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2007年01月21日
10:30より、主日礼拝 が行われました。
- 聖書
- ヨハネによる福音書6章1-14節
- 説教題
- 主に養われる信仰者
- 説教者
- 加藤郁生師
- 出席者数
- 77人
聖書: ヨハネによる福音書6章1-14節 (中心聖句は11節) 口語訳
- 1
- そののち、イエスはガリラヤの海、すなわち、テベリヤ湖の向こう岸へ渡られた。
- 2
- すると、大ぜいの群衆がイエスについてきた。病人たちになさっていたしるしを見たからである。
- 3
- イエスは山に登って、弟子たちと一緒にそこで座につかれた。
- 4
- 時に、ユダヤ人の祭である過越が間近になっていた。
- 5
- イエスは目をあげ、大ぜいの群衆が自分の方に集まって来るのを見て、ピリポに言われた、「どこからパンを買ってきて、この人々に食べさせようか」。
- 6
- これはピリポをためそうとして言われたのであって、ご自分ではしようとすることを、よくご承知であった。
- 7
- すると、ピリポはイエスに答えた、「二百デナリのパンがあっても、めいめいが少しずついただくにも足りますまい」。
- 8
- 弟子のひとり、シモン・ペテロの兄弟アンデレがイエスに言った、
- 9
- 「ここに、大麦のパン五つと、さかな二ひきとを持っている子供がいます。しかし、こんなに大ぜいの人では、それが何になりましょう」。
- 10
- イエスは「人々をすわらせなさい」と言われた。その場所には草が多かった。そこにすわった男の数は五千人ほどであった。
- 11
- そこで、イエスはパンを取り、感謝してから、すわっている人々に分け与え、また、さかなをも同様にして、彼らの望むだけ分け与えられた。
- 12
- 人々がじゅうぶんに食べたのち、イエスは弟子たちに言われた、「少しでもむだにならないように、パンくずのあまりを集めなさい」。
- 13
- そこで彼らが集めると、五つの大麦のパンを食べて残ったパンくずは、十二のかごにいっぱいになった。
- 14
- 人々はイエスのなさったこのしるしを見て、「ほんとうに、この人こそ世にきたるべき預言者である」と言った。
礼拝メッセージの要約
「主に養われる信仰者」
加藤郁生師
わたしたちクリスチャンは、救われて後、
以前のように自分の努力、自分の力で生きるものではありません。
わたしたちと共におられる内住のキリスト、御霊様に養われて生かさる者となっているのです。
5,000人の給食は、そのことをわたしたちに示します。
主に従う者たちの必要
イエスについて来た大勢の群集を見て、イエス様は彼らの空腹と疲れを見て取られ、
「どこからパンを買ってきて、この人々に食べさせようか」と言われました。
彼らは何も持ち合わせていなかったのでした。
わたしたちも、この点では同様ではないでしょうか。
わたしたちも主の前に、みな何も持ち合わせていない貧しい存在でしかないからです。
弟子達の答え
それに対して、弟子のピリポは常識的な答えしかしませんでした。
アンデレも子どもを連れて来ましたが、懐疑的でした。
彼らはイエス様を前にして、主に何も求めなかったのです。
わたしたちも、ともすれば現実の中に埋もれて、主に必要を求めることを忘れてしまいがちです。
そして自分の力、判断、才覚に頼ってしまうのです。
主イエスのなさったこと
しかし主は人々をすわらせ、子供の持っていたパンと魚を手にし、それらを分け与えました。
彼らはパンを買えないことを、わずかのパンと魚しか持ち合わせていないことに、
失望する必要はありませんでした。
主を認め、主から必要をいただけば良かったのでした。
その意味でわたしたちも、イエス様のところに行くならば、求めるならば、献げるならば、
主が私たちを養ってくださる、最善をもって生かし、導いてくださるという信仰をいただきたいと思います。
臨在の主こそ、わたしたちの命の糧の源なるお方だからです。
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2007年01月14日
10:30より、主日礼拝 が行われました。
- 聖書
- ヨハネによる福音書11章17-44節
- 説教題
- 神の栄光を見る信仰者
- 説教者
- 加藤郁生師
- 出席者数
- 74人
聖書: ヨハネによる福音書11章17-44節 (中心聖句は40節) 口語訳
- 17
- さて、イエスが行ってごらんになると、ラザロはすでに四日間も墓の中に置かれていた。
- 18
- ベタニヤはエルサレムに近く、二十五丁ばかり離れたところにあった。
- 19
- 大ぜいのユダヤ人が、その兄弟のことで、マルタとマリヤとを慰めようとしてきていた。
- 20
- マルタはイエスがこられたと聞いて、出迎えに行ったが、マリヤは家ですわっていた。
- 21
- マルタはイエスに言った、「主よ、もしあなたがここにいて下さったなら、わたしの兄弟は死ななかったでしょう。
- 22
- しかし、あなたがどんなことをお願いになっても、神はかなえて下さることを、わたしは今でも存じています」。
- 23
- イエスはマルタに言われた、「あなたの兄弟はよみがえるであろう」。
- 24
- マルタは言った、「終りの日のよみがえりの時よみがえることは、存じています」。
- 25
- イエスは彼女に言われた、「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。
- 26
- また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない。あなたはこれを信じるか」。
- 27
- マルタはイエスに言った、「主よ、信じます。あなたがこの世にきたるべきキリスト、神の御子であると信じております」。
- 28
- マルタはこう言ってから、帰って姉妹のマリヤを呼び、「先生がおいでになって、あなたを呼んでおられます」と小声で言った。
- 29
- これを聞いたマリヤはすぐに立ち上がって、イエスのもとに行った。
- 30
- イエスはまだ村に、はいってこられず、マルタがお迎えしたその場所におられた。
- 31
- マリヤと一緒に家にいて彼女を慰めていたユダヤ人たちは、マリヤが急いで立ち上がって出て行くのを見て、彼女は墓に泣きに行くのであろうと思い、そのあとからついて行った。
- 32
- マリヤは、イエスのおられる所に行ってお目にかかり、その足もとにひれ伏して言った、「主よ、もしあなたがここにいて下さったなら、わたしの兄弟は死ななかったでしょう」。
- 33
- イエスは、彼女が泣き、また、彼女と一緒にきたユダヤ人たちも泣いているのをごらんになり、激しく感動し、また心を騒がせ、そして言われた、
- 34
- 「彼をどこに置いたのか」。彼らはイエスに言った、「主よ、きて、ごらん下さい」。
- 35
- イエスは涙を流された。
- 36
- するとユダヤ人たちは言った、「ああ、なんと彼を愛しておられたことか」。
- 37
- しかし、彼らのある人たちは言った、「あの盲人の目をあけたこの人でも、ラザロを死なせないようには、できなかったのか」。
- 38
- イエスはまた激しく感動して、墓にはいられた。それは洞穴であって、そこに石がはめてあった。
- 39
- イエスは言われた、「石を取りのけなさい」。死んだラザロの姉妹マルタが言った、「主よ、もう臭くなっております。四日もたっていますから」。
- 40
- イエスは彼女に言われた、「もし信じるなら神の栄光を見るであろうと、あなたに言ったではないか」。
- 41
- 人々は石を取りのけた。すると、イエスは目を天にむけて言われた、「父よ、わたしの願いをお聞き下さったことを感謝します。
- 42
- あなたがいつでもわたしの願いを聞きいれて下さることを、よく知っています。しかし、こう申しますのは、そばに立っている人々に、あなたがわたしをつかわされたことを、信じさせるためであります」。
- 43
- こう言いながら、大声で「ラザロよ、出てきなさい」と呼ばわれた。
- 44
- すると、死人は手足を布でまかれ、顔も顔おおいで包まれたまま、出てきた。イエスは人々に言われた、「彼をほどいてやって、帰らせなさい」。
礼拝メッセージの要約
「神の栄光を見る信仰者」
加藤郁生師
わたしたちにとって信仰は、知識ではなく体験を伴うものです。
わたしたちが信仰を持つという時、自分自身が信仰の主体とならなければなりません。
そしてわたしたちが主を信じ、主の語りかけに従う時に、神の栄光があらわされます。
「石を取りのけなさい」
ラザロの死に涙を流された主イエスは、人々に「石を取りのけなさい」と言いました。
これはマルタ、マリヤ達にとって信仰のチャレンジとなりました。
考えて見れば、わたしたちの前にもいろいろ置かれています。
不信仰、疑い、失望、絶望といった石が重く横たわっています。
しかし主は、その石をとりのけなさいとおっしゃるのです。
「主よ、もう臭くなっております」
イエス様のご命令に対して先に「主よ、信じます」と信仰を告白していたマルタは、
上記のような常識的な返答をします。
しかしイエスが求めていたのは、これと違いました。
わたしたちもともすれば主をのご命令をいただきながら、
「主よ、もう臭くなっております」的な返答をもって、信じて従うことを厭います。
「もし信じるなら神の栄光を見るであろうと、あなたに言ったではないか」
これに対して主は、信じて石を取りのけることを促しました。
信じることは、石を取りのけることです。
神の語りかけ、神のご命令に答えて従うことです。
もしわたしたちが信じてわたしたちの前にある重い石をとりのけるなら、
わたしたちは神の栄光を見ると主はお約束くださっているのです。
ですからわたしたちは、この神からいただいた信仰のチャレンジに応答して、
神の栄光を見る者とさせていただこうではありませんか。
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2007年01月07日
10:30より、主日礼拝 が行われました。
- 聖書
- 創世記12章1-4節
- 説教題
- 祝福の基として
- 説教者
- 加藤郁生師
- 出席者数
- 62人
聖書: 創世記12章1-4節 (中心聖句は2節) 口語訳
- 1
- 時に主はアブラムに言われた、「あなたは国を出て、親族に別れ、父の家を離れ、わたしが示す地に行きなさい。
- 2
- わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。あなたは祝福の基となるであろう。
- 3
- あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地のすべてのやからは、あなたによって祝福される」。
- 4
- アブラムは主が言われたようにいで立った。ロトも彼と共に行った。アブラムはハランを出たとき七十五歳であった。
礼拝メッセージの要約
「祝福の基として」
加藤郁生師
アブラハムの旅立ちを通して、今年の神様からのチャレンジをいただいています。
アブラハムの旅は信仰の旅でした。
アブラハムの旅は、自分の計画によるものではありませんでした。
「わたしの示す地に行きなさい」との神様からの召命をいただいて、旅立ちました。
ですから、アブラハムの行き先ははっきりと定まったものではありませんでした。
手探りのような旅でありました。
しかしそれは、信仰による旅でした。
ただ神のお言葉に従って歩む、信仰の冒険でした。
アブラハムの旅は祝福の旅でした。
アブラハムの召命には祝福の約束が伴いました。
あなたは祝福の基となるであろう。
「祝福の基」とは、原語は「祝福そのものになる」という意味であり、
詳しくは「祝福たれ!」と言う命令形です。
ですから神様は、アブラハムを通して祝福がすべての及ぶことを御旨としておられるのです。
わたしたちの旅も、祝福の基となることを期待したいのです。
アブラハムの旅は臨在の旅でした。
アブラハムは行く先で祭壇を築き、主の名を呼びました。
アブラハムの旅は、臨在の旅でありました。
もちろんアブラハムは、主に従う点で失敗もあり、不完全な所もありました。
しかし臨在の主との関係は、崩れる事はなかったのです。
主は決して、アブラハムを捨てませんでした。
わたしたちの旅も、このような臨在の恵みに生かされる旅でありたいと思うのです。
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2007年01月01日
元旦礼拝「主の臨在に歩む教会」
11:00より、元旦礼拝 が行われました。
- 聖書
- 出エジプト記33章12-14節
- 説教題
- 主の臨在に歩む教会
- 説教者
- 加藤郁生師
- 出席者数
- 53人
聖書: 出エジプト記33章12-14節 (中心聖句は14節) 口語訳
- 12
- モーセは主に言った、「ごらんください。あなたは『この民を導きのぼれ』とわたしに言いながら、わたしと一緒につかわされる者を知らせてくださいません。しかも、あなたはかつて『わたしはお前を選んだ。お前はまたわたしの前に恵みを得た』と仰せになりました。
- 13
- それで今、わたしがもし、あなたの前に恵みを得ますならば、どうか、あなたの道を示し、あなたをわたしに知らせ、あなたの前に恵みを得させてください。また、この国民があなたの民であることを覚えてください」。
- 14
- 主は言われた「わたし自身が一緒に行くであろう。そしてあなたに安息を与えるであろう」。
本日は礼拝メッセージの要約はありません。
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2006年12月31日
10:30より、主日礼拝 が行われました。
- 聖書
- 詩篇103篇
- 説教題
- すべてのめぐみを心にとめよ
- 説教者
- 加藤郁生師
- 出席者数
- 58人
聖書: 詩篇103章1-22節 (中心聖句は2節) 口語訳
- 1
- わがたましいよ、主をほめよ。わがうちなるすべてのものよ、その聖なるみ名をほめよ。
- 2
- わがたましいよ、主をほめよ。そのすべてのめぐみを心にとめよ。
- 3
- 主はあなたのすべての不義をゆるし、あなたのすべての病をいやし、
- 4
- あなたのいのちを墓からあがないいだし、いつくしみと、あわれみとをあなたにこうむらせ、
- 5
- あなたの生きながらえるかぎり、良き物をもってあなたを飽き足らせられる。こうしてあなたは若返って、わしのように新たになる。
- 6
- 主はすべてしえたげられる者のために正義と公正とを行われる。
- 7
- 主はおのれの道をモーセに知らせ、おのれのしわざをイスラエルの人々に知らせられた。
- 8
- 主はあわれみに富み、めぐみふかく、怒ること遅く、いつくしみ豊かでいらせられる。
- 9
- 主は常に責めることをせず、また、とこしえに怒りをいだかれない。
- 10
- 主はわれらの罪にしたがってわれらをあしらわず、われらの不義にしたがって報いられない。
- 11
- 天が地よりも高いように、主がおのれを恐れる者に賜わるいつくしみは大きい、
- 12
- 東が西から遠いように、主はわれらのとがをわれらから遠ざけられる。
- 13
- 父がその子供をあわれむように、主はおのれを恐れる者をあわれまれる。
- 14
- 主はわれらの造られたさまを知り、われらのちりであることを覚えていられるからである。
- 15
- 人は、そのよわいは草のごとく、その栄えは野の花にひとしい。
- 16
- 風がその上を過ぎると、うせて跡なく、その場所にきいても、もはやそれを知らない。
- 17
- しかし主のいつくしみは、とこしえからとこしえまで、主を恐れる者の上にあり、その義は子らの子に及び、
- 18
- その契約を守り、その命令を心にとめて行う者にまで及ぶ。
- 19
- 主はその玉座を天に堅くすえられ、そのまつりごとはすべての物を統べ治める。
- 20
- 主の使たちよ、そのみ言葉の声を聞いて、これを行う勇士たちよ、主をほめまつれ。
- 21
- そのすべての万軍よ、そのみこころを行うしもべたちよ、主をほめよ。
- 22
- 主が造られたすべての物よ、そのまつりごとの下にあるすべての所で、主をほめよ。わがたましいよ、主をほめよ。
礼拝メッセージの要約
「すべてのめぐみを心にとめよ」
加藤郁生師
わたしたちの信仰生活には、常に神様のめぐみがあります。
そのめぐみを、いつも心にとめることが大切です。
「主はあなたのすべての不義をゆるし」
主はゆるし主です。
そのゆるしは、わたしたちのすべての罪に及ぶのです。
主はわたしたちをゆるすために、神の御子イエス・キリストを十字架につけられました。
キリストの十字架の犠牲の血のゆえに、わたしたちは完全なゆるしを得ているのです。
このめぐみを心にとめなければなりません。
本来私たちは、罪に滅ぶ者であったはずですから。
「主はあなたのすべての病をいやし」
ここで言う病のいやしとは、身体も心も魂も適用されるべきものです。
わたしたちは主のめぐみによって、あらゆる点においていやされ生かされているのです。
体の傷がいやされるように、主はいやされなければならない心の傷をもいやしてくださるお方です。
わたしたちはいやされるべきものを、主の前に持ち出せばいいのです。
「良き物をもってあなたを飽き足らせられる」
主はあがない主です。
そして一度わたしたちをあがない取ってくださる主は、
最後まで主のご真実にかけてわたしたちを助け、支え、導いてくださるお方です。
この詩篇でも主は
あなたの生きながらえるかぎり、
良き物をもってあなたを飽き足らせられる
とお約束くださいました。
主はわたしたちを慈しむことを、望んでおられるのです。
この主のめぐみを心にとめましょう。
そして主のめぐみに生かされつつ前進する
わたしたちの信仰生活とさせていただきましょう。
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