毎週日曜日、以下の礼拝を行っています。ぜひお越しください。
09:30~ 教会学校 乳幼児~高校生、ぜひご家族とご一緒に
10:30~ 主日礼拝 賛美、聖書のメッセージなど
19:00~ 夕拝 朝の礼拝には時間が合わない方のために
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2006年12月24日

クリスマス礼拝「その名はインマヌエル」

10:30より、クリスマス礼拝 が行われました。

聖書
マタイによる福音書1章18-25節
説教題
その名はインマヌエル
説教者
加藤郁生師
出席者数
78人

聖書: マタイによる福音書1章18-25節 (中心聖句は23節) 口語訳

18
イエス・キリストの誕生の次第はこうであった。母マリヤはヨセフと婚約していたが、まだ一緒にならない前に、聖霊によって身重になった。
19
夫ヨセフは正しい人であったので、彼女のことが公けになることを好まず、ひそかに離縁しようと決心した。
20
彼がこのことを思いめぐらしていたとき、主の使が夢に現れて言った、「ダビデの子ヨセフよ、心配しないでマリヤを妻として迎えるがよい。その胎内に宿っているものは聖霊によるのである。
21
彼女は男の子を産むであろう。その名をイエスと名づけなさい。彼は、おのれの民をそのもろもろの罪から救う者となるからである」。
22
すべてこれらのことが起ったのは、主が預言者によって言われたことの成就するためである。すなわち、
23
「見よ、おとめがみごもって男の子を産むであろう。その名はインマヌエルと呼ばれるであろう」。これは、「神われらと共にいます」という意味である。
24
ヨセフは眠りからさめた後に、主の使が命じたとおりに、マリヤを妻に迎えた。
25
しかし、子が生れるまでは、彼女を知ることはなかった。そして、その子をイエスと名づけた。

礼拝メッセージの要約 「その名はインマヌエル」 加藤郁生師

イエス・キリストにはもう一つの名前があります。 その名は、インマヌエル(神われらと共にいます)です。 イエス様はこの名をもって、この世に誕生されました。

  1. この世に降りたもうインマヌエル

    神は唯一まことの絶対神であり、地の果ての創造者です。 神は無限です。 一方人間は、被造物であり有限なる存在です。 有限なるわたしたち人間に、無限なる神様がどのようにしてインマヌエル、 共にいてくださるのでしょうか。

    答えはキリストの受肉です。 キリストはわたしたちと共にいてくださるために、 この無限を突き破って有限なる世に降ってくださったのです。

    キリストの御存在こそ、 神がわたしたちと共にいてくださることの確かなしるしなのです。

  2. わたしたちをお救いくださるインマヌエル

    彼女は男の子を産むであろう。その名をイエスと名づけなさい。 彼はおのれの民をそのもろもろの罪から救う者となるからである。

    キリストは、この世に目的をもって誕生しました。 それは罪からの救いです。 キリストはわたしたちと共にいながら、わたしたちを罪からお救いくださるお方でした。 十字架のご苦難を通して、 わたしたちが負うべきすべての罪を背負って救いを完了してくださったのです。

  3. 慰め主たるインマヌエル

    主はわたしたちとお救いくださるだけでなく、救われた者と共にいて、 わたしたちを助け、支え、慰め、励ましてくださるお方です。 しかも主は、永遠に共にいてくださるお方です。

    主は言われました。

    見よ、わたし世の終わりまで、いつもあながたと共にいるのである。マタイ28:20

    このようにイエス様は天に帰れられた後も、 臨在の、内住の御霊として、 また終わりの時に来たりたもう再臨の主としていつもわたしたちと永遠に共にいてくださり、 ご自身の御手をもってわたしたちを強め慰めてくださるのです。

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2006年12月17日

主日礼拝「彼を受け入れた者、受け入れなかった者」

10:30より、主日礼拝 が行われました。

聖書
ヨハネによる福音書1章9-13節
説教題
彼を受け入れた者、受け入れなかった者
説教者
加藤郁生師
出席者数
71人

聖書: ヨハネによる福音書1章9-13節 (中心聖句は12節) 口語訳

9
すべての人を照すまことの光があって、世にきた。
10
彼は世にいた。そして、世は彼によってできたのであるが、世は彼を知らずにいた。
11
彼は自分のところにきたのに、自分の民は彼を受けいれなかった。
12
しかし、彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。
13
それらの人は、血すじによらず、肉の欲によらず、また、人の欲にもよらず、ただ神によって生れたのである。

礼拝メッセージの要約 「彼を受け入れた者、受け入れなかった者」 加藤郁生師

キリストは、すべての人を照らすまことの光としてこの世にお出でくださいました。 キリストの光は救いの光、愛の光、希望の光でした。

しかしキリストを迎え入れるわたしたちの側は、二つに分かれます。 キリスト受け入れる者、キリストを受け入れなかった者です。

  1. キリストを受け入れなかった者

    マタイによる福音書2章は、 キリストの降誕に際して主を拒む者の姿を描いています。 ヘロデ大王です。

    ヘロデは東方から来た博士たちの話を聞き、不安を感じ、 イエス様を殺そうと企てます。 ヘロデにとって救い主の降誕は、自分の地位、 権力を脅かす災いでしかなかったのです。

    そしてとうとうヘロデは、 ベツレヘムに住む二歳以下の男の子をことごとく殺しました。

    ヘロデの行為は、自己中心的という意味で、 根っこのところでわたしたちとつながっています。 わたしたちの肉の性質は、キリストを受け入れることを喜ばないのです。

  2. キリストを受け入れる者

    しかし同じ異邦人でありながら対照的に、東方の博士たちはキリストを求めました。 彼らは星に導かれながら、長い大変な旅を経てとうとう救い主をつきとめました。 その時に彼らの心は「非常なよろこびにあふれた」(マタイ2:10)。 そして博士たちは用意していた宝物をささげて、幼子を礼拝し帰って行きました。

    聖書は約束します、 「彼を受け入れた者、すなわち、その名を信じた人々には、 彼は、神の子となる力を与えたのである」。

    わたしたちも、キリストを心に受け入れ、 大いなるよろこびをもって歩む者とさせていただきましょう。

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2006年12月10日

主日礼拝「信仰によって主を待ち望んだ人々~ヨセフとマリヤ」

10:30より、主日礼拝 が行われました。

聖書
ルカによる福音書1章26-38節, マタイによる福音書1章18-25節
説教題
信仰によって主を待ち望んだ人々~ヨセフとマリヤ
説教者
加藤郁生師
出席者数
62人

聖書: ルカによる福音書1章26-38節 (中心聖句は38節) 口語訳

26
六か月目に、御使ガブリエルが、神からつかわされて、ナザレというガリラヤの町の一処女のもとにきた。
27
この処女はダビデ家の出であるヨセフという人のいいなづけになっていて、名をマリヤといった。
28
御使がマリヤのところにきて言った、「恵まれた女よ、おめでとう、主があなたと共におられます」。
29
この言葉にマリヤはひどく胸騒ぎがして、このあいさつはなんの事であろうかと、思いめぐらしていた。
30
すると御使が言った、「恐れるな、マリヤよ、あなたは神から恵みをいただいているのです。
31
見よ、あなたはみごもって男の子を産むでしょう。その子をイエスと名づけなさい。
32
彼は大いなる者となり、いと高き者の子と、となえられるでしょう。そして、主なる神は彼に父ダビデの王座をお与えになり、
33
彼はとこしえにヤコブの家を支配し、その支配は限りなく続くでしょう」。
34
そこでマリヤは御使に言った、「どうして、そんな事があり得ましょうか。わたしにはまだ夫がありませんのに」。
35
御使が答えて言った、「聖霊があなたに臨み、いと高き者の力があなたをおおうでしょう。それゆえに、生れ出る子は聖なるものであり、神の子と、となえられるでしょう。
36
あなたの親族エリサベツも老年ながら子を宿しています。不妊の女といわれていたのに、はや六か月になっています。
37
神には、なんでもできないことはありません」。
38
そこでマリヤが言った、「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように」。そして御使は彼女から離れて行った。

聖書: マタイによる福音書1章18-25節 口語訳

18
イエス・キリストの誕生の次第はこうであった。母マリヤはヨセフと婚約していたが、まだ一緒にならない前に、聖霊によって身重になった。
19
夫ヨセフは正しい人であったので、彼女のことが公けになることを好まず、ひそかに離縁しようと決心した。
20
彼がこのことを思いめぐらしていたとき、主の使が夢に現れて言った、「ダビデの子ヨセフよ、心配しないでマリヤを妻として迎えるがよい。その胎内に宿っているものは聖霊によるのである。
21
彼女は男の子を産むであろう。その名をイエスと名づけなさい。彼は、おのれの民をそのもろもろの罪から救う者となるからである」。
22
すべてこれらのことが起ったのは、主が預言者によって言われたことの成就するためである。すなわち、
23
「見よ、おとめがみごもって男の子を産むであろう。その名はインマヌエルと呼ばれるであろう」。これは、「神われらと共にいます」という意味である。
24
ヨセフは眠りからさめた後に、主の使が命じたとおりに、マリヤを妻に迎えた。
25
しかし、子が生れるまでは、彼女を知ることはなかった。そして、その子をイエスと名づけた。

礼拝メッセージの要約 「信仰によって主を待ち望んだ人々~ヨセフとマリヤ」 加藤郁生師

主の御降誕の際に、ヨセフとマリヤはキリストの父と母となりました。 それは彼らの意図することではありませんでしたが、ヨセフとマリヤは信仰をもって神の御心を受け入れました。

  1. マリヤの場合

    ヨセフのいいなずけであったマリヤはある時、御使いガブリエルから神の子、 救い主を胎に宿すと言うお告げを受けました。

    マリヤにとって、自分の肉体を通って救い主がお生まれになるということは想像も出来ないことでした。 救い主の母となることが彼女の人生にどのような影響を及ぼすことになるのでしょうか? あまりのことの大きさに、戸惑い恐れても仕方のないことでした。

    しかし、マリヤはみ使いの声に信仰をもって、 「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように」 と答えました。 マリヤは待ち望まれていた救い主の御降誕を、信仰をもって自らの身に引き受けたのでした。

  2. ヨセフの場合

    婚約者のマリヤが身重になったことを知ったヨセフは、どれほどか悩んだことでしょう。

    ヨセフがとった決断はひそかに離縁することでした。 ところがそのような中、主の使いが夢に現れて、 生まれ来る子がおのれの民をそのもろもろの罪から救う救い主であることをヨセフに告げるのです。 それは「神われらと共にいます」という、インマヌエルの主でありました。

    主のお告げを聞いて、ヨセフの決心は変りました。 主の使いが命じられたとおりに、マリヤを妻として迎えました。 ヨセフもまた、信仰をもって待ち望まれた救い主の御降誕を自らの身に引き受けたのでした。

このように、救い主の御降誕の背後にヨセフとマリヤの信仰の決心がありました。 もちろん全能の神は、ヨセフ、マリヤを通さずしてご自身の御計画をまっとうすることも出来たでしょう。 しかし主は、ヨセフとマリヤの信仰を、ご自身の救いのみ業とのかかわりの中で求められたのです。

この点で、わたしたちもヨセフとマリヤの信仰に学びたいと思うのです。 わたしたちも信仰をもって、 「わたしたちの心に、本気でイエス様をお迎えします」と祈りたいと思うのです。 クリスマスとはそのように、 わたしたちがこの身をもって主を信じる信仰を新たにさせていただく時なのです。

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2006年12月03日

主日礼拝「待ち望みの時~アドヴェント」

10:30より、主日礼拝 が行われました。

聖書
ヨハネの黙示録22章12-17節
説教題
待ち望みの時~アドヴェント
説教者
加藤郁生師
出席者数
65人

聖書: ヨハネの黙示録22章12-17節 (中心聖句は12節) 口語訳

12
「見よ、わたしはすぐに来る。報いを携えてきて、それぞれのしわざに応じて報いよう。
13
わたしはアルパであり、オメガである。最初の者であり、最後の者である。初めであり、終りである。
14
いのちの木にあずかる特権を与えられ、また門をとおって都にはいるために、自分の着物を洗う者たちは、さいわいである。
15
犬ども、まじないをする者、姦淫を行う者、人殺し、偶像を拝む者、また、偽りを好みかつこれを行う者はみな、外に出されている。
16
わたしイエスは、使をつかわして、諸教会のために、これらのことをあなたがたにあかしした。わたしは、ダビデの若枝また子孫であり、輝く明けの明星である」。
17
御霊も花嫁も共に言った、「きたりませ」。また、聞く者も「きたりませ」と言いなさい。かわいている者はここに来るがよい。いのちの水がほしい者は、価なしにそれを受けるがよい。

礼拝メッセージの要約 「待ち望みの時~アドヴェント」 加藤郁生師

アドヴェントとは、待ち望みの時です。 わたしたちはこのアドヴェントの期間に、キリストへの待ち望みの姿勢を学びます。

  1. キリストの初臨を待ち望んだシメオン

    新約の時代に、シメオンは正しい信仰深い人として救い主の来臨を待ち望んでいました。 救い主の来臨こそイスラエルが慰められる時だと、信じていたからです。

    そしてとうとう神殿で、幼子イエスに出会いました。 シメオンは大いなる喜びをもって、救い主の御名を讃えました。

    主よ、今こそ、あなたのみ言葉どおりに、 この僕を安らかに去らせてくださいます、 わたしの目が今あなたの救いを見たのですから。」

  2. キリストの再臨を待ち望んだ人々

    キリストの福音によって生み出された教会の人々は、 キリストがもう一度来てくださるという主の再臨を待ち望みました。

    そういう中で特にヨハネの黙示録が記された時代には、大迫害が起こりました。 人々は主の来臨を待ち望みつつ、ひたすら迫害に耐え、信仰を守り通しました。

    彼らは礼拝の中で、待ち望みの信仰を言い表わしたのです。

    しかりわたしはすぐに来る。アァメン、主イエスよ、来たりませ。」

    このように主を待ち望む信仰こそわたしたちの希望の源です。 わたしたちも初代教会のクリスチャンのように、 この困難な時代の中で待ち望みの信仰をもって歩むものとさせていただきましょう。

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2006年11月26日

主日礼拝「栄えある道(2)」

10:30より、主日礼拝 が行われました。

聖書
詩篇1篇
説教題
栄えある道(2)
説教者
加藤郁生師
出席者数
68人

聖書: 詩篇1章1-6節 (中心聖句は1節) 口語訳

1
悪しき者のはかりごとに歩まず、罪びとの道に立たず、あざける者の座にすわらぬ人はさいわいである。
2
このような人は主のおきてをよろこび、昼も夜もそのおきてを思う。
3
このような人は流れのほとりに植えられた木の時が来ると実を結び、その葉もしぼまないように、そのなすところは皆栄える。
4
悪しき者はそうでない、風の吹き去るもみがらのようだ。
5
それゆえ、悪しき者はさばきに耐えない。罪びとは正しい者のつどいに立つことができない。
6
主は正しい者の道を知られる。しかし、悪しき者の道は滅びる。

礼拝メッセージの要約 「栄えある道(2)」 加藤郁生師

詩篇1篇1節

あざける者の座にすわらぬ者の座にすわらぬ人はさいわいである

のみことばに、新約の光をあてさせていただきたいと思います。

新約の光と言いますと、これはイエス・キリスト様ご自身です。 具体的に言いますと、イエス様こそが、 「あざけるものの座にすわらぬ人」としての模範を示してくださったのです。

イエス様の弟子ペテロは、イエス様のお姿を手紙にとどめました。

キリストは罪を犯さず、その口には偽りがなかった。 ののしられても、ののしりかえさず、苦しめられても、おびやかすことをせず、 正しいさばきをするかたに、いっさいをゆだねておられた。

ペテロの目に映ったキリストは、どんなにののしられても、 ののしりかえすことをしないお姿でした。 キリストはけっして「あざけるものの座」にすわることをしませんでした。 正しいさばきをしてなされる父にすべてをゆだねて、十字架のご苦難を全とうされました。

福音書を見ますと、群衆や兵士がイエス様の顔につばをかけ、 顔を打ち、嘲笑した様子がまざまざと描かれております。 イエス様がどれほどいじめぬかれたか、それを思うと本当に心が痛みます。

しかし、そのイエス様が十字架にかかって口にしたお言葉は、

父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです。

でした。

キリストは自らを嘲弄し苦しめ、十字架につける者のために、 なおとりなしの祈りを父にささげたのです。

キリストはあざける者の座にすわることなく、 十字架のご苦難を全とうされ神の栄光をお受けになりました。 わたしたちもこのキリストに従って、あざけるものではなく、 ゆるしと愛をもって生きる者とさせていただき、 真に栄えある道を歩むものとさせていただきたいと思います。

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