毎週日曜日、以下の礼拝を行っています。ぜひお越しください。
09:30~ 教会学校 乳幼児~高校生、ぜひご家族とご一緒に
10:30~ 主日礼拝 賛美、聖書のメッセージなど
19:00~ 夕拝 朝の礼拝には時間が合わない方のために
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2006年11月26日

主日礼拝「栄えある道(2)」

10:30より、主日礼拝 が行われました。

聖書
詩篇1篇
説教題
栄えある道(2)
説教者
加藤郁生師
出席者数
68人

聖書: 詩篇1章1-6節 (中心聖句は1節) 口語訳

1
悪しき者のはかりごとに歩まず、罪びとの道に立たず、あざける者の座にすわらぬ人はさいわいである。
2
このような人は主のおきてをよろこび、昼も夜もそのおきてを思う。
3
このような人は流れのほとりに植えられた木の時が来ると実を結び、その葉もしぼまないように、そのなすところは皆栄える。
4
悪しき者はそうでない、風の吹き去るもみがらのようだ。
5
それゆえ、悪しき者はさばきに耐えない。罪びとは正しい者のつどいに立つことができない。
6
主は正しい者の道を知られる。しかし、悪しき者の道は滅びる。

礼拝メッセージの要約 「栄えある道(2)」 加藤郁生師

詩篇1篇1節

あざける者の座にすわらぬ者の座にすわらぬ人はさいわいである

のみことばに、新約の光をあてさせていただきたいと思います。

新約の光と言いますと、これはイエス・キリスト様ご自身です。 具体的に言いますと、イエス様こそが、 「あざけるものの座にすわらぬ人」としての模範を示してくださったのです。

イエス様の弟子ペテロは、イエス様のお姿を手紙にとどめました。

キリストは罪を犯さず、その口には偽りがなかった。 ののしられても、ののしりかえさず、苦しめられても、おびやかすことをせず、 正しいさばきをするかたに、いっさいをゆだねておられた。

ペテロの目に映ったキリストは、どんなにののしられても、 ののしりかえすことをしないお姿でした。 キリストはけっして「あざけるものの座」にすわることをしませんでした。 正しいさばきをしてなされる父にすべてをゆだねて、十字架のご苦難を全とうされました。

福音書を見ますと、群衆や兵士がイエス様の顔につばをかけ、 顔を打ち、嘲笑した様子がまざまざと描かれております。 イエス様がどれほどいじめぬかれたか、それを思うと本当に心が痛みます。

しかし、そのイエス様が十字架にかかって口にしたお言葉は、

父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです。

でした。

キリストは自らを嘲弄し苦しめ、十字架につける者のために、 なおとりなしの祈りを父にささげたのです。

キリストはあざける者の座にすわることなく、 十字架のご苦難を全とうされ神の栄光をお受けになりました。 わたしたちもこのキリストに従って、あざけるものではなく、 ゆるしと愛をもって生きる者とさせていただき、 真に栄えある道を歩むものとさせていただきたいと思います。

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2006年11月19日

主日礼拝「逆境に輝く信仰」

10:30より、主日礼拝 が行われました。

聖書
ルツ記2章1-16節
説教題
逆境に輝く信仰
説教者
小野淳子師
出席者数
65人

聖書: ルツ記2章1-16節 (中心聖句は12節) 口語訳

1
さてナオミには、夫エリメレクの一族で、非常に裕福なひとりの親戚があって、その名をボアズといった。
2
モアブの女ルツはナオミに言った、「どうぞ、わたしを畑に行かせてください。だれか親切な人が見当るならば、わたしはその方のあとについて落ち穂を拾います」。ナオミが彼女に「娘よ、行きなさい」と言ったので、
3
ルツは行って、刈る人たちのあとに従い、畑で落ち穂を拾ったが、彼女ははからずもエリメレクの一族であるボアズの畑の部分にきた。
4
その時ボアズは、ベツレヘムからきて、刈る者どもに言った、「主があなたがたと共におられますように」。彼らは答えた、「主があなたを祝福されますように」。
5
ボアズは刈る人たちを監督しているしもべに言った、「これはだれの娘ですか」。
6
刈る人たちを監督しているしもべは答えた、「あれはモアブの女で、モアブの地からナオミと一緒に帰ってきたのですが、
7
彼女は『どうぞ、わたしに、刈る人たちのあとについて、束のあいだで、落ち穂を拾い集めさせてください』と言いました。そして彼女は朝早くきて、今まで働いて、少しのあいだも休みませんでした」。
8
ボアズはルツに言った、「娘よ、お聞きなさい。ほかの畑に穂を拾いに行ってはいけません。またここを去ってはなりません。わたしのところで働く女たちを離れないで、ここにいなさい。
9
人々が刈りとっている畑に目をとめて、そのあとについて行きなさい。わたしは若者たちに命じて、あなたのじゃまをしないようにと、言っておいたではありませんか。あなたがかわく時には水がめのところへ行って、若者たちのくんだのを飲みなさい」。
10
彼女は地に伏して拝し、彼に言った、「どうしてあなたは、わたしのような外国人を顧みて、親切にしてくださるのですか」。
11
ボアズは答えて彼女に言った、「あなたの夫が死んでこのかた、あなたがしゅうとめにつくしたこと、また自分の父母と生れた国を離れて、かつて知らなかった民のところにきたことは皆わたしに聞えました。
12
どうぞ、主があなたのしたことに報いられるように。どうぞ、イスラエルの神、主、すなわちあなたがその翼の下に身を寄せようとしてきた主からじゅうぶんの報いを得られるように」。
13
彼女は言った、「わが主よ、まことにありがとうございます。わたしはあなたのはしためのひとりにも及ばないのに、あなたはこんなにわたしを慰め、はしためにねんごろに語られました」。
14
食事の時、ボアズは彼女に言った、「ここへきて、パンを食べ、あなたの食べる物を酢に浸しなさい」。彼女が刈る人々のかたわらにすわったので、ボアズは焼麦を彼女に与えた。彼女は飽きるほど食べて残した。
15
そして彼女がまた穂を拾おうと立ちあがったとき、ボアズは若者たちに命じて言った、「彼女には束の間でも穂を拾わせなさい。とがめてはならない。
16
また彼女のために束からわざと抜き落しておいて拾わせなさい。しかってはならない」。

本日は、関西聖書神学校舎監、青山台希望教会の小野淳子師にメッセージをいただきました。

加藤郁生師は、名古屋教会での主日礼拝とミニコンサートのご奉仕をされました。

09:30より、教会学校 が行われました。

テーマ
エゼキエル
みことば
エゼキエル書37章9節
出席者数
12人(子どものみ集計)

午後より、会堂大掃除、クリスマスの飾りつけ が行われました。

夕拝は休会しました。

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2006年11月12日

主日礼拝「栄えある道」

10:30より、主日礼拝 が行われました。

聖書
詩篇1篇
説教題
栄えある道
説教者
加藤郁生師
出席者数
70人

聖書: 詩篇1章1-6節 (中心聖句は1-2節) 口語訳

1
悪しき者のはかりごとに歩まず、罪びとの道に立たず、あざける者の座にすわらぬ人はさいわいである。
2
このような人は主のおきてをよろこび、昼も夜もそのおきてを思う。
3
このような人は流れのほとりに植えられた木の時が来ると実を結び、その葉もしぼまないように、そのなすところは皆栄える。
4
悪しき者はそうでない、風の吹き去るもみがらのようだ。
5
それゆえ、悪しき者はさばきに耐えない。罪びとは正しい者のつどいに立つことができない。
6
主は正しい者の道を知られる。しかし、悪しき者の道は滅びる。

礼拝メッセージの要約 「栄えある道」 加藤郁生師

詩篇1篇は、知恵の詩篇と言われている類型に属します。 それは、わたしたちが栄えある人生を送るために耳を傾けなければならない 神さまから与えられた知恵の言葉です。

悪しき者のはかりごとに歩まず、罪びとの道に立たず、 あざける者の座にすわらぬ人はさいわいである。

詩篇1篇は、「悪しき者」と「正しい者」を対比させます。 それは決してあいまいではありません。 そして、人が罪に負けて悪しき者となることがないようにと戒めるのです。

中でも詩篇1篇は 「あざける者の座にすわらぬ人」であるべきことをはっきりと示します。 最近、いじめの問題が深刻化していますが、 その一つの理由は、いじめが罪であるということの自覚が少ないことのように思います。 しかし聖書ははっきりとした基準を掲げます。 「あざける者」は、「悪しき者」「罪びと」と同列に並行法で記されています。 ですから、「あざけり」は明確な罪です。 わたしたちはこのことをしっかりと自覚しなければなりません。

イエス様は、十字架のご受難の際に、 多くの人々からつばをかけられ、嘲笑され、罵倒され、からかわれ、撃たれました。 ですけれども、けっして 「ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おびやかすことを」 しませんでした。

あざける者の座につかぬ人はさいわいである。

イエス様はその身をもって、御言葉の真実を示されたのです。

わたしたちも主のみあとにしたがい、 あざける者ではなく、愛と真実に生きる者とさせていただきましょう。

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2006年11月05日

主日礼拝「暁を待つ者として」

10:30より、主日礼拝 が行われました。

聖書
詩篇130篇
説教題
暁を待つ者として
説教者
加藤郁生師
出席者数
66人

聖書: 詩篇130章1-8節 (中心聖句は6節) 口語訳

1
主よ、わたしは深い淵からあなたに呼ばわる。
2
主よ、どうか、わが声を聞き、あなたの耳をわが願いの声に傾けてください。
3
主よ、あなたがもし、もろもろの不義に目をとめられるならば、主よ、だれが立つことができましょうか。
4
しかしあなたには、ゆるしがあるので、人に恐れかしこまれるでしょう。
5
わたしは主を待ち望みます、わが魂は待ち望みます。そのみ言葉によって、わたしは望みをいだきます。
6
わが魂は夜回りが暁を待つにまさり、夜回りが暁を待つにまさって主を待ち望みます。
7
イスラエルよ、主によって望みをいだけ。主には、いつくしみがあり、また豊かなあがないがあるからです。
8
主はイスラエルをそのもろもろの不義からあがなわれます。

礼拝メッセージの要約 「暁を待つ者として」 加藤郁生師

詩篇130篇は、神の前にあるわたしたちの真実の姿を映し出します。 わたしたちは詩篇を通して、以下のことを知ります。

  1. わたしたちは深い淵から神に呼ばわるものです。

    主よ、わたしは深い淵からあなたに呼ばわる

    冒頭、詩篇の作者はこのように言います。 作者は、自分が深い淵にいることを自覚しています。 わたしたちも、深い淵にあることを自覚するものです。

    苦しみ、試練、困難、悲しみ、痛み、孤独、病、虚しさ、不安、罪のゆえの絶望、 それらのものがわたしたちを暗く覆います。 わたしたちが深い淵にある時ほど、 なおさらわたしたちは神に呼ばわらなければならないのです。

  2. わたしたちには主なる神のゆるしがあります。

    しかしあなたには、ゆるしがあるので、人に恐れかしこまれる

    作者は、自分が深い淵にある原因が自身の不義にあり、 そのゆえ神の前に立つことのできない者であることを知っています。

    しかし主は、その不義をゆるすお方です。 わたしたちを深い淵から救うのは、わたしたちの力ではなくこの主の「ゆるし」の恵みです。 新約における十字架の贖いは確かに、 「罪の完全なゆるし」というその喜ばしきおとずれをわたしたちに告げるのです。

  3. わたしたちは主を待ち望みつつ歩みます。

    わが魂は~夜回りが暁を待つにまさって主を待ち望みます

    暁は毎日めぐってきます。 たとえ夜であっても、かならず朝が来ます。 わたしたちは毎朝、神様の照らしてくださる日の光の中で、復活の主と出会い、 主との親密な交わりの内に希望をもって生きる者とされているのです。

    そういう意味で、わたしたちの人生はいつも暁を待つような待ち望みの人生です。 先細りではない、終わりの栄光の時を待ち望みつつ、 日々喜びをもって歩むクリスチャンライフを、この手にいただているのです。

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