10:30より、主日礼拝 が行われました。
- 聖書
- 詩篇1篇
- 説教題
- 栄えある道
- 説教者
- 加藤郁生師
- 出席者数
- 70人
聖書: 詩篇1章1-6節 (中心聖句は1-2節) 口語訳
- 1
- 悪しき者のはかりごとに歩まず、罪びとの道に立たず、あざける者の座にすわらぬ人はさいわいである。
- 2
- このような人は主のおきてをよろこび、昼も夜もそのおきてを思う。
- 3
- このような人は流れのほとりに植えられた木の時が来ると実を結び、その葉もしぼまないように、そのなすところは皆栄える。
- 4
- 悪しき者はそうでない、風の吹き去るもみがらのようだ。
- 5
- それゆえ、悪しき者はさばきに耐えない。罪びとは正しい者のつどいに立つことができない。
- 6
- 主は正しい者の道を知られる。しかし、悪しき者の道は滅びる。
礼拝メッセージの要約
「栄えある道」
加藤郁生師
詩篇1篇は、知恵の詩篇と言われている類型に属します。
それは、わたしたちが栄えある人生を送るために耳を傾けなければならない
神さまから与えられた知恵の言葉です。
悪しき者のはかりごとに歩まず、罪びとの道に立たず、
あざける者の座にすわらぬ人はさいわいである。
詩篇1篇は、「悪しき者」と「正しい者」を対比させます。
それは決してあいまいではありません。
そして、人が罪に負けて悪しき者となることがないようにと戒めるのです。
中でも詩篇1篇は
「あざける者の座にすわらぬ人」であるべきことをはっきりと示します。
最近、いじめの問題が深刻化していますが、
その一つの理由は、いじめが罪であるということの自覚が少ないことのように思います。
しかし聖書ははっきりとした基準を掲げます。
「あざける者」は、「悪しき者」「罪びと」と同列に並行法で記されています。
ですから、「あざけり」は明確な罪です。
わたしたちはこのことをしっかりと自覚しなければなりません。
イエス様は、十字架のご受難の際に、
多くの人々からつばをかけられ、嘲笑され、罵倒され、からかわれ、撃たれました。
ですけれども、けっして
「ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おびやかすことを」
しませんでした。
あざける者の座につかぬ人はさいわいである。
イエス様はその身をもって、御言葉の真実を示されたのです。
わたしたちも主のみあとにしたがい、
あざける者ではなく、愛と真実に生きる者とさせていただきましょう。
09:30より、教会学校 が行われました。
- 出席者数
- 12人(子どものみ集計)
本日の教会学校は、教会学校デー と題して、全分級合同で、
子ども達の証しや、加藤牧師のメッセージを聞きました。
洗礼を受けることについて考える、良い機会になりました。
午後より、CS教師会、青年会(クリスマス準備) が行われました。
19:00より、夕拝 が行われました。
- 出席者数
- 6人