毎週日曜日、以下の礼拝を行っています。ぜひお越しください。
09:30~ 教会学校 乳幼児~高校生、ぜひご家族とご一緒に
10:30~ 主日礼拝 賛美、聖書のメッセージなど
19:00~ 夕拝 朝の礼拝には時間が合わない方のために
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2005年08月21日

主日礼拝「キリストの福音にふさわしく歩む」

10:15より、主日礼拝 が行われました。

聖書
ピリピ人への手紙1章27-30節
説教題
キリストの福音にふさわしく歩む
説教者
加藤郁生師
出席者数
55人

聖書: ピリピ人への手紙1章27-30節 (中心聖句は27節) 口語訳

27
ただ、あなたがたはキリストの福音にふさわしく生活しなさい。そして、わたしが行ってあなたがたに会うにしても、離れているにしても、あなたがたが一つの霊によって堅く立ち、一つ心になって福音の信仰のために力を合わせて戦い、
28
かつ、何事についても、敵対する者どもにろうばいさせられないでいる様子を、聞かせてほしい。このことは、彼らには滅びのしるし、あなたがたには救のしるしであって、それは神から来るのである。
29
あなたがたはキリストのために、ただ彼を信じることだけではなく、彼のために苦しむことをも賜わっている。
30
あなたがたは、さきにわたしについて見、今またわたしについて聞いているのと同じ苦闘を、続けているのである。

礼拝メッセージの要約 「キリストの福音にふさわしく歩む」 加藤郁生師

27節に

ただ、あなたがたはキリストの福音にふさわしく生活しなさい。

という言葉があります。 キリストの福音にふさわしく生活するとは、どういうことでしょうか?

  1. キリストの市民として誇りをもって生きる

    「ふさわしく生活する」とは、市民として生きると言う意味がこめられています。 当時ピリピはローマの直轄地でした。 非常に立派な町として市民は豊かな生活を謳歌していました。 ピリピ市民であることは誇りでした。

    わたしたちも神の御国の市民です。 もちろんそれはわたしたちの努力や功績によって与えられたものではなく、 十字架のあがないによる恵みの特権です。 だからこそわたしたちは謙遜を持ってキリストの福音にふさわしく、 感謝と誇りをもって天国の市民として歩みたいと思うのです。

  2. キリストの市民として責任をもって生きる

    天に市民権を持つわたしたちは特権と同時に責任をもちます。 しかしそれは素晴らしい責任です。

    ホーソンは天の市民としての責任を、以下のように説明しています。

    義を求めること、平和、信仰、希望、愛、奉仕、礼拝をもって生きること。

    またわたしたちは何よりも 十字架の救いを宣べ伝える福音宣教に努める者とさせていただきたいと思います。 主はキリストの福音に生きるわたしたちを豊かに祝してくださるのです。

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2005年08月14日

主日礼拝「ナアマンの決心」

10:15より、主日礼拝 が行われました。

聖書
列王紀下5章1-19節
説教題
ナアマンの決心
説教者
加藤郁生師
出席者数
56人

聖書: 列王紀下5章1-19節 (中心聖句は14節) 口語訳

1
スリヤ王の軍勢の長ナアマンはその主君に重んじられた有力な人であった。主がかつて彼を用いてスリヤに勝利を得させられたからである。彼は大勇士であったが、重い皮膚病をわずらっていた。
2
さきにスリヤびとが略奪隊を組んで出てきたとき、イスラエルの地からひとりの少女を捕えて行った。彼女はナアマンの妻に仕えたが、
3
その女主人にむかって、「ああ、御主人がサマリヤにいる預言者と共におられたらよかったでしょうに。彼はその重い皮膚病をいやしたことでしょう」と言ったので、
4
ナアマンは行って、その主君に、「イスラエルの地からきた娘がこういう事を言いました」と告げると、
5
スリヤ王は言った、「それでは行きなさい。わたしはイスラエルの王に手紙を書きましょう」。そこで彼は銀十タラントと、金六千シケルと、晴れ着十着を携えて行った。
6
彼がイスラエルの王に持って行った手紙には、「この手紙があなたにとどいたならば、わたしの家来ナアマンを、あなたにつかわしたことと御承知ください。あなたに彼の重い皮膚病をいやしていただくためです」とあった。
7
イスラエルの王はその手紙を読んだ時、衣を裂いて言った、「わたしは殺したり、生かしたりすることのできる神であろうか。どうしてこの人は、重い皮膚病の男をわたしにつかわして、それをいやせと言うのか。あなたがたは、彼がわたしに争いをしかけているのを知って警戒するがよい」。
8
神の人エリシャは、イスラエルの王がその衣を裂いたことを聞き、王に人をつかわして言った、「どうしてあなたは衣を裂いたのですか。彼をわたしのもとにこさせなさい。そうすれば彼はイスラエルに預言者のあることを知るようになるでしょう」。
9
そこでナアマンは馬と車とを従えてきて、エリシャの家の入口に立った。
10
するとエリシャは彼に使者をつかわして言った、「あなたはヨルダンへ行って七たび身を洗いなさい。そうすれば、あなたの肉はもとにかえって清くなるでしょう」。
11
しかしナアマンは怒って去り、そして言った、「わたしは、彼がきっとわたしのもとに出てきて立ち、その神、主の名を呼んで、その箇所の上に手を動かして、重い皮膚病をいやすのだろうと思った。
12
ダマスコの川アバナとパルパルはイスラエルのすべての川水にまさるではないか。わたしはこれらの川に身を洗って清まることができないのであろうか」。こうして彼は身をめぐらし、怒って去った。
13
その時、しもべたちは彼に近よって言った、「わが父よ、預言者があなたに、何か大きな事をせよと命じても、あなたはそれをなさらなかったでしょうか。まして彼はあなたに『身を洗って清くなれ』と言うだけではありませんか」。
14
そこでナアマンは下って行って、神の人の言葉のように七たびヨルダンに身を浸すと、その肉がもとにかえって幼な子の肉のようになり、清くなった。
15
彼はすべての従者を連れて神の人のもとに帰ってきて、その前に立って言った、「わたしは今、イスラエルのほか、全地のどこにも神のおられないことを知りました。それゆえ、どうぞ、しもべの贈り物を受けてください」。
16
エリシャは言った、「わたしの仕える主は生きておられる。わたしは何も受けません」。彼はしいて受けさせようとしたが、それを拒んだ。
17
そこでナアマンは言った、「もしお受けにならないのであれば、どうぞ騾馬に二駄の土をしもべにください。これから後しもべは、他の神には燔祭も犠牲もささげず、ただ主にのみささげます。
18
どうぞ主がこの事を、しもべにおゆるしくださるように。すなわち、わたしの主君がリンモンの宮にはいって、そこで礼拝するとき、わたしの手によりかかることがあり、またわたしもリンモンの宮で身をかがめることがありましょう。わたしがリンモンの宮で身をかがめる時、どうぞ主がその事を、しもべにおゆるしくださるように」。
19
エリシャは彼に言った、「安んじて行きなさい」。ナアマンがエリシャを離れて少し行ったとき、

礼拝メッセージの要約 「ナアマンの決心」 加藤郁生師

昔シリヤの国にナアマンという将軍がいました。 彼は非常に有能でしたが、重い皮膚の病におかされていました。 ある時イスラエルの預言者エリシャの評判を聞いたナアマンは意を決してエリシャのもとを訪れます。

しかしエリシャの言葉はナアマンにとって全く期待はずれでありました。

あなたはヨルダンに行って七たび身を洗いなさい。 そうすれば、あなたの肉はもとにかえって清くなるでしょう。

せっかく苦労して来た結果、 聞くことの出来たエリシャの言葉が拍子ねけするほどあっさりしたものであったゆえ、 ナアマンは怒って帰ろうとしましたが、 側近の説得によって思い直してヨルダン川に身を浸したところ、 あれほど苦しんでいた病がいやされ清められたのです。

そこでナアマンは下って行って、 神の人の言葉のように七たびヨルダンに身を浸すと、 その肉がもとにかえって幼子のようになり、清くなった。

このように人間とは不思議なもので、 神のことばになかなか素直に心を開いて決心することができないものです。 時に自分の経験が、時に知識が、時にプライドが、 神のことばに聞き従うことを妨げます。

神のことばと言えば、わたしたちが素直に聞き従うべき言葉があります。 それは十字架の血潮のきよめです。

…御子イエスの血が、すべての罪からわたしたちをきよめるのである。

このようにわたしたちもナアマンのように、 いっさいの自負心や人間的思いをすてて、 ひたすら血潮のきよめにあずかって神の恵みに生きる者とさせていただきましょう。

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2005年08月07日

主日礼拝「お言葉ですからの信仰」

10:15より、主日礼拝 が行われました。

聖書
ルカによる福音書5章1-11節
説教題
お言葉ですからの信仰
説教者
加藤郁生師
出席者数
55人

聖書: ルカによる福音書5章1-11節 (中心聖句は5節) 口語訳

1
さて、群衆が神の言を聞こうとして押し寄せてきたとき、イエスはゲネサレ湖畔に立っておられたが、
2
そこに二そうの小舟が寄せてあるのをごらんになった。漁師たちは、舟からおりて網を洗っていた。
3
その一そうはシモンの舟であったが、イエスはそれに乗り込み、シモンに頼んで岸から少しこぎ出させ、そしてすわって、舟の中から群衆にお教えになった。
4
話がすむと、シモンに「沖へこぎ出し、網をおろして漁をしてみなさい」と言われた。
5
シモンは答えて言った、「先生、わたしたちは夜通し働きましたが、何も取れませんでした。しかし、お言葉ですから、網をおろしてみましょう」。
6
そしてそのとおりにしたところ、おびただしい魚の群れがはいって、網が破れそうになった。
7
そこで、もう一そうの舟にいた仲間に、加勢に来るよう合図をしたので、彼らがきて魚を両方の舟いっぱいに入れた。そのために、舟が沈みそうになった。
8
これを見てシモン・ペテロは、イエスのひざもとにひれ伏して言った、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者です」。
9
彼も一緒にいた者たちもみな、取れた魚がおびただしいのに驚いたからである。
10
シモンの仲間であったゼベダイの子ヤコブとヨハネも、同様であった。すると、イエスがシモンに言われた、「恐れることはない。今からあなたは人間をとる漁師になるのだ」。
11
そこで彼らは舟を陸に引き上げ、いっさいを捨ててイエスに従った。

礼拝メッセージの要約 「お言葉ですからの信仰」 加藤郁生師

ゲネサレ(ガリラヤ)湖畔で話をしておられたイエス様がペテロに言われました。

沖へこぎ出し、網をおろして漁をしてみなさい。

このイエス様の言葉を聞いた時、 きっとペテロの心に当惑と葛藤が生じたことでしょう。

自分は一生懸命夜通しかかって漁をしたのだ。 しかし何も取れなかった。 イエス様はもともと大工ではないか。 漁のことが分かるのだろうか?

そう思ったとしても不思議はありません。 しかしここで、ペテロはイエス様のお言葉に聞き従いました。

先生、わたしたちは夜通し働きましたが、何もとれませんでした。 しかし、お言葉ですから、網をおろしてみましょう。

はたしてペテロがイエス様のお命じになったとおりにすると、 びっくりするほどの魚がとれました。

この事はわたしたちに大切なことを教えます。 わたしたちもペテロと同じように自分の経験、 知恵に頼って行き詰まることがあります。

しかしそのような時にこそ主のみ言葉を求め、 「お言葉ですから」とみ言葉に従いたいと思います。 そうするならば主はわたしたちの思いをはるかに超えた祝福を与えてくださるのです。

このことについて信仰の先人は多くの言葉を残しています。

信仰とは何かというなら、外面的な環境や内面的な感情によってではなく、 神様が言われたという理由で、それを真実であると信じることであります。 (R.C.マックィルキン)

わたしたちも「お言葉ですから」の信仰を持って歩んでいきましょう。

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2005年07月31日

主日礼拝「神を慕いあえぐ信仰者」

10:15より、主日礼拝 が行われました。

聖書
詩篇42篇
説教題
神を慕いあえぐ信仰者
説教者
加藤郁生師
出席者数
69人

聖書: 詩篇42章1-11節 (中心聖句は1節) 口語訳

1
神よ、しかが谷川を慕いあえぐように、わが魂もあなたを慕いあえぐ。
2
わが魂はかわいているように神を慕い、いける神を慕う。いつ、わたしは行って神のみ顔を見ることができるだろうか。
3
人々がひねもすわたしにむかって「おまえの神はどこにいるのか」と言いつづける間はわたしの涙は昼も夜もわたしの食物であった。
4
わたしはかつて祭を守る多くの人と共に群れをなして行き、喜びと感謝の歌をもって彼らを神の家に導いた。今これらの事を思い起して、わが魂をそそぎ出すのである。
5
わが魂よ、何ゆえうなだれるのか。何ゆえわたしのうちに思いみだれるのか。神を待ち望め。わたしはなおわが助け、わが神なる主をほめたたえるであろう。
6
わが魂はわたしのうちにうなだれる。それで、わたしはヨルダンの地から、またヘルモンから、ミザルの山からあなたを思い起す。
7
あなたの大滝の響きによって淵々呼びこたえ、あなたの波、あなたの大波はことごとくわたしの上を越えていった。
8
昼には、主はそのいつくしみをほどこし、夜には、その歌すなわちわがいのちの神にささげる祈がわたしと共にある。
9
わたしはわが岩なる神に言う、「何ゆえわたしをお忘れになりましたか。何ゆえわたしは敵のしえたげによって悲しみ歩くのですか」と。
10
わたしのあだは骨も砕けるばかりにわたしをののしり、ひねもすわたしにむかって「おまえの神はどこにいるのか」と言う。
11
わが魂よ、何ゆえうなだれるのか。何ゆえわたしのうちに思いみだれるのか。神を待ち望め。わたしはなおわが助け、わが神なる主をほめたたえるであろう。

礼拝メッセージの要約 「神を慕いあえぐ信仰者」 加藤郁生師

神よ、しかが谷川を慕いあえぐように、 わが魂もあなたを慕いあえぐ。

わたしたちの心を慰め励ます御言葉ですが、 同時に切実なものでもあります。 それは、 生い茂る緑の中で満々とたたえられた川の水を求めて飲むというのではなくて、 灼熱のようなな日照りの中で 水の無いカラカラに渇いたイスラエルの荒野をさまよい歩く中で、 必死に谷川の水を慕い求める鹿の姿をあらわしています。 詩篇の作者はこの鹿のように神を慕い求めることを告白しているのです。

もとより詩篇の作者にはのっぴきならない事情がありました。 彼はおそらくイスラエルの神殿を司る祭司でしたが、 バビロニヤによって国を滅ぼされ異国に連れ去られてしまいました。 ですから異邦人はひねもす作者に向って 「おまえの神はどこにいるのか」と嘲笑し続け、 作者は自分が神殿で奉仕をすることが出来た時のことを思い出して 涙を流しうなだれるのでした。

そのような作者にとっての唯一の希望は誰でしょうか? 作者はうたいます。

何ゆえうなだれるのか。神を待ち望め。

作者は絶望の中でなお神を待ち望むのです。 鹿が涸れた谷川を慕いあえぐように、 絶望の中で作者は神を待ち望みます。 これは詩篇の中であらわされる信仰者の姿ですが、 わたしたちもこの作者の信仰に習いたいと思います。

試練や困難や絶望の中、 なお神を神に希望を置いて歩む者とさせていただきましょう。

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2005年07月24日

主日礼拝「わきあがる命の水」

10:15より、主日礼拝 が行われました。

聖書
ヨハネによる福音書4章1-15節
説教題
わきあがる命の水
説教者
加藤郁生師
出席者数
63人

聖書: ヨハネによる福音書4章1-15節 (中心聖句は14節) 口語訳

1
イエスが、ヨハネよりも多く弟子をつくり、またバプテスマを授けておられるということを、パリサイ人たちが聞き、それを主が知られたとき、
2
(しかし、イエスみずからが、バプテスマをお授けになったのではなく、その弟子たちであった)
3
ユダヤを去って、またガリラヤへ行かれた。
4
しかし、イエスはサマリヤを通過しなければならなかった。
5
そこで、イエスはサマリヤのスカルという町においでになった。この町は、ヤコブがその子ヨセフに与えた土地の近くにあったが、
6
そこにヤコブの井戸があった。イエスは旅の疲れを覚えて、そのまま、この井戸のそばにすわっておられた。時は昼の十二時ごろであった。
7
ひとりのサマリヤの女が水をくみにきたので、イエスはこの女に、「水を飲ませて下さい」と言われた。
8
弟子たちは食物を買いに町に行っていたのである。
9
すると、サマリヤの女はイエスに言った、「あなたはユダヤ人でありながら、どうしてサマリヤの女のわたしに、飲ませてくれとおっしゃるのですか」。これは、ユダヤ人はサマリヤ人と交際していなかったからである。
10
イエスは答えて言われた、「もしあなたが神の賜物のことを知り、また、『水を飲ませてくれ』と言った者が、だれであるか知っていたならば、あなたの方から願い出て、その人から生ける水をもらったことであろう」。
11
女はイエスに言った、「主よ、あなたは、くむ物をお持ちにならず、その上、井戸は深いのです。その生ける水を、どこから手に入れるのですか。
12
あなたは、この井戸を下さったわたしたちの父ヤコブよりも、偉いかたなのですか。ヤコブ自身も飲み、その子らも、その家畜も、この井戸から飲んだのですが」。
13
イエスは女に答えて言われた、「この水を飲む者はだれでも、またかわくであろう。
14
しかし、わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう」。
15
女はイエスに言った、「主よ、わたしがかわくことがなく、また、ここにくみにこなくてもよいように、その水をわたしに下さい」。

礼拝メッセージの要約 「わきあがる命の水」 加藤郁生師

この水を飲む者はだれでも、またかわくであろう。 しかし、わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、 かわくことのないばかりか、わたしが与える水は、 その人のうちで泉となり、永遠に至る水が、わきあがるであろう。

このようにイエス様はサマリヤの女に命の水を飲むことを促しました。 この命の水は、どのようなものでしたでしょうか。

  1. イエス様ご自身が与えて下さる水でした。

    わたしが与える水を飲む者は

    わたしたち人間の魂をうるおす命の水を与えて下さるお方は、 イエス様ご自身です。 わたしたちの魂が霊的な渇きを覚える時、 わたしたちが行くべき所はイエス様のところです。

    だれでもかわく者は、わたしのところに来て飲むがよい。

    そのようにイエス様はわたしたちを満たしてくださるのです。

  2. 尽きることのない泉でした。

    その人のうちで泉となり

    イエス様がわたしたちに与えてくださる水は、 決してつきることがありません。 泉のようにるいるいとわたしたちの内を満たします。 その無尽蔵の恵みをもって、 わたしたちにキリストの愛と喜びと平安と力を満たします。

  3. 永遠の命に至る水でした。

    永遠の命に至る水が、わきあがるであろう。

    キリスト教の救いは永遠の命に至る救いです。 西洋のことわざの中に、「死を思え」と言うのがありますが、 わたしたちクリスチャンは死の先にある永遠の命を覚えたいと思うのです。 イエス様はこの命を惜しみなく満たしてくださるお方なのです。

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