毎週日曜日、以下の礼拝を行っています。ぜひお越しください。
09:30~ 教会学校 乳幼児~高校生、ぜひご家族とご一緒に
10:30~ 主日礼拝 賛美、聖書のメッセージなど
19:00~ 夕拝 朝の礼拝には時間が合わない方のために
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2006年01月08日

恵みに生きる生活

10:30より、主日礼拝 が行われました。

説教者
加藤郁生師
聖書
ローマ人への手紙5章17-21節
説教題
恵みに生きる生活
出席者数
62人

聖書: ローマ人への手紙5章17-21節 (中心聖句は20節) 口語訳

17
もし、ひとりの罪過によって、そのひとりをとおして死が支配するに至ったとすれば、まして、あふれるばかりの恵みと義の賜物とを受けている者たちは、ひとりのイエス・キリストをとおし、いのちにあって、さらに力強く支配するはずではないか。
18
このようなわけで、ひとりの罪過によってすべての人が罪に定められたように、ひとりの義なる行為によって、いのちを得させる義がすべての人に及ぶのである。
19
すなわち、ひとりの人の不従順によって、多くの人が罪人とされたと同じように、ひとりの従順によって、多くの人が義人とされるのである。
20
律法がはいり込んできたのは、罪過の増し加わるためである。しかし、罪の増し加わったところには、恵みもますます満ちあふれた。
21
それは、罪が死によって支配するに至ったように、恵みもまた義によって支配し、わたしたちの主イエス・キリストにより、永遠のいのちを得させるためである。

パウロは「罪の増し加わったところには、恵みもますます満ちあふれた」と言いました。 このみ言葉から示さることは、わたしたち信仰者の生活というのは、 恵みに生かされる生活である、ということです。 恵みに生きる生活、それこそが信仰生活の本質です。

パウロの人間論は、決して安易なものではありませんでした。 せっかく罪から救われても、なお、 生きれば生きるほど罪が増し加わってしまう存在であることを知っていました。 それは救わたわたしたちがなお地上で直面する深刻な問題でした。

しかしながらパウロが見出したのは、その増し加わった罪を超えて、 いや増しに増し加わるところの主の無尽蔵の恵みでした。 それは、わたしたちが歩を進めても、はるかかなたに見える虹のようなものです。 救われているわたしたちはチャンネルが切り替わっているのです。 すなわち恵みのチャンネルです。

礼拝とはこの恵みの中心です。 わたしたちは礼拝を通して主の愛、十字架のあがない、 福音のおとずれを味わいます。 礼拝の中に恵みが満ちています。ですから、わたしたちは安んじて礼拝を通して、 自らを主の恵みにひたして、 罪のゆるしの確信と喜びと感謝をもって地上における信仰を全うさせていただきたいのです。

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2006年01月01日

礼拝へのインヴィティション

10:30より、元旦礼拝 が行われました。

説教者
加藤郁生師
聖書
マタイによる福音書5章1-16節
説教題
礼拝へのインヴィティション
出席者数
57人

聖書: マタイによる福音書5章1-16節 (中心聖句は3節) 口語訳

1
イエスはこの群衆を見て、山に登り、座につかれると、弟子たちがみもとに近寄ってきた。
2
そこで、イエスは口を開き、彼らに教えて言われた。
3
「こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。
4
悲しんでいる人たちは、さいわいである、彼らは慰められるであろう。
5
柔和な人たちは、さいわいである、彼らは地を受けつぐであろう。
6
義に飢えかわいている人たちは、さいわいである、彼らは飽き足りるようになるであろう。
7
あわれみ深い人たちは、さいわいである、彼らはあわれみを受けるであろう。
8
心の清い人たちは、さいわいである、彼らは神を見るであろう。
9
平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。
10
義のために迫害されてきた人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。
11
わたしのために人々があなたがたをののしり、また迫害し、あなたがたに対し偽って様々の悪口を言う時には、あなたがたは、さいわいである。
12
喜び、よろこべ、天においてあなたがたの受ける報いは大きい。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。
13
あなたがたは、地の塩である。もし塩のききめがなくなったら、何によってその味が取りもどされようか。もはや、なんの役にも立たず、ただ外に捨てられて、人々にふみつけられるだけである。
14
あなたがたは、世の光である。山の上にある町は隠れることができない。
15
また、あかりをつけて、それを枡の下におく者はいない。むしろ燭台の上において、家の中のすべてのものを照させるのである。
16
そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かし、そして、人々があなたがたのよいおこないを見て、天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい。

「こころの貧しい人たちは、さいわいである」

“こころの貧しい人たち”とは誰でしょう? それは、心へりくだってイエス様を求める者です。 イエス様は彼らを、両手を広げて招いてくださっています。 ゆえにかれらは「さいわい」なのです。

「悲しんでいる人たちは、さいわいである、彼らは慰められるであろう。」

わたしたちは、悲しみをいっぱい抱えて生きています。 それら悲しみも、イエス様の前に出ることでいやされます。 主はわたしたちの悲しみの涙を、ご自分のみ手をもってぬぐい取ってくださるお方だからです。

「義に飢えかわいている人たちは、さいわいである、彼らは飽き足りるようになるであろう。」

わたしたちが自分の義ではなく、神の義を求めるならば、 イエスさまのみもとこそ、わたしたちが行くべき場所です。 そこに十字架のゆるしがあり、神の義があるのです。

イエス様は、わたしたちを礼拝に招いておられるのです。 わたたちも心貧しくして、主のみもとにいこいましょう。

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2005年12月25日

賛美の時~クリスマス

10:15より、クリスマス礼拝 が行われました。

説教者
加藤郁生師
説教題
賛美の時~クリスマス
聖書
ルカによる福音書2章8-20節
出席者数
85人

聖書: ルカによる福音書2章8-20節 (中心聖句は14節) 口語訳

8
さて、この地方で羊飼たちが夜、野宿しながら羊の群れの番をしていた。
9
すると主の御使が現れ、主の栄光が彼らをめぐり照したので、彼らは非常に恐れた。
10
御使は言った、「恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。
11
きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである。
12
あなたがたは、幼な子が布にくるまって飼葉おけの中に寝かしてあるのを見るであろう。それが、あなたがたに与えられるしるしである」。
13
するとたちまち、おびただしい天の軍勢が現れ、御使と一緒になって神をさんびして言った、
14
「いと高きところでは、神に栄光があるように、地の上では、み心にかなう人々に平和があるように」。
15
御使たちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼たちは「さあ、ベツレヘムへ行って、主がお知らせ下さったその出来事を見てこようではないか」と、互に語り合った。
16
そして急いで行って、マリヤとヨセフ、また飼葉おけに寝かしてある幼な子を捜しあてた。
17
彼らに会った上で、この子について自分たちに告げ知らされた事を、人々に伝えた。
18
人々はみな、羊飼たちが話してくれたことを聞いて、不思議に思った。
19
しかし、マリヤはこれらの事をことごとく心に留めて、思いめぐらしていた。
20
羊飼たちは、見聞きしたことが何もかも自分たちに語られたとおりであったので、神をあがめ、またさんびしながら帰って行った。

クリスマスは、賛美にあふれた主への礼拝の時です。

ベツレヘムの野原で、御使いから羊飼いに“救い主の御降誕”が告げられた時に、 天上で賛美の大音響が鳴り響きました。

「いと高きところでは、神に栄光があるように、地の上では、み心にかなう人々に平和があるように」。

救い主の御降誕をもって天上に栄光が満たされ、 地には平和がもたらされることの賛美でした。

この天上の賛美の後、 救い主を訪れることのできた羊飼いたちの口からも賛美があふれました。 彼らは救い主を与えてくださった神をあがめ、 賛美をしながら家路につきました。

2005年、わたしたちの教会も礼拝において、主の御名があがめられました。 大人も子どもも、心いっぱい神さまの御名をほめたたえることができました。 わたしたちにとって、これにまさる喜びはありません。

どうぞ新しい2006年も、わたしたちの心がさらに神さまに向けられますように。

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2005年12月18日

平和の君として

10:15より、第4アドヴェント礼拝 が行われました。

説教者
加藤郁生師
説教題
平和の君として
聖書
イザヤ書9章6-7節
出席者数
57人

聖書: イザヤ書9章6-7節 (中心聖句は6節) 口語訳

6
ひとりのみどりごがわれわれのために生れた、ひとりの男の子がわれわれに与えられた。まつりごとはその肩にあり、その名は、「霊妙なる議士、大能の神、とこしえの父、平和の君」ととなえられる。
7
そのまつりごとと平和とは、増し加わって限りなく、ダビデの位に座して、その国を治め、今より後、とこしえに公平と正義とをもってこれを立て、これを保たれる。万軍の主の熱心がこれをなされるのである。

預言者イザヤは、 わたしたちの主イエス・キリストが「平和の君」として世にこられることを預言しました。 「そのまつりごとと平和とは、増し加わって限りなく」とありますように、 キリストによって真の平和がもたらされると言うのです。

  1. キリストはわたしたちに神との平和をもたらしました。

    「このように、わたしたちは、信仰によって義とされたのだから、 わたしたちの主イエス・キリストにより、 神に対して平和を得ている。」ローマ5章1節

    キリストは十字架のあがないによって、 わたしと神さまとの関係に平和をもたらしました。 わたしたちはキリストによって、 失われていた神さまとの関係に“回復”を与えられたのです。

  2. キリストは人間の関係に和解の平和をもたらしました。

    「キリストはわたしたちの平和であって、 …敵意という中垣を取り除き、 …敵意を十字架にかけて滅ぼしてしまったのである。」エペソ2章14~16節

    キリストは、わたしたち人間の罪として根強く巣くう敵意という罪を、 十字架によって滅ぼしてくださいました。 キリストによって新しい人とされたわたしたちは、 神の家族として和解することができるのです。

  3. キリストは平和を完成されるお方として再び来られます。

    この世界の完全な平和は、 終末の後に来るキリストの再臨とそれに伴う御国の到来によってもたらされます。 それゆえにわたしたちは、たとえ今、完全な平和を見ることがなくても、 希望をもって主の再臨と御国の到来を待ち望むのです。

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2005年12月11日

主日礼拝「喜びの礼拝としてのクリスマス」

2005年12月11日 喜びの礼拝としてのクリスマス

10:15より、第3アドヴェント礼拝 が行われました。

説教者
加藤郁生師
説教題
喜びの礼拝としてのクリスマス
聖書
マタイによる福音書2章1-12節
出席者数
67人

聖書: マタイによる福音書2章1-12節 (中心聖句は10節) 口語訳

1
イエスがヘロデ王の代に、ユダヤのベツレヘムでお生れになったとき、見よ、東からきた博士たちがエルサレムに着いて言った、
2
「ユダヤ人の王としてお生れになったかたは、どこにおられますか。わたしたちは東の方でその星を見たので、そのかたを拝みにきました」。
3
ヘロデ王はこのことを聞いて不安を感じた。エルサレムの人々もみな、同様であった。
4
そこで王は祭司長たちと民の律法学者たちとを全部集めて、キリストはどこに生れるのかと、彼らに問いただした。
5
彼らは王に言った、「それはユダヤのベツレヘムです。預言者がこうしるしています、
6
『ユダの地、ベツレヘムよ、おまえはユダの君たちの中で、決して最も小さいものではない。おまえの中からひとりの君が出て、わが民イスラエルの牧者となるであろう』」。
7
そこで、ヘロデはひそかに博士たちを呼んで、星の現れた時について詳しく聞き、
8
彼らをベツレヘムにつかわして言った、「行って、その幼な子のことを詳しく調べ、見つかったらわたしに知らせてくれ。わたしも拝みに行くから」。
9
彼らは王の言うことを聞いて出かけると、見よ、彼らが東方で見た星が、彼らより先に進んで、幼な子のいる所まで行き、その上にとどまった。
10
彼らはその星を見て、非常な喜びにあふれた。
11
そして、家にはいって、母マリヤのそばにいる幼な子に会い、ひれ伏して拝み、また、宝の箱をあけて、黄金・乳香・没薬などの贈り物をささげた。
12
そして、夢でヘロデのところに帰るなとのみ告げを受けたので、他の道をとおって自分の国へ帰って行った。

ここに、イエス様に対する対照的な姿が示されています。

  1. イエスを礼拝することを拒んだヘロデ王

    ユダヤ人の王、メシヤを捜し求めて東の博士がヘロデのもとを訪ねた時、 ヘロデの心は不安に襲われました。 自分こそユダヤの王たることを自認していたヘロデは、 他のだれも礼拝することを望みませんでした。

    ヘロデにとってイエス様は礼拝すべき対象ではなく、 抹殺して取り除くべき存在でした。 この世に礼拝すべきお方を知らず、 むしろ主を拒む者の姿はあさましく、あわれです。

  2. イエスを礼拝するために来た博士たち

    東の博士たちは星を頼りに、 礼拝をするためにはるばる労苦をしてユダヤにやって来ました。 彼らの労苦は報われました。 星がメシヤの住む場所を示した時、彼らは非常な喜びにあふれました。

    主を拝むことを知る信仰者は幸いです。 彼らの心は喜びと感謝と賛美にあふれます。 彼らの持ってきた贈り物は心からの主の献げものとなりました。

    わたしたちはこの世で、イエスを礼拝することを拒むか、 それともイエスを礼拝することを喜ぶかの岐路に立たされます。 願わくは、信仰をいただいて礼拝を喜ぶわたしたちでありますように。

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