- 毎週日曜日、以下の礼拝を行っています。ぜひお越しください。
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| 09:30~ |
教会学校 |
乳幼児~高校生、ぜひご家族とご一緒に |
| 10:30~ |
主日礼拝 |
賛美、聖書のメッセージなど |
| 19:00~ |
夕拝 |
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2006年04月23日
10:30より、主日礼拝 が行われました。
- 聖書
- コリント人への第一の手紙15章12-28節
- 説教題
- 復活の信仰に生きる
- 説教者
- 加藤郁生師
- 出席者数
- 83人
聖書: コリント人への第一の手紙15章12-28節 (中心聖句は20節) 口語訳
- 12
- さて、キリストは死人の中からよみがえったのだと宣べ伝えられているのに、あなたがたの中のある者が、死人の復活などはないと言っているのは、どうしたことか。
- 13
- もし死人の復活がないならば、キリストもよみがえらなかったであろう。
- 14
- もしキリストがよみがえらなかったとしたら、わたしたちの宣教はむなしく、あなたがたの信仰もまたむなしい。
- 15
- すると、わたしたちは神にそむく偽証人にさえなるわけだ。なぜなら、万一死人がよみがえらないとしたら、わたしたちは神が実際よみがえらせなかったはずのキリストを、よみがえらせたと言って、神に反するあかしを立てたことになるからである。
- 16
- もし死人がよみがえらないなら、キリストもよみがえらなかったであろう。
- 17
- もしキリストがよみがえらなかったとすれば、あなたがたの信仰は空虚なものとなり、あなたがたは、いまなお罪の中にいることになろう。
- 18
- そうだとすると、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったのである。
- 19
- もしわたしたちが、この世の生活でキリストにあって単なる望みをいだいているだけだとすれば、わたしたちは、すべての人の中で最もあわれむべき存在となる。
- 20
- しかし事実、キリストは眠っている者の初穂として、死人の中からよみがえったのである。
- 21
- それは、死がひとりの人によってきたのだから、死人の復活もまた、ひとりの人によってこなければならない。
- 22
- アダムにあってすべての人が死んでいるのと同じように、キリストにあってすべての人が生かされるのである。
- 23
- ただ、各自はそれぞれの順序に従わねばならない。最初はキリスト、次に、主の来臨に際してキリストに属する者たち、
- 24
- それから終末となって、その時に、キリストはすべての君たち、すべての権威と権力とを打ち滅ぼして、国を父なる神に渡されるのである。
- 25
- なぜなら、キリストはあらゆる敵をその足もとに置く時までは、支配を続けることになっているからである。
- 26
- 最後の敵として滅ぼされるのが、死である。
- 27
- 「神は万物を彼の足もとに従わせた」からである。ところが、万物を従わせたと言われる時、万物を従わせたかたがそれに含まれていないことは、明らかである。
- 28
- そして、万物が神に従う時には、御子自身もまた、万物を従わせたそのかたに従うであろう。それは、神がすべての者にあって、すべてとなられるためである。
礼拝メッセージの要約
「喜びの復活」
加藤郁生師
召天者合同記念礼拝を迎えて、わたしたちは何よりも、
召天者を救い永遠の命に入らせてくださった主をたたえて礼拝したいと思います。
そして、先に召された兄弟姉妹とわたしたちが、
復活の命の恵みにあずかっていることを共に感謝したいと思います。
「キリストは眠っている者の初穂として、死人の中からよみがえった。」(20節)
キリストは、わたしたちのよみがえりの先がけとなってくださいました。
先に召された兄弟姉妹も、確かにキリストによって、よみがえりの命にあずかる者となりました。
わたしたちも、キリストが与えてくださったよみがりの信仰を全うしたいと思います。
「朽ちるものでまかれ、朽ちないものによみがえり」(41節)
わたしたちはよみがえって栄光の体に変えられます。
朽ちるものから朽ちないもの、卑しいものから栄光あるものに、
弱いものから強いものに、肉の体から霊の体に変えられるのです。
「だから、愛する兄弟たちよ。…いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。」(58節)
キリストの復活、先に召された兄弟姉妹の復活を確信するわたしたちは、
終わりの時に互いに会いまみえるべく、
今この時に全力を注いで主のわざに励みたいと思います。
復活の信仰に生きるわたしたちは、
主と先に召された兄弟姉妹の前に恥ずかしくない信仰者として、
歩みを全うしたいと思うのです。
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2006年04月16日
10:30より、主日礼拝 が行われました。
- 聖書
- ヨハネによる福音書20章19-25節
- 説教題
- 喜びの復活
- 説教者
- 加藤郁生師
- 出席者数
- 79人
聖書: ヨハネによる福音書20章19-25節 (中心聖句は20節) 口語訳
- 19
- その日、すなわち、一週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人をおそれて、自分たちのおる所の戸をみなしめていると、イエスがはいってきて、彼らの中に立ち、「安かれ」と言われた。
- 20
- そう言って、手とわきとを、彼らにお見せになった。弟子たちは主を見て喜んだ。
- 21
- イエスはまた彼らに言われた、「安かれ。父がわたしをおつかわしになったように、わたしもまたあなたがたをつかわす」。
- 22
- そう言って、彼らに息を吹きかけて仰せになった、「聖霊を受けよ。
- 23
- あなたがたがゆるす罪は、だれの罪でもゆるされ、あなたがたがゆるさずにおく罪は、そのまま残るであろう」。
- 24
- 十二弟子のひとりで、デドモと呼ばれているトマスは、イエスがこられたとき、彼らと一緒にいなかった。
- 25
- ほかの弟子たちが、彼に「わたしたちは主にお目にかかった」と言うと、トマスは彼らに言った、「わたしは、その手に釘あとを見、わたしの指をその釘あとにさし入れ、また、わたしの手をそのわきにさし入れてみなければ、決して信じない」。
礼拝メッセージの要約
「喜びの復活」
加藤郁生師
聖書は、復活の主を見て喜ぶ人々の姿をわたしたちに伝えています。
そしてその喜びは、イースターの礼拝に集い来るわたしたちにも同様に与えられているのです。
イエスは不安と恐れの中にある弟子たちに現れた。
イエス様が死んで葬られた後、
弟子たちは捕らえられるのを恐れて戸を閉めていました。
彼らの心はなお不安でした。
何故なら、そこにいるべきお方がいなかったからです。
わたしたちの心の戸を閉じて不安と恐れに震えてしまいます。
もしわたしたちの心にイエス様がいなければ。
イエスは弟子たちに現れ喜びを与えた。
戸を閉めた弟子たちの部屋に、よみがえりのイエス様は入って来られ、
「安かれ」とおっしゃり、ご自身の傷跡をお見せなさいました。
弟子たちは主を見て喜びました。
ここに、復活の主を見る喜びがあります。
それまでの不安や恐れが、まったく喜びに変るのです。
わたしたちの心にも、主は来てくださいます。
わたしたちも、主を見て喜ぶものとなるのです。
イエスは弟子たちに派遣の言葉を与えた。
イエス様は弟子たちに、息を吹きかけ「聖霊を受けよ」とおっしゃいました。
イエス様は派遣の言葉を、弟子たちに与えてくださいました。
弟子たちは、主の派遣の言葉に押し出されるのです。
わたしたちも復活の主に押し出されて、
福音をたずさせて歩むものとさせていただきたいと思うのです。
また、主日礼拝では 特別賛美 として、
ブレスとともに「うるわしの白百合」を賛美しました。
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2006年04月09日
10:30より、主日礼拝 が行われました。
- 聖書
- ピリピ人への手紙2章1-11節
- 説教題
- 十字架に学ぶ信仰者
- 説教者
- 加藤郁生師
- 出席者数
- 69人
聖書: ピリピ人への手紙2章1-11節 (中心聖句は5節) 口語訳
- 1
- そこで、あなたがたに、キリストによる勧め、愛の励まし、御霊の交わり、熱愛とあわれみとが、いくらかでもあるなら、
- 2
- どうか同じ思いとなり、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、一つ思いになって、わたしの喜びを満たしてほしい。
- 3
- 何事も党派心や虚栄からするのでなく、へりくだった心をもって互に人を自分よりすぐれた者としなさい。
- 4
- おのおの、自分のことばかりでなく、他人のことも考えなさい。
- 5
- キリスト・イエスにあっていだいているのと同じ思いを、あなたがたの間でも互に生かしなさい。
- 6
- キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、
- 7
- かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、
- 8
- おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた。
- 9
- それゆえに、神は彼を高く引き上げ、すべての名にまさる名を彼に賜わった。
- 10
- それは、イエスの御名によって、天上のもの、地上のもの、地下のものなど、あらゆるものがひざをかがめ、
- 11
- また、あらゆる舌が、「イエス・キリストは主である」と告白して、栄光を父なる神に帰するためである。
礼拝メッセージの要約
「十字架に学ぶ信仰者」
加藤郁生師
キリストの十字架はわたしたちにとって何より“救い”ですが、
同時に、キリストの十字架はわたしたち信仰者の生き方として習うべき“模範”でもあります。
それではわたしたちは、主の十字架の何に習うのでしょうか?
十字架の謙遜と従順に
キリストは、神のかたちであられたが~おのれを低くして、
死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた。
ピリピ人への手紙2章6-8節
キリストはわたしたちを救うために、
謙遜と父なる神に対する従順をもって十字架を背負われました。
わたしたちもキリストのへりくだりに習って、謙遜に歩みたいと思います。
十字架の忍耐に
キリストは…ののしられても、ののしりかえさず、
苦しめられてもおびやかすことをせず、…十字架にかかって、
わたしたちの罪をご自分の身に負われた。
ペテロの第一の手紙2章22-24節
ペテロは、クリスチャンであることのゆえに受ける苦しみは、
キリストの十字架に習う、意味のある忍耐の道であることを教えます。
わたしたちは苦しみの中にも十字架を見上げて、忍耐をもって歩みたいと思います。
十字架の愛に
主はわたしたちのためにいのちを捨てて下さった。
それによって、わたしたちは愛ということを知った。
それにゆえにわたしたちも、兄弟のためにいのちを捨てるべきである。
ヨハネの第一の手紙3章16節
キリストは十字架によって、
わたしたちに自分を与える愛を教えてくださいました。
十字架の愛を知ったわたしたちも、互いに与えあう愛の道を全うしたいと思います。
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2006年04月02日
10:30より、主日礼拝 が行われました。
- 聖書
- ガラテヤ人への手紙1章1-5節
- 説教題
- 十字架の意味
- 説教者
- 加藤郁生師
- 出席者数
- 68人
聖書: ガラテヤ人への手紙1章1-5節 (中心聖句は4節) 口語訳
- 1
- 人々からでもなく、人によってでもなく、イエス・キリストと彼を死人の中からよみがえらせた父なる神とによって立てられた使徒パウロ、
- 2
- ならびにわたしと共にいる兄弟たち一同から、ガラテヤの諸教会へ。
- 3
- わたしたちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。
- 4
- キリストは、わたしたちの父なる神の御旨に従い、わたしたちを今の悪の世から救い出そうとして、ご自身をわたしたちの罪のためにささげられたのである。
- 5
- 栄光が世々限りなく神にあるように、アァメン。
礼拝メッセージの要約
「十字架の意味」
加藤郁生師
パウロの心の中には、
キリストの十字架がいつもあざやかに描かれていました。
パウロの宣教の中心は、十字架でした。
それは、
わたしたちの罪をあがなう贖罪の十字架です。
キリストは、わたしたちに父なる神の御旨に従い、
わたしたちを今の悪の世から救い出そうとして、
ご自身をわたしたちの罪のためにささげられたのである。
ガラテヤ人への手紙1章4節
キリストの十字架は、わたしたちの罪を贖いわたしたちを救う贖罪の十字架です。
わたしたちは十字架によって、罪の完全なゆるしを得るのです。
わたしたちをキリストと共に釘付けするたく殺の十字架です。
わたしはキリストと共に十字架につけられた。
生きているのは、もはやわたしではない。
キリストがわたしのうちに生きておられるのである。
ガラテヤ人への手紙2章19-20節
キリストの十字架は、
罪の性質を持つ古きわたしたちを釘付けにして処分するたく殺の十字架です。
わたしたちはこの十字架によって死に、
キリストを命として内にいただく者として生まれ変わるのです。
わたしたちの肉を、情と欲と共に釘付けするたく殺の十字架です。
キリスト・イエスに属する者は、自分の肉を、
その情と欲と共に十字架につけてしまったのである。
ガラテヤ人への手紙5章24節
十字架は、わたしたちが持て余す肉の働きをたく殺します。
わたしたちの一切の肉の働きは、十字架上に釘付され処分されるのです。
わたしたちとこの世の関係を釘付けにしてたく殺する十字架です。
この十字架につけられて、この世はわたしに対して死に、
わたしもこの世に対して死んでしまったのである。
ガラテヤ人への手紙6章24節
わたしたちは、知らずのうちにこの世に支配されます。
キリストはわたしたちとこの世の関係をもたく殺してくださり、
わたしたちをこの世の支配と影響から解放してくださったのです。
わたしたちはもはやこの世のものではなく、キリストに属するものとなったのです。
また、主日礼拝では 会衆賛美 として、
ブレスのリードと教会学校スタッフの手話指導による「両手いっぱいの愛(新聖歌483)」を賛美しました。
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2006年03月26日
10:30より、主日礼拝 が行われました。
- 聖書
- マルコによる福音書16章14-20節
- 説教題
- 派遣の声を聞く礼拝者
- 説教者
- 加藤郁生師
- 出席者数
- 69人
聖書: マルコによる福音書16章14-20節 (中心聖句は15節) 口語訳
- 14
- その後、イエスは十一弟子が食卓についているところに現れ、彼らの不信仰と、心のかたくななことをお責めになった。彼らは、よみがえられたイエスを見た人々の言うことを、信じなかったからである。
- 15
- そして彼らに言われた、「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ。
- 16
- 信じてバプテスマを受ける者は救われる。しかし、不信仰の者は罪に定められる。
- 17
- 信じる者には、このようなしるしが伴う。すなわち、彼らはわたしの名で悪霊を追い出し、新しい言葉を語り、
- 18
- へびをつかむであろう。また、毒を飲んでも、決して害を受けない。病人に手をおけば、いやされる」。
- 19
- 主イエスは彼らに語り終ってから、天にあげられ、神の右にすわられた。
- 20
- 弟子たちは出て行って、至る所で福音を宣べ伝えた。主も彼らと共に働き、御言に伴うしるしをもって、その確かなことをお示しになった。〕
礼拝メッセージの要約
「派遣の声を聞く礼拝者」
加藤郁生師
豊かな礼拝のプログラムの中で、
最後に置かれているのが祝祷です。
祝祷は、単に礼拝の終わりを告げるものではありません。
祝祷、それは、
神さまの祝福の宣言です。
礼拝におけるわたしたちの喜びは、神さまの祝福のみ声を聞くことです。
わたしたちが弱っている時、疲れている時、
礼拝の席で説教を聞き励まされます。
そして最後に、変らぬ神さまの祝福の宣言を受けるのです。
わたしたちの1週間は、この主の祝福から始まります。
わたしたちは安心して、主の祝福を支えにして、
ここから歩みだすことが出来るのです。
神さまの派遣の宣言です。
復活の主は天に昇られる前に、
弟子たちに宣教の命令をお与えになりました。
そして、祝祷を加えられたのです。
今わたしたちも礼拝において福音を聞き、
臨在の主の宣教の使命にあずかっています。
わたしたちも祝祷の宣教の派遣の声を聞き、
福音をたずさえてこの世に遣わされていくのです。
願わくば、われらの主イエス・キリストの恵み、
父なる神様のご愛、ご聖霊様の交わりがあなたがたと共にあるように。
わたしたちもこの恵みの祝祷をいただいて、
祝福と派遣の声に励まされて歩んでまいりましょう。
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