- 毎週日曜日、以下の礼拝を行っています。ぜひお越しください。
-
| 09:30~ |
教会学校 |
乳幼児~高校生、ぜひご家族とご一緒に |
| 10:30~ |
主日礼拝 |
賛美、聖書のメッセージなど |
| 19:00~ |
夕拝 |
朝の礼拝には時間が合わない方のために |
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2006年11月05日
主日礼拝「暁を待つ者として」
10:30より、主日礼拝 が行われました。
- 聖書
- 詩篇130篇
- 説教題
- 暁を待つ者として
- 説教者
- 加藤郁生師
- 出席者数
- 66人
聖書: 詩篇130章1-8節 (中心聖句は6節) 口語訳
- 1
- 主よ、わたしは深い淵からあなたに呼ばわる。
- 2
- 主よ、どうか、わが声を聞き、あなたの耳をわが願いの声に傾けてください。
- 3
- 主よ、あなたがもし、もろもろの不義に目をとめられるならば、主よ、だれが立つことができましょうか。
- 4
- しかしあなたには、ゆるしがあるので、人に恐れかしこまれるでしょう。
- 5
- わたしは主を待ち望みます、わが魂は待ち望みます。そのみ言葉によって、わたしは望みをいだきます。
- 6
- わが魂は夜回りが暁を待つにまさり、夜回りが暁を待つにまさって主を待ち望みます。
- 7
- イスラエルよ、主によって望みをいだけ。主には、いつくしみがあり、また豊かなあがないがあるからです。
- 8
- 主はイスラエルをそのもろもろの不義からあがなわれます。
礼拝メッセージの要約
「暁を待つ者として」
加藤郁生師
詩篇130篇は、神の前にあるわたしたちの真実の姿を映し出します。
わたしたちは詩篇を通して、以下のことを知ります。
わたしたちは深い淵から神に呼ばわるものです。
主よ、わたしは深い淵からあなたに呼ばわる
冒頭、詩篇の作者はこのように言います。
作者は、自分が深い淵にいることを自覚しています。
わたしたちも、深い淵にあることを自覚するものです。
苦しみ、試練、困難、悲しみ、痛み、孤独、病、虚しさ、不安、罪のゆえの絶望、
それらのものがわたしたちを暗く覆います。
わたしたちが深い淵にある時ほど、
なおさらわたしたちは神に呼ばわらなければならないのです。
わたしたちには主なる神のゆるしがあります。
しかしあなたには、ゆるしがあるので、人に恐れかしこまれる
作者は、自分が深い淵にある原因が自身の不義にあり、
そのゆえ神の前に立つことのできない者であることを知っています。
しかし主は、その不義をゆるすお方です。
わたしたちを深い淵から救うのは、わたしたちの力ではなくこの主の「ゆるし」の恵みです。
新約における十字架の贖いは確かに、
「罪の完全なゆるし」というその喜ばしきおとずれをわたしたちに告げるのです。
わたしたちは主を待ち望みつつ歩みます。
わが魂は~夜回りが暁を待つにまさって主を待ち望みます
暁は毎日めぐってきます。
たとえ夜であっても、かならず朝が来ます。
わたしたちは毎朝、神様の照らしてくださる日の光の中で、復活の主と出会い、
主との親密な交わりの内に希望をもって生きる者とされているのです。
そういう意味で、わたしたちの人生はいつも暁を待つような待ち望みの人生です。
先細りではない、終わりの栄光の時を待ち望みつつ、
日々喜びをもって歩むクリスチャンライフを、この手にいただているのです。
09:30より、教会学校 が行われました。
- テーマ
- エリヤ
- みことば
- 列王記上18章24節
- 出席者数
- 11人(子どものみ集計)
午後より、クリスマス委員会、教会役員会 が行われました。
19:00より、夕拝 が行われました。
- 出席者数
- 6人
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