音書4章1-15節 (中心聖句は14節) 口語訳

1
イエスが、ヨハネよりも多く弟子をつくり、またバプテスマを授けておられるということを、パリサイ人たちが聞き、それを主が知られたとき、
2
(しかし、イエスみずからが、バプテスマをお授けになったのではなく、その弟子たちであった)
3
ユダヤを去って、またガリラヤへ行かれた。
4
しかし、イエスはサマリヤを通過しなければならなかった。
5
そこで、イエスはサマリヤのスカルという町においでになった。この町は、ヤコブがその子ヨセフに与えた土地の近くにあったが、
6
そこにヤコブの井戸があった。イエスは旅の疲れを覚えて、そのまま、この井戸のそばにすわっておられた。時は昼の十二時ごろであった。
7
ひとりのサマリヤの女が水をくみにきたので、イエスはこの女に、「水を飲ませて下さい」と言われた。
8
弟子たちは食物を買いに町に行っていたのである。
9
すると、サマリヤの女はイエスに言った、「あなたはユダヤ人でありながら、どうしてサマリヤの女のわたしに、飲ませてくれとおっしゃるのですか」。これは、ユダヤ人はサマリヤ人と交際していなかったからである。
10
イエスは答えて言われた、「もしあなたが神の賜物のことを知り、また、『水を飲ませてくれ』と言った者が、だれであるか知っていたならば、あなたの方から願い出て、その人から生ける水をもらったことであろう」。
11
女はイエスに言った、「主よ、あなたは、くむ物をお持ちにならず、その上、井戸は深いのです。その生ける水を、どこから手に入れるのですか。
12
あなたは、この井戸を下さったわたしたちの父ヤコブよりも、偉いかたなのですか。ヤコブ自身も飲み、その子らも、その家畜も、この井戸から飲んだのですが」。
13
イエスは女に答えて言われた、「この水を飲む者はだれでも、またかわくであろう。
14
しかし、わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう」。
15
女はイエスに言った、「主よ、わたしがかわくことがなく、また、ここにくみにこなくてもよいように、その水をわたしに下さい」。

礼拝メッセージの要約 「わきあがる命の水」 加藤郁生師

この水を飲む者はだれでも、またかわくであろう。 しかし、わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、 かわくことのないばかりか、わたしが与える水は、 その人のうちで泉となり、永遠に至る水が、わきあがるであろう。

このようにイエス様はサマリヤの女に命の水を飲むことを促しました。 この命の水は、どのようなものでしたでしょうか。

  1. イエス様ご自身が与えて下さる水でした。

    わたしが与える水を飲む者は

    わたしたち人間の魂をうるおす命の水を与えて下さるお方は、 イエス様ご自身です。 わたしたちの魂が霊的な渇きを覚える時、 わたしたちが行くべき所はイエス様のところです。

    だれでもかわく者は、わたしのところに来て飲むがよい。

    そのようにイエス様はわたしたちを満たしてくださるのです。

  2. 尽きることのない泉でした。

    その人のうちで泉となり

    イエス様がわたしたちに与えてくださる水は、 決してつきることがありません。 泉のようにるいるいとわたしたちの内を満たします。 その無尽蔵の恵みをもって、 わたしたちにキリストの愛と喜びと平安と力を満たします。

  3. 永遠の命に至る水でした。

    永遠の命に至る水が、わきあがるであろう。

    キリスト教の救いは永遠の命に至る救いです。 西洋のことわざの中に、「死を思え」と言うのがありますが、 わたしたちクリスチャンは死の先にある永遠の命を覚えたいと思うのです。 イエス様はこの命を惜しみなく満たしてくださるお方なのです。

Read more...

Posted in  | no comments | no trackbacks