毎週日曜日、以下の礼拝を行っています。ぜひお越しください。
09:30~ 教会学校 乳幼児~高校生、ぜひご家族とご一緒に
10:30~ 主日礼拝 賛美、聖書のメッセージなど
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2006年07月30日

主日礼拝「キリスト者の配慮」

10:30より、主日礼拝 が行われました。

聖書
コリント人への第一の手紙8章1-13節
説教題
キリスト者の配慮
説教者
加藤郁生師
出席者数
64人

聖書: コリント人への第一の手紙8章1-13節 (中心聖句は9節) 口語訳

1
偶像への供え物について答えると、「わたしたちはみな知識を持っている」ことは、わかっている。しかし、知識は人を誇らせ、愛は人の徳を高める。
2
もし人が、自分は何か知っていると思うなら、その人は、知らなければならないほどの事すら、まだ知っていない。
3
しかし、人が神を愛するなら、その人は神に知られているのである。
4
さて、偶像への供え物を食べることについては、わたしたちは、偶像なるものは実際は世に存在しないこと、また、唯一の神のほかには神がないことを、知っている。
5
というのは、たとい神々といわれるものが、あるいは天に、あるいは地にあるとしても、そして、多くの神、多くの主があるようではあるが、
6
わたしたちには、父なる唯一の神のみがいますのである。万物はこの神から出て、わたしたちもこの神に帰する。また、唯一の主イエス・キリストのみがいますのである。万物はこの主により、わたしたちもこの主によっている。
7
しかし、この知識をすべての人が持っているのではない。ある人々は、偶像についての、これまでの習慣上、偶像への供え物として、それを食べるが、彼らの良心が、弱いために汚されるのである。
8
食物は、わたしたちを神に導くものではない。食べなくても損はないし、食べても益にはならない。
9
しかし、あなたがたのこの自由が、弱い者たちのつまずきにならないように、気をつけなさい。
10
なぜなら、ある人が、知識のあるあなたが偶像の宮で食事をしているのを見た場合、その人の良心が弱いため、それに「教育されて」、偶像への供え物を食べるようにならないだろうか。
11
するとその弱い人は、あなたの知識によって滅びることになる。この弱い兄弟のためにも、キリストは死なれたのである。
12
このようにあなたがたが、兄弟たちに対して罪を犯し、その弱い良心を痛めるのは、キリストに対して罪を犯すことなのである。
13
だから、もし食物がわたしの兄弟をつまずかせるなら、兄弟をつまずかせないために、わたしは永久に、断じて肉を食べることはしない。

礼拝メッセージの要約 「キリスト者の配慮」 加藤郁生師

コリントの教会に生じた一つの問題は、 偶像に供えられた食物をどうするかということでした。

これに対してパウロは、 キリスト者の配慮と言う観点から彼らを教えさとしました。

偶像は本来存在しないものであり、 キリスト者は偶像から解放され自由にされている。 パウロはこのことを良く知っていました。

しかしだからと言って、 キリスト者が偶像に供えられた食物を思いのままに食べることを良しとしませんでした。 パウロは、知識のある強いクリスチャンの心無い行為が、 弱い信仰の者たちのつまずきになることを良く知っていたからです。

ですからパウロ自身、 「兄弟をつまずかせないために、わたしは永久に、断じて(偶像に奉げられた)肉を食べることはしない」 と決心したのです。

このことは、わたしたちにキリスト者のなすべき配慮について教えられます。 わたしたちの信仰者としての行為は、他の信仰者に大きな影響を与えます。 わたしたちの行為が人をつまずかせることもあれば、人を励ますこともあります。

ですからわたしたちは、パウロ先生のように、深い愛の配慮をもって互い交わり、 互いを高めあってキリストに喜ばれる者とさせていただきたいのです。

神さまは、わたしたちが自分を誇る知識ではなく、 人の徳を高める愛を与えてくださっているからです。

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2006年07月23日

主日礼拝「純粋で真実なパンをもって」

10:30より、主日礼拝 が行われました。

聖書
コリント人への第一の手紙5章1-13節
説教題
純粋で真実なパンをもって
説教者
加藤郁生師
出席者数
70人

聖書: コリント人への第一の手紙5章1-13節 (中心聖句は8節) 口語訳

1
現に聞くところによると、あなたがたの間に不品行な者があり、しかもその不品行は、異邦人の間にもないほどのもので、ある人がその父の妻と一緒に住んでいるということである。
2
それだのに、なお、あなたがたは高ぶっている。むしろ、そんな行いをしている者が、あなたがたの中から除かれねばならないことを思って、悲しむべきではないか。
3
しかし、わたし自身としては、からだは離れていても、霊では一緒にいて、その場にいる者のように、そんな行いをした者を、すでにさばいてしまっている。
4
すなわち、主イエスの名によって、あなたがたもわたしの霊も共に、わたしたちの主イエスの権威のもとに集まって、
5
彼の肉が滅ぼされても、その霊が主のさばきの日に救われるように、彼をサタンに引き渡してしまったのである。
6
あなたがたが誇っているのは、よろしくない。あなたがたは、少しのパン種が粉のかたまり全体をふくらませることを、知らないのか。
7
新しい粉のかたまりになるために、古いパン種を取り除きなさい。あなたがたは、事実パン種のない者なのだから。わたしたちの過越の小羊であるキリストは、すでにほふられたのだ。
8
ゆえに、わたしたちは、古いパン種や、また悪意と邪悪とのパン種を用いずに、パン種のはいっていない純粋で真実なパンをもって、祭をしようではないか。
9
わたしは前の手紙で、不品行な者たちと交際してはいけないと書いたが、
10
それは、この世の不品行な者、貪欲な者、略奪をする者、偶像礼拝をする者などと全然交際してはいけないと、言ったのではない。もしそうだとしたら、あなたがたはこの世から出て行かねばならないことになる。
11
しかし、わたしが実際に書いたのは、兄弟と呼ばれる人で、不品行な者、貪欲な者、偶像礼拝をする者、人をそしる者、酒に酔う者、略奪をする者があれば、そんな人と交際をしてはいけない、食事を共にしてもいけない、ということであった。
12
外の人たちをさばくのは、わたしのすることであろうか。あなたがたのさばくべき者は、内の人たちではないか。外の人たちは、神がさばくのである。
13
その悪人を、あなたがたの中から除いてしまいなさい。

礼拝メッセージの要約 「純粋で真実なパンをもって」 加藤郁生師

コリントの教会の数ある問題の中に、不品行の問題があります。 具体的には、ある人がその父の妻と一緒に生活しながら、 なお高ぶっている(教会の中でも発言権を有している?)ということがありました。

パウロ先生にとってそれは、決してなおざりにできない問題でした。 不品行をする者は教会において古いパン種です。 少しでもそのままにしてしまいますと、 すぐに粉のかたまり全体をふくらませてしまいます。 悪しき種はキリストの体たる教会を損ない、わたしたちの信仰を失わせるのです。 それゆえにパウロはここで、明白に古いパン種を取り除くことを指導するのです。

もちろんこのことは、教会がこの世との交わりを拒むということではありません。 教会はいつでも福音をたずさえ、外なる人を受け入れます。 しかし、教会の内においては、聖徒としてのきよさを失うことがないように、 絶えず不品行の誘惑をしりぞけて歩まなければならないのです。

今この終末の世にあって、人々の心は一層暗くされ、不品行が横行しています。 しかしそれであるからこそ、 地の塩、世の光としての使命にあずかっているわたしたちは、 純粋で真実なパン種をもって歩むものとさせていただこうでありませんか。

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2006年07月16日

主日礼拝「信仰者の三つの自覚」

10:30より、主日礼拝 が行われました。

聖書
コリント人への第一の手紙3章1-23節
説教題
信仰者の三つの自覚
説教者
加藤郁生師
出席者数
66人

聖書: コリント人への第一の手紙3章1-23節 (中心聖句は21-23節) 口語訳

1
兄弟たちよ。わたしはあなたがたには、霊の人に対するように話すことができず、むしろ、肉に属する者、すなわち、キリストにある幼な子に話すように話した。
2
あなたがたに乳を飲ませて、堅い食物は与えなかった。食べる力が、まだあなたがたになかったからである。今になってもその力がない。
3
あなたがたはまだ、肉の人だからである。あなたがたの間に、ねたみや争いがあるのは、あなたがたが肉の人であって、普通の人間のように歩いているためではないか。
4
すなわち、ある人は「わたしはパウロに」と言い、ほかの人は「わたしはアポロに」と言っているようでは、あなたがたは普通の人間ではないか。
5
アポロは、いったい、何者か。また、パウロは何者か。あなたがたを信仰に導いた人にすぎない。しかもそれぞれ、主から与えられた分に応じて仕えているのである。
6
わたしは植え、アポロは水をそそいだ。しかし成長させて下さるのは、神である。
7
だから、植える者も水をそそぐ者も、ともに取るに足りない。大事なのは、成長させて下さる神のみである。
8
植える者と水をそそぐ者とは一つであって、それぞれその働きに応じて報酬を得るであろう。
9
わたしたちは神の同労者である。あなたがたは神の畑であり、神の建物である。
10
神から賜わった恵みによって、わたしは熟練した建築師のように、土台をすえた。そして他の人がその上に家を建てるのである。しかし、どういうふうに建てるか、それぞれ気をつけるがよい。
11
なぜなら、すでにすえられている土台以外のものをすえることは、だれにもできない。そして、この土台はイエス・キリストである。
12
この土台の上に、だれかが金、銀、宝石、木、草、または、わらを用いて建てるならば、
13
それぞれの仕事は、はっきりとわかってくる。すなわち、かの日は火の中に現れて、それを明らかにし、またその火は、それぞれの仕事がどんなものであるかを、ためすであろう。
14
もしある人の建てた仕事がそのまま残れば、その人は報酬を受けるが、
15
その仕事が焼けてしまえば、損失を被るであろう。しかし彼自身は、火の中をくぐってきた者のようにではあるが、救われるであろう。
16
あなたがたは神の宮であって、神の御霊が自分のうちに宿っていることを知らないのか。
17
もし人が、神の宮を破壊するなら、神はその人を滅ぼすであろう。なぜなら、神の宮は聖なるものであり、そして、あなたがたはその宮なのだからである。
18
だれも自分を欺いてはならない。もしあなたがたのうちに、自分がこの世の知者だと思う人がいるなら、その人は知者になるために愚かになるがよい。
19
なぜなら、この世の知恵は、神の前では愚かなものだからである。「神は、知者たちをその悪知恵によって捕える」と書いてあり、
20
更にまた、「主は、知者たちの論議のむなしいことをご存じである」と書いてある。
21
だから、だれも人間を誇ってはいけない。すべては、あなたがたのものなのである。
22
パウロも、アポロも、ケパも、世界も、生も、死も、現在のものも、将来のものも、ことごとく、あなたがたのものである。
23
そして、あなたがたはキリストのもの、キリストは神のものである。

礼拝メッセージの要約 「信仰者の三つの自覚」 加藤郁生師

パウロは、 コリントの教会が堅く結び合うために三つの教会の姿(ピクチャー)を示しました。

  1. 生ける草木としての教会

    パウロは、コリントの教会を草木に例えました。 種を植えるのはパウロでした。 水を注いだのはアポロでした。 しかし成長させてくださるのは神さまでした。

    大事なのは、教会に命と成長を与える神さまです。 わたしたちが主を仰ぎつつ、互いに分に応じて働く時に、 神さまは豊かな祝福を与えて下さるのです。

  2. 建築物としての教会

    パウロは、教会を建物に例えました。 パウロが土台を据えました。 そしてそれぞれが様々な材料をもって教会を建て上げます。 しかし教会の土台はキリストでなければなりません。

    キリストをしっかりわたしたちの信仰の土台として教会を建て上げるならば、 どんな嵐や風にも、どんな試練や困難や誘惑にも、ゆらぐことはないのです。

  3. 神の宮としての教会

    パウロは、教会を主がお住まい下さる神の宮に例えました。 旧約時代にエルサレムの神殿にお住まい下さった主は、 新約において教会に御臨在くださるのです。

    教会は神の宮ですから、教会を損ない神の宮を破壊することがあっては残念です。 わたしたちの肉の働きによってそういうことにならないように、 そしてキリストを愛するように、 教会を愛して歩むわたしたちとさせていただきましょう。

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2006年07月09日

主日礼拝「パウロの決心」

10:30より、主日礼拝 が行われました。

聖書
コリント人への第一の手紙2章1-5節
説教題
パウロの決心
説教者
加藤郁生師
出席者数
71人

聖書: コリント人への第一の手紙2章1-5節 (中心聖句は2節) 口語訳

1
兄弟たちよ。わたしもまた、あなたがたの所に行ったとき、神のあかしを宣べ伝えるのに、すぐれた言葉や知恵を用いなかった。
2
なぜなら、わたしはイエス・キリスト、しかも十字架につけられたキリスト以外のことは、あなたがたの間では何も知るまいと、決心したからである。
3
わたしがあなたがたの所に行った時には、弱くかつ恐れ、ひどく不安であった。
4
そして、わたしの言葉もわたしの宣教も、巧みな知恵の言葉によらないで、霊と力との証明によったのである。
5
それは、あなたがたの信仰が人の知恵によらないで、神の力によるものとなるためであった。

礼拝メッセージの要約 「パウロの決心」 加藤郁生師

人には人生の中で何度か転換点(ターニング・ポイント)がありますが、 パウロにとってのそれはアテネ伝道でした。

パウロは、福音を宣べ伝えるべくギリシャのアテネに乗り込み、 巧みな知恵をもって、ギリシャ的な論法をもってアテネの人々を救いに導こうと試みました。 しかしその結果は、はかばかしくありませんでした。 彼らはパウロをあざわらい、受け入れませんでした。

アテネを去ってコリントに行きましたが、 その時、「弱くかつ恐れ、ひどく不安」でした。

ですけれども神さまは、パウロを再び立ち上がらせてくださいました。 パウロは、もはは神のあかしを宣べ伝えるのに「すぐれた言葉や知恵を用いる」ことをせずに、 「イエス・キリスト、しかも十字架につけられキリスト以外のこと」を知るまいと、 かたく決心しました。 巧みな言葉によるのではなく、「霊と力による証明」によって宣教に励みました。

その結果、コリントの教会が生まれました。 パウロは、教会が巧みな人間の知恵や言葉によって生み出されたのではく、 十字架のキリストの宣教によるものであることをはっきりと示しました。

十字架のキリストこそ、わたしたちの教会の土台であり、宣教の力の源泉なのです。

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2006年07月02日

主日礼拝「無きに等しい者を」

10:30より、主日礼拝 が行われました。

聖書
コリント人への第一の手紙1章26-31節
説教題
無きに等しい者を
説教者
加藤郁生師
出席者数
63人

聖書: コリント人への第一の手紙1章26-31節 (中心聖句は30節) 口語訳

26
兄弟たちよ。あなたがたが召された時のことを考えてみるがよい。人間的には、知恵のある者が多くはなく、権力のある者も多くはなく、身分の高い者も多くはいない。
27
それだのに神は、知者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選び、
28
有力な者を無力な者にするために、この世で身分の低い者や軽んじられている者、すなわち、無きに等しい者を、あえて選ばれたのである。
29
それは、どんな人間でも、神のみまえに誇ることがないためである。
30
あなたがたがキリスト・イエスにあるのは、神によるのである。キリストは神に立てられて、わたしたちの知恵となり、義と聖とあがないとになられたのである。
31
それは、「誇る者は主を誇れ」と書いてあるとおりである。

礼拝メッセージの要約 「無きに等しい者を」 加藤郁生師

コリントの教会には、奴隷の身分の人々が多くいたと思われます。 彼らは、この世の弱い者であり、身分の低い者であり、 軽んじられている者であり、言わば無きに等しい者でした。 しかし彼らはキリストの救いによって、神の前に等しく神の子とされました。 それは人の力ではなく、神の恵みです。

パウロはこのことをよく思い出すように、 彼らが救われたときのことを考えるようにと戒めました。 信仰の原点に帰るように、これがパウロのコリント人に対するメッセージでした。

信仰の原点に帰ったとき、信仰者が悟りえることは、 「あなたがたがキリスト・イエスにあるのは、神によるのである」という救いの真理です。 自由人であろうと、奴隷であろうと、ギリシャ人であろうとユダヤ人であろうと、 人が救われるのは神によるのです。

このことから当然の帰結として、 わたしたちはクリスチャンの姿勢ということを知ることができます。 それは「誇るものは主を誇れ」とあるように、 クリスチャンはいつも自分を誇るという誘惑に勝利して、 ただ主をあがめ、主を誇る者であれということです。

残念ながらコリントの教会の人々はこのことを忘れ、 自分や自分のグループを誇ることに心奪われました。 しかしわたしたちは聖書の教えにあるように、 わたしたちを愛しわたしたちのために命をすててくださった、 主なるイエス・キリストの神を誇りたいのです。 わたしたちの誇りが主であることを証しする教会として、 心一つに歩んでいきたいのです。

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