毎週日曜日、以下の礼拝を行っています。ぜひお越しください。
09:30~ 教会学校 乳幼児~高校生、ぜひご家族とご一緒に
10:30~ 主日礼拝 賛美、聖書のメッセージなど
19:00~ 夕拝 朝の礼拝には時間が合わない方のために
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2007年02月25日

主日礼拝「主に言い表わすことの幸い」

10:30より、主日礼拝 が行われました。

聖書
ヨハネによる福音書2章1-11節
説教題
主に言い表わすことの幸い
説教者
加藤郁生師
出席者数
65人

聖書: ヨハネによる福音書2章1-11節 (中心聖句は3節) 口語訳

1
三日目にガリラヤのカナに婚礼があって、イエスの母がそこにいた。
2
イエスも弟子たちも、その婚礼に招かれた。
3
ぶどう酒がなくなったので、母はイエスに言った、「ぶどう酒がなくなってしまいました」。
4
イエスは母に言われた、「婦人よ、あなたは、わたしと、なんの係わりがありますか。わたしの時は、まだきていません」。
5
母は僕たちに言った、「このかたが、あなたがたに言いつけることは、なんでもして下さい」。
6
そこには、ユダヤ人のきよめのならわしに従って、それぞれ四、五斗もはいる石の水がめが、六つ置いてあった。
7
イエスは彼らに「かめに水をいっぱい入れなさい」と言われたので、彼らは口のところまでいっぱいに入れた。
8
そこで彼らに言われた、「さあ、くんで、料理がしらのところに持って行きなさい」。すると、彼らは持って行った。
9
料理がしらは、ぶどう酒になった水をなめてみたが、それがどこからきたのか知らなかったので、(水をくんだ僕たちは知っていた)花婿を呼んで
10
言った、「どんな人でも、初めによいぶどう酒を出して、酔いがまわったころにわるいのを出すものだ。それだのに、あなたはよいぶどう酒を今までとっておかれました」。
11
イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行い、その栄光を現された。そして弟子たちはイエスを信じた。

礼拝メッセージの要約 「主に言い表わすことの幸い」 加藤郁生師

カナの婚礼においてのマリヤの振る舞いは、わたしたちに信仰についての示唆を与えます。

  1. 「ぶどう酒がなくなってしまいました」 カナの婚礼に問題が生じました。 ぶどう酒がなくなってしまいました。 そのことを察したマリヤは、イエス様にぶどう酒が尽きたことを告げました。 現実の問題ををありのままに告げたのです。

    考えて見ますと、わたしたちにもどうしていいか分らないような現実があり、 その前に立ちすくむようなことがあります。 わたしたちはその問題をどこに持って行くでしょうか? マリヤのようにイエス様のところにもって行くべきではないでしょうか?

    マリヤにとって幸いなことは、彼女のそばにイエス様がおられたことでした。 そして今、わたしたちのそばにも、 わたしたちのすべての問題を持って行くことのできるお方、 即ち臨在の主がおられるのです。

  2. 「このかたが、あなたがたに言いつけることは、なんでもして下さい」

    まだその時(主が働かれる時)が来ていないことをイエス様に告げられたマリヤは、 僕たちに、イエス様の言うことに何でも従うように頼みました。 マリヤはイエス様のお言葉の前に退き、最善の備えをもって待ち望みました。

    このことは、わたしたちの信仰のあり方を教えます。 わたしたちも、わたしたちの一切を主に持ち出したならば、 退いて、主の時を待ち望む必要があります。 主は謙遜に、退き、待ち望む者を豊かに祝し、導いてくだるのです。

    カナの婚礼で、かめいっぱいに汲まれた水はぶどう酒に変りました。 わたしたちも主に対する深い信頼をもって、謙遜に、主の時を待ち望むならば、 主はご自身の栄光をあらわしてくださるのです。

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2007年02月18日

主日礼拝「ひとり子を賜ったほどに~神の愛の重さ」

10:30より、主日礼拝 が行われました。

聖書
ヨハネによる福音書3章16節
説教題
ひとり子を賜ったほどに~神の愛の重さ
説教者
加藤郁生師
出席者数
74人

聖書: ヨハネによる福音書3章16節 (中心聖句は16節) 口語訳

16
神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。

礼拝メッセージの要約 「ひとり子を賜ったほどに~神の愛の重さ」 加藤郁生師

神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛してくださった。

このみ言葉には、驚くべき内容が記されています。

  1. 神にはひとり子がおられた

    神は唯一まことの神ですが、同時に父なる神です。 神は子なるキリストを持ち、しかもそのいずれも本質において一つです。 神は愛ですから、愛の対象としての子があり、愛の関係がそこにあるのです。 これは神秘ですが、事実です。

  2. 神はひとり子をこの世に与えられた

    神にとってイエス・キリストは、「わたしの愛する子」でした。 にもかかわらず、神はわたしたちを愛するゆえにそのひとり子をこの世に送り十字架にかけられました。 それは、父が子を失うことを意味しました。 そこに神の痛みがありました。 そして神の痛みは、わたしたちへの神の愛の重さだったのです。

  3. ひとり子を賜った愛によってわたしたちは自らの価値を知った

    「神はそのひとり子を賜ったほどに」というみ言葉は、そのまま、 これほどまでに神から愛されるわたしたちの存在の価値を表わしています。 もちろんわたしたちは罪深く、神に反逆する愚かなものですが、 神はそのわたしたちを決して失われてはならない尊いものとして求めておられるのです。

    わたしたちは安心してこの神様の愛の懐に包まれ、 神様との交わりの内に憩いたいと思うのです。

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2007年02月11日

主日礼拝「幻と夢を見る教会」

10:30より、主日礼拝 が行われました。

聖書
使徒行伝2章17-21節
説教題
幻と夢を見る教会
説教者
加藤郁生師
出席者数
69人

聖書: 使徒行伝2章17-21節 (中心聖句は17節) 口語訳

17
『神がこう仰せになる。終りの時には、わたしの霊をすべての人に注ごう。そして、あなたがたのむすこ娘は預言をし、若者たちは幻を見、老人たちは夢を見るであろう。
18
その時には、わたしの男女の僕たちにもわたしの霊を注ごう。そして彼らも預言をするであろう。
19
また、上では、天に奇跡を見せ、下では、地にしるしを、すなわち、血と火と立ちこめる煙とを、見せるであろう。
20
主の大いなる輝かしい日が来る前に、日はやみに月は血に変るであろう。
21
そのとき、主の名を呼び求める者は、みな救われるであろう』。

礼拝メッセージの要約 「幻と夢を見る教会」 加藤郁生師

今年も新しい年度を迎えます私たちの教会ですが、 そのような中、与えられているのがこのみ言葉です。

終わりの時には、わたしの霊をすべての人に注ごう。 そして、あなたがたのむすこ娘は預言をし、若者たちは幻を見、老人たちは夢を見るであろう。

ですから、わたしたちの教会も幻を夢を見る教会とさせていただきたいと思います。

  1. 宣教の教会として

    復活の主は「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ」と弟子達に命じられました。 わたしたちはこの宣教のヴィジョンをいただいています。 ですから今年も宣教のヴィジョンを掲げて、積極的に福音を宣べ伝えてまいりましょう。

  2. 愛の教会として

    キリストはわたしたちに、新しい戒めを与えてくださいました。 それは神を愛し、互いに愛し合うことです。 わたしたしの教会は、このアガペーの愛に生きる教会とさせていただきたいと思います。 主はわたしたちに、内に聖霊をお注ぎくださり、愛を満たして下さっているからです。

  3. 宿り木の教会として

    キリストは、神の国とは宿り木のようなものであると言われました。 ですからわたしたちに、教会も魂が憩うことのできる宿り木の教会とさせていただきたいのです。 この世で疲れ、重荷負うて苦労してしている魂を招き、 木陰に憩うことができるような教会を目指してまいりたいと思うのです。

主はわたしたちにこのヴィジョンを与えてるばかりではなく、 「一緒に」歩んでくださるのです。 この主を見上げて、幻をもって前進して行きましょう。

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2007年02月04日

主日礼拝「喜びの宴としての聖餐」

10:30より、主日礼拝 が行われました。

聖書
ルカによる福音書15章1-7節
説教題
喜びの宴としての聖餐
説教者
加藤郁生師
出席者数
68人

聖書: ルカによる福音書15章1-7節 (中心聖句は23節) 口語訳

1
さて、取税人や罪人たちが皆、イエスの話を聞こうとして近寄ってきた。
2
するとパリサイ人や律法学者たちがつぶやいて、「この人は罪人たちを迎えて一緒に食事をしている」と言った。
3
そこでイエスは彼らに、この譬をお話しになった、
4
「あなたがたのうちに、百匹の羊を持っている者がいたとする。その一匹がいなくなったら、九十九匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹を見つけるまでは捜し歩かないであろうか。
5
そして見つけたら、喜んでそれを自分の肩に乗せ、
6
家に帰ってきて友人や隣り人を呼び集め、『わたしと一緒に喜んでください。いなくなった羊を見つけましたから』と言うであろう。
7
よく聞きなさい。それと同じように、罪人がひとりでも悔い改めるなら、悔改めを必要としない九十九人の正しい人のためにもまさる大きいよろこびが、天にあるであろう。

礼拝メッセージの要約 「喜びの宴としての聖餐」 加藤郁生師

聖餐とは、主イエスを食卓の主として、罪人を招き入れる喜びの宴です。 イエス様はそのことを、たとえをもって示されました。

  1. 失われた羊

    100匹の内の 1匹を失った羊飼いは、他の 99匹を置いて、1匹の羊を探し出すまで尋ね求め、 見つけ出したらその羊を肩に乗せ、友人や知人を呼び集め共に祝います。

  2. 失われた銀貨

    10枚の内の 1枚をなくした女は、灯りをつけて家中を掃き、注意深く探し出し、 見つけたら、女友達や近所の女を呼び集めて共に祝います。

  3. 失われた息子

    放蕩に身を持ち崩して帰ってきた息子をみとめた父は、 息子が帰ってきたことを喜び、肥えた子牛をほふって祝宴を開きました。 兄はそのことを不満に思いましたが、 父は、いなくなった弟が見つかったことをこそ喜ぶべきだと兄に説きました。

この三つに共通しているのは、失われたものを見出して喜び祝う者の姿です。 主はわたしたちが救われ、主の宴の席につくことを求めておられるのです。

聖餐こそは、キリストが代価を払って整えられた喜びの宴です。 わたしたちも感謝をもって、恵みに与りましょう。

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2007年01月28日

主日礼拝「人生のよりどころ~キリスト」

10:30より、主日礼拝 が行われました。

聖書
マタイによる福音書7章13-27節
説教題
人生のよりどころ~キリスト
説教者
加藤郁生師
出席者数
71人

聖書: マタイによる福音書7章13-27節 (中心聖句は24-25節) 口語訳

13
狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い。
14
命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない。
15
にせ預言者を警戒せよ。彼らは、羊の衣を着てあなたがたのところに来るが、その内側は強欲なおおかみである。
16
あなたがたは、その実によって彼らを見わけるであろう。茨からぶどうを、あざみからいちじくを集める者があろうか。
17
そのように、すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。
18
良い木が悪い実をならせることはないし、悪い木が良い実をならせることはできない。
19
良い実を結ばない木はことごとく切られて、火の中に投げ込まれる。
20
このように、あなたがたはその実によって彼らを見わけるのである。
21
わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。
22
その日には、多くの者が、わたしにむかって『主よ、主よ、わたしたちはあなたの名によって預言したではありませんか。また、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの力あるわざを行ったではありませんか』と言うであろう。
23
そのとき、わたしは彼らにはっきり、こう言おう、『あなたがたを全く知らない。不法を働く者どもよ、行ってしまえ』。
24
それで、わたしのこれらの言葉を聞いて行うものを、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができよう。
25
雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけても、倒れることはない。岩を土台としているからである。
26
また、わたしのこれらの言葉を聞いても行わない者を、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができよう。
27
雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまう。そしてその倒れ方はひどいのである」。

礼拝メッセージの要約 「人生のよりどころ~キリスト」 加藤郁生師

イエス様はわたしたちに、砂の上に家を建てるような生き方ではなく、 岩の上に家を建てるような確かな人生を歩むように教えてくださいます。

そしてわたしたちが土台にするべき岩は、他ならぬイエス様ご自身です。

  1. 救いの岩として

    主は救いの岩です。 キリストはわたしたちを、十字架のあがないをもって罪からお救いくださいました。

    詩篇40篇にありますように、主はわたしたちを滅びの穴から、 泥の沼から引き上げて、わたしたちの足を救いの岩の上に置いてくださったのです。

  2. 逃れの岩として

    主は、わたしたちの逃れの岩となってくださいます。 わたしたちがどんな試練や困難の中にあっても、ご自身のみ手をもってわたしたちをかくまってくださるからです。

    詩篇41篇に

    主は悩みの日に、(貧しい人)を救い出される

    とありますが、主こそわたしたちにとって唯一の逃れの岩でなのです。

  3. 力の岩として

    キリストは、わたしたちの力の岩です(詩篇62篇7節)。 わたしたちは、人生を生き抜く力が必要です。主こそがその力を与えてくださるのです。

    ですからこの世の試練や困難の中で、わたしたちは力の岩たるキリストを信じ、 勝利ある人生を歩む者とさせていただきたいと思うのです。

世に勝つ者はだれか。イエスを神の子と信じる者ではないか(ヨハネの第一の手紙5章5節)

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