10:30より、主日礼拝 が行われました。
- 聖書
- 詩篇1篇
- 説教題
- 栄えある道(2)
- 説教者
- 加藤郁生師
- 出席者数
- 68人
聖書: 詩篇1章1-6節 (中心聖句は1節) 口語訳
- 1
- 悪しき者のはかりごとに歩まず、罪びとの道に立たず、あざける者の座にすわらぬ人はさいわいである。
- 2
- このような人は主のおきてをよろこび、昼も夜もそのおきてを思う。
- 3
- このような人は流れのほとりに植えられた木の時が来ると実を結び、その葉もしぼまないように、そのなすところは皆栄える。
- 4
- 悪しき者はそうでない、風の吹き去るもみがらのようだ。
- 5
- それゆえ、悪しき者はさばきに耐えない。罪びとは正しい者のつどいに立つことができない。
- 6
- 主は正しい者の道を知られる。しかし、悪しき者の道は滅びる。
礼拝メッセージの要約
「栄えある道(2)」
加藤郁生師
詩篇1篇1節
あざける者の座にすわらぬ者の座にすわらぬ人はさいわいである
のみことばに、新約の光をあてさせていただきたいと思います。
新約の光と言いますと、これはイエス・キリスト様ご自身です。
具体的に言いますと、イエス様こそが、
「あざけるものの座にすわらぬ人」としての模範を示してくださったのです。
イエス様の弟子ペテロは、イエス様のお姿を手紙にとどめました。
キリストは罪を犯さず、その口には偽りがなかった。
ののしられても、ののしりかえさず、苦しめられても、おびやかすことをせず、
正しいさばきをするかたに、いっさいをゆだねておられた。
ペテロの目に映ったキリストは、どんなにののしられても、
ののしりかえすことをしないお姿でした。
キリストはけっして「あざけるものの座」にすわることをしませんでした。
正しいさばきをしてなされる父にすべてをゆだねて、十字架のご苦難を全とうされました。
福音書を見ますと、群衆や兵士がイエス様の顔につばをかけ、
顔を打ち、嘲笑した様子がまざまざと描かれております。
イエス様がどれほどいじめぬかれたか、それを思うと本当に心が痛みます。
しかし、そのイエス様が十字架にかかって口にしたお言葉は、
父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです。
でした。
キリストは自らを嘲弄し苦しめ、十字架につける者のために、
なおとりなしの祈りを父にささげたのです。
キリストはあざける者の座にすわることなく、
十字架のご苦難を全とうされ神の栄光をお受けになりました。
わたしたちもこのキリストに従って、あざけるものではなく、
ゆるしと愛をもって生きる者とさせていただき、
真に栄えある道を歩むものとさせていただきたいと思います。