毎週日曜日、以下の礼拝を行っています。ぜひお越しください。
09:30~ 教会学校 乳幼児~高校生、ぜひご家族とご一緒に
10:30~ 主日礼拝 賛美、聖書のメッセージなど
19:00~ 夕拝 朝の礼拝には時間が合わない方のために
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2006年02月12日

信仰の上に立つ教会~使徒信条

10:30より、主日礼拝 が行われました。

説教者
加藤郁生師
説教題
信仰の上に立つ教会~使徒信条
聖書
マタイによる福音書16章13~20節
出席者数
68人

聖書: マタイによる福音書16章13-20節 (中心聖句は18節) 口語訳

13
イエスがピリポ・カイザリヤの地方に行かれたとき、弟子たちに尋ねて言われた、「人々は人の子をだれと言っているか」。
14
彼らは言った、「ある人々はバプテスマのヨハネだと言っています。しかし、ほかの人たちは、エリヤだと言い、また、エレミヤあるいは預言者のひとりだ、と言っている者もあります」。
15
そこでイエスは彼らに言われた、「それでは、あなたがたはわたしをだれと言うか」。
16
シモン・ペテロが答えて言った、「あなたこそ、生ける神の子キリストです」。
17
すると、イエスは彼にむかって言われた、「バルヨナ・シモン、あなたはさいわいである。あなたにこの事をあらわしたのは、血肉ではなく、天にいますわたしの父である。
18
そこで、わたしもあなたに言う。あなたはペテロである。そして、わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう。黄泉の力もそれに打ち勝つことはない。
19
わたしは、あなたに天国のかぎを授けよう。そして、あなたが地上でつなぐことは、天でもつながれ、あなたが地上で解くことは天でも解かれるであろう」。
20
そのとき、イエスは、自分がキリストであることをだれにも言ってはいけないと、弟子たちを戒められた。

わたしたちの教会は、 イエスを「生ける神の子キリスト(救い主)です」と信じる信仰の上に立っています。 信仰告白はわたしたちの信仰をあらわす基準として用いられてきました。

  1. 洗礼者がが告白する信条として

    使徒信条は、洗礼を受けるものが信じて告白するために用いられました。 クリスチャンである者はだれもが使徒信条の告白を通って、 教会の一員として迎えられました。 わたしたちも明確な使徒信条の信仰の告白によって、 信仰の共同体に入れられているのです。

  2. 聖餐にあずかる際に告白する信条として

    聖餐はクリスチャンのあずかる恵みですが、信仰を前提といたします。 それゆえに古くから教会は、聖餐式の前に共に使徒信条を唱えました。 共に主を告白し、主の聖餐にあずかることによって信仰者は力を与えられ、 強められてきたのです。

  3. 説教を支えるみ言葉の真理の裏づけとして

    講壇から語られる説教は、単に聖書の知識を披露する行為ではなく、 信仰に裏付けられ、聖霊に光を与えられ、み言葉を取り次ぐ行為です。 ですから説教の内容が信仰告白に合致しているかどうかは、 非常に大切なことです。 説教者はそのことに心配りながら、 正しくみ言葉を取り次ぐ責任を負っているのです。

  4. 教会の共同の信仰の礎として イエスは、ペテロの信仰告白を礎として教会を建てることを約束されました。 わたしたちの教会の土台となるものも、人間の能力や富ではなく信仰です。 ですからわたしたちは、使徒信条を自らの信仰の告白として、 いつも心に覚えて歩むものとさせていただきたいのです。

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2006年02月05日

聖餐の恵みにあずかる信仰者

10:30より、主日礼拝 が行われました。

説教者
加藤郁生師
聖書
マタイによる福音書26章26-29節
説教題
聖餐の恵みにあずかる信仰者
出席者数
55人

聖書: マタイによる福音書26章26-29節 (中心聖句は26節) 口語訳

26
一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福してこれをさき、弟子たちに与えて言われた、「取って食べよ、これはわたしのからだである」。
27
また杯を取り、感謝して彼らに与えて言われた、「みな、この杯から飲め。
28
これは、罪のゆるしを得させるようにと、多くの人のために流すわたしの契約の血である。
29
あなたがたに言っておく。わたしの父の国であなたがたと共に、新しく飲むその日までは、わたしは今後決して、ぶどうの実から造ったものを飲むことをしない」。

聖餐(主の晩餐)は初代教会から今に至るまで受け継がれた大切な典礼です。 この聖餐の意義を考えたいと思います。

  1. 聖餐は主がお命じくださった

    主イエスは渡される夜、弟子たちに、 「主の日を記念してパンを裂き、杯を飲むように」とお命じなさいました。 使徒たちは主の教えを守って聖餐を守り、 以来、代々の教会もこれに習って来ました。 ゆえにわたしたちも、聖餐を重んじていきたいと思います。

  2. 聖餐はわたしたちの信仰を堅くする

    人は忘れやすいものです。 信仰者の信仰は弱りやすいものです。 主はそのようなわたしたちのために、 十字架の贖いを想い起こさせる恵みの手段としての聖餐をお与えくださいました。 ですから聖餐の恵みにあずかることの中で、 わたしたちの信仰はますます堅くされ、整えられるのです。

  3. 聖餐は福音を伝える

    聖餐は“見える御言葉(福音)”と言われています。 わたしたちは聖餐の中に、福音のメッセージを汲み取ることができるのです。 聖餐を通して主は、心貧しくして主の救いにあずかる魂を招いておられます。 わたしたちも一人でも多くの愛する隣人と共に聖餐の恵みにあずかることが出来るように、 宣教のスピリットをもって祈りましょう。

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2006年01月29日

信仰を証しする恵みの場としての礼拝堂

10:30より、主日礼拝 が行われました。

説教者
加藤郁生師
聖書
出エジプト記40章16-38節
説教題
信仰を証しする恵みの場としての礼拝堂
出席者数
71人

聖書: 出エジプト記40章16-38節 (中心聖句は34節) 口語訳

16
モーセはそのように行った。すなわち主が彼に命じられたように行った。
17
第二年の正月になって、その月の元日に幕屋は建った。
18
すなわちモーセは幕屋を建て、その座をすえ、その枠を立て、その横木をさし込み、その柱を立て、
19
幕屋の上に天幕をひろげ、その上に天幕のおおいをかけた。主がモーセに命じられたとおりである。
20
彼はまたあかしの板をとって箱に納め、さおを箱につけ、贖罪所を箱の上に置き、
21
箱を幕屋に携え入れ、隔ての垂幕をかけて、あかしの箱を隠した。主がモーセに命じられたとおりである。
22
彼はまた会見の天幕なる幕屋の内部の北側、垂幕の外に机をすえ、
23
その上にパンを列に並べて、主の前に供えた。主がモーセに命じられたとおりである。
24
彼はまた会見の天幕なる幕屋の内部の南側に、机にむかい合わせて燭台をすえ、
25
主の前にともしびをともした。主がモーセに命じられたとおりである。
26
彼は会見の幕屋の中、垂幕の前に金の祭壇をすえ、
27
その上に香ばしい薫香をたいた。主がモーセに命じられたとおりである。
28
彼はまた幕屋の入口にとばりをかけ、
29
燔祭の祭壇を会見の天幕なる幕屋の入口にすえ、その上に燔祭と素祭をささげた。主がモーセに命じられたとおりである。
30
彼はまた会見の天幕と祭壇との間に洗盤を置き、洗うためにそれに水を入れた。
31
モーセとアロンおよびその子たちは、それで手と足を洗った。
32
すなわち会見の天幕にはいるとき、また祭壇に近づくとき、そこで洗った。主がモーセに命じられたとおりである。
33
また幕屋と祭壇の周囲に庭を設け、庭の門にとばりをかけた。このようにしてモーセはその工事を終えた。
34
そのとき、雲は会見の天幕をおおい、主の栄光が幕屋に満ちた。
35
モーセは会見の幕屋に、はいることができなかった。雲がその上にとどまり、主の栄光が幕屋に満ちていたからである。
36
雲が幕屋の上からのぼる時、イスラエルの人々は道に進んだ。彼らはその旅路において常にそうした。
37
しかし、雲がのぼらない時は、そののぼる日まで道に進まなかった。
38
すなわちイスラエルの家のすべての者の前に、昼は幕屋の上に主の雲があり、夜は雲の中に火があった。彼らの旅路において常にそうであった。

教会は、神さまを礼拝するために招かれた信仰者の群れです。 そし教会は、そのための礼拝堂を必要とします。 わたしたちが礼拝を大切にすることは、 わたしたちに与えられている礼拝堂を大切にすることにつながっています。

ですけれども、礼拝堂は決して華美である必要はありません。 むしろ、わたしたちの信仰の思いが主なる神さまに向けられるように、 心配りがなされるべきです。

特に大事なことは礼拝堂の三つの要素です。

  1. 礼拝堂に十字架が掲げられていること 礼拝堂の講壇側の正面に十字架が掲げられているか、 ということは大切です。 わたしたちは礼拝堂で十字架を仰ぎます。 そして礼拝をすることが主の贖いの恵みによる行為であることを悟るのです。

  2. 礼拝堂に講壇があること 神は講壇から、神が油注がれた説教者を通して、 わたしたちにみことばを与えてくださいます。 みことばはわたしたちの魂を養う命の糧であり、 またイエス・キリストのよろこばしき福音そのものです。 講壇からのみことばを絶やさないことが、教会の使命なのです。

  3. 礼拝堂に聖餐台が置かれていること 聖餐はキリストがご自身の十字架の死を記念し、 来るべきメシアの宴を待ち望むようにとわたしたちに命じられた礼典です。 それはキリストとの絶えざる交わりを意味します。 わたしたちがこの聖餐台を会堂に置き、 共に主を見上げることの中に恵みの具体化があります。

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2006年01月22日

畏れと感謝もって歩む信仰者

10:30より、主日礼拝 が行われました。

説教者
加藤郁生師
聖書
出エジプト記20章1-11節
説教題
畏れと感謝もって歩む信仰者
出席者数
77人

聖書: 出エジプト記20章1-11節 (中心聖句は2節) 口語訳

1
神はこのすべての言葉を語って言われた。
2
「わたしはあなたの神、主であって、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出した者である。
3
あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。
4
あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水のなかにあるものの、どんな形をも造ってはならない。
5
それにひれ伏してはならない。それに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神であるから、わたしを憎むものは、父の罪を子に報いて、三、四代に及ぼし、
6
わたしを愛し、わたしの戒めを守るものには、恵みを施して、千代に至るであろう。
7
あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない。主は、み名をみだりに唱えるものを、罰しないでは置かないであろう。
8
安息日を覚えて、これを聖とせよ。
9
六日のあいだ働いてあなたのすべてのわざをせよ。
10
七日目はあなたの神、主の安息であるから、なんのわざをもしてはならない。あなたもあなたのむすこ、娘、しもべ、はしため、家畜、またあなたの門のうちにいる他国の人もそうである。
11
主は六日のうちに、天と地と海と、その中のすべてのものを造って、七日目に休まれたからである。それで主は安息日を祝福して聖とされた。

※都合により、本日分の主日礼拝メッセージの要約はありません。

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2006年01月15日

礼拝の民として~わたしたちが行くところ

10:30より、主日礼拝 が行われました。

説教者
加藤郁生師
聖書
出エジプト記3章13-22節
説教題
礼拝の民として~わたしたちが行くところ
出席者数
61人

聖書: 出エジプト記3章13-22節 (中心聖句は18節) 口語訳

13
モーセは神に言った、「わたしがイスラエルの人々のところへ行って、彼らに『あなたがたの先祖の神が、わたしをあなたがたのところへつかわされました』と言うとき、彼らが『その名はなんというのですか』とわたしに聞くならば、なんと答えましょうか」。
14
神はモーセに言われた、「わたしは、有って有る者」。また言われた、「イスラエルの人々にこう言いなさい、『「わたしは有る」というかたが、わたしをあなたがたのところへつかわされました』と」。
15
神はまたモーセに言われた、「イスラエルの人々にこう言いなさい『あなたがたの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である主が、わたしをあなたがたのところへつかわされました』と。これは永遠にわたしの名、これは世々のわたしの呼び名である。
16
あなたは行って、イスラエルの長老たちを集めて言いなさい、『あなたがたの先祖の神、アブラハム、イサク、ヤコブの神である主は、わたしに現れて言われました、「わたしはあなたがたを顧み、あなたがたがエジプトでされている事を確かに見た。
17
それでわたしはあなたがたを、エジプトの悩みから導き出して、カナンびと、ヘテびと、アモリびと、ペリジびと、ヒビびと、エブスびとの地、乳と蜜の流れる地へ携え上ろうと決心した」と』。
18
彼らはあなたの声に聞き従うであろう。あなたはイスラエルの長老たちと一緒にエジプトの王のところへ行って言いなさい、『ヘブルびとの神、主がわたしたちに現れられました。それで、わたしたちを、三日の道のりほど荒野に行かせて、わたしたちの神、主に犠牲をささげることを許してください』と。
19
しかし、エジプトの王は強い手をもって迫らなければ、あなたがたを行かせないのをわたしは知っている。
20
それで、わたしは手を伸べて、エジプトのうちに行おうとする、さまざまの不思議をもってエジプトを打とう。その後に彼はあなたがたを去らせるであろう。
21
わたしはこの民にエジプトびとの好意を得させる。あなたがたは去るときに、むなし手で去ってはならない。
22
女はみな、その隣の女と、家に宿っている女に、銀の飾り、金の飾り、また衣服を求めなさい。そしてこれらを、あなたがたのむすこ、娘に着けさせなさい。このようにエジプトびとのものを奪い取りなさい」。

イスラエルの民をエジプトから救い出すべき召されたモーセは、パロ王に向って言わなければなりませんでした。

「わたしたちの神、主に犠牲をささげることを許してください。」

この言葉は、単にイスラエルの民を去らせるための方便ではありませんでした。 神さまはイスラエルの民をパロの支配から解放するだけでなく、 荒野で犠牲をささげる礼拝の民として召さたのであります。

このことは、わたしたちが救いということを考える上で忘れてはならない大切なことです。 わたしたちも罪の支配下に置かれていたお互いですが、 今は解放されキリストに属する者となり、礼拝の民となることが出来たのです。

ですから、人が礼拝をささげることは自然なことです。 わたしたちが罪に支配されていた時、わたしたちと神さまとの関係は損なわれ、 わたしたちは礼拝することの喜びを奪われていました。

キリストは、神との平和を失っていたそのわたしたちのために十字架にかかられ、 わたしたちを礼拝の民とするために死んでくださったのです。 この神の愛を知るとき、 わたしたちははばかることなく恵みの座に近づきたいと願わされるのです。

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