毎週日曜日、以下の礼拝を行っています。ぜひお越しください。
09:30~ 教会学校 乳幼児~高校生、ぜひご家族とご一緒に
10:30~ 主日礼拝 賛美、聖書のメッセージなど
19:00~ 夕拝 朝の礼拝には時間が合わない方のために
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2006年09月10日

主日礼拝「彼らの信仰」

10:30より、主日礼拝 が行われました。

聖書
マルコによる福音書2章1-12節
説教題
彼らの信仰
説教者
加藤郁生師
出席者数
66人

聖書: マルコによる福音書2章1-12節 (中心聖句は5節) 口語訳

1
幾日かたって、イエスがまたカペナウムにお帰りになったとき、家におられるといううわさが立ったので、
2
多くの人々が集まってきて、もはや戸口のあたりまでも、すきまが無いほどになった。そして、イエスは御言を彼らに語っておられた。
3
すると、人々がひとりの中風の者を四人の人に運ばせて、イエスのところに連れてきた。
4
ところが、群衆のために近寄ることができないので、イエスのおられるあたりの屋根をはぎ、穴をあけて、中風の者を寝かせたまま、床をつりおろした。
5
イエスは彼らの信仰を見て、中風の者に、「子よ、あなたの罪はゆるされた」と言われた。
6
ところが、そこに幾人かの律法学者がすわっていて、心の中で論じた、
7
「この人は、なぜあんなことを言うのか。それは神をけがすことだ。神ひとりのほかに、だれが罪をゆるすことができるか」。
8
イエスは、彼らが内心このように論じているのを、自分の心ですぐ見ぬいて、「なぜ、あなたがたは心の中でそんなことを論じているのか。
9
中風の者に、あなたの罪はゆるされた、と言うのと、起きよ、床を取りあげて歩け、と言うのと、どちらがたやすいか。
10
しかし、人の子は地上で罪をゆるす権威をもっていることが、あなたがたにわかるために」と彼らに言い、中風の者にむかって、
11
「あなたに命じる。起きよ、床を取りあげて家に帰れ」と言われた。
12
すると彼は起きあがり、すぐに床を取りあげて、みんなの前を出て行ったので、一同は大いに驚き、神をあがめて、「こんな事は、まだ一度も見たことがない」と言った。

礼拝メッセージの要約 「彼らの信仰」 加藤郁生師

イエスは彼らの信仰を見て、中風の者に、 『子よ、あなたの罪はゆるされた』と言われた。

イエス様が、中風の者に罪のゆるしを宣言し、 体をおいやしになられたのは、 本人が明確に信仰を言い表したからだけではありませんでした。

中風の男を思いやった4人の男たちの、 わざわざ床ごとイエス様のもとに運び込み、 屋根から男を吊り降ろした「彼らの信仰」を見てのことでした。

これはわたしたち愛する家族、友人、知人の救いと 神さまの彼らへの祝福を願うわたしたちへの 慰めであり、希望であり、信仰のチャレンジです。

わたしたちが愛するもののために、 真剣に、信仰をもって祈り取り組む時に、労する時に、 主はわたしたちの信仰をお認めくださり、 確かな御手をもって主の栄光をあらわしてくださるのです。

聖書の中には、惨状に悩む当人に代わって、 信仰を表す人々の姿があらわされています。 中風の男を吊り降ろした人たち、部下思いの百卒長、 娘のために主に食い下がったスロ・フェニキアの女、 そういった信仰者に続くわたしたちでありたいのです。

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2006年09月03日

主日礼拝「神の子と定められしことの喜び」

10:30より、主日礼拝 が行われました。

聖書
エペソ人への手紙1章1-14節
説教題
神の子と定められしことの喜び
説教者
加藤郁生師
出席者数
66人

聖書: エペソ人への手紙1章1-14節 (中心聖句は5節) 口語訳

1
神の御旨によるキリスト・イエスの使徒パウロから、エペソにいる、キリスト・イエスにあって忠実な聖徒たちへ。
2
わたしたちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。
3
ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神。神はキリストにあって、天上で霊のもろもろの祝福をもって、わたしたちを祝福し、
4
みまえにきよく傷のない者となるようにと、天地の造られる前から、キリストにあってわたしたちを選び、
5
わたしたちに、イエス・キリストによって神の子たる身分を授けるようにと、御旨のよしとするところに従い、愛のうちにあらかじめ定めて下さったのである。
6
これは、その愛する御子によって賜わった栄光ある恵みを、わたしたちがほめたたえるためである。
7
わたしたちは、御子にあって、神の豊かな恵みのゆえに、その血によるあがない、すなわち、罪過のゆるしを受けたのである。
8
神はその恵みをさらに増し加えて、あらゆる知恵と悟りとをわたしたちに賜わり、
9
御旨の奥義を、自らあらかじめ定められた計画に従って、わたしたちに示して下さったのである。
10
それは、時の満ちるに及んで実現されるご計画にほかならない。それによって、神は天にあるもの地にあるものを、ことごとく、キリストにあって一つに帰せしめようとされたのである。
11
わたしたちは、御旨の欲するままにすべての事をなさるかたの目的の下に、キリストにあってあらかじめ定められ、神の民として選ばれたのである。
12
それは、早くからキリストに望みをおいているわたしたちが、神の栄光をほめたたえる者となるためである。
13
あなたがたもまた、キリストにあって、真理の言葉、すなわち、あなたがたの救の福音を聞き、また、彼を信じた結果、約束された聖霊の証印をおされたのである。
14
この聖霊は、わたしたちが神の国をつぐことの保証であって、やがて神につける者が全くあがなわれ、神の栄光をほめたたえるに至るためである。

礼拝メッセージの要約 「神の子と定められしことの喜び」 加藤郁生師

パウロは、 エペソを初めとした信仰に生きる当時のクリスチャンに励ましの手紙を書きました。

  1. 神の選び

    エペソ人への手紙の冒頭に展開されているパウロのメッセージは 「神の選び」でした。 神は天地の造られる前から、わたしたちを選び、 神の子としての身分を授けるように、あらかじめ定めてくださいました。 この選びは、わたしたちの慰めです。

    わたしたちは、自分の信仰を自分の力で守ることに疲れ、つまずきます。 しかし全能の愛なる神は、わたしたちを、はるかに超えた力をもって、 あらかじめ御手に握ってくださるのです。

  2. 選びの目的

    神の選びは、慰めの恵みであると同時に、栄光の選びでもあります。 神はわたしたちを、みまえにきよく傷のない者となるように、 また神の栄光をほめたたえる神の民となるために選らんでくださいました。

    ジャン・カルヴァンは 「わたしたち人間の生きる目的は、神のほめたたえることにある」 と述べました。 ジョン・ウェスレイは、 キリスト者の品性の高い基準として「キリスト者の完全」を唱えました。

    わたしたちも神に選ばれ、救われ、キリストの証人とされた今、 神の栄光をたたえる者として生かされたいと思うのです。

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2006年08月27日

主日礼拝「復活の希望に生きる教会」

10:30より、主日礼拝 が行われました。

聖書
コリント人への第一の手紙15章35-58節
説教題
復活の希望に生きる教会
説教者
加藤郁生師
出席者数
64人

聖書: コリント人への第一の手紙15章35-58節 (中心聖句は58節) 口語訳

35
しかし、ある人は言うだろう。「どんなふうにして、死人がよみがえるのか。どんなからだをして来るのか」。
36
おろかな人である。あなたのまくものは、死ななければ、生かされないではないか。
37
また、あなたのまくのは、やがて成るべきからだをまくのではない。麦であっても、ほかの種であっても、ただの種粒にすぎない。
38
ところが、神はみこころのままに、これにからだを与え、その一つ一つの種にそれぞれのからだをお与えになる。
39
すべての肉が、同じ肉なのではない。人の肉があり、獣の肉があり、鳥の肉があり、魚の肉がある。
40
天に属するからだもあれば、地に属するからだもある。天に属するものの栄光は、地に属するものの栄光と違っている。
41
日の栄光があり、月の栄光があり、星の栄光がある。また、この星とあの星との間に、栄光の差がある。
42
死人の復活も、また同様である。朽ちるものでまかれ、朽ちないものによみがえり、
43
卑しいものでまかれ、栄光あるものによみがえり、弱いものでまかれ、強いものによみがえり、
44
肉のからだでまかれ、霊のからだによみがえるのである。肉のからだがあるのだから、霊のからだもあるわけである。
45
聖書に「最初の人アダムは生きたものとなった」と書いてあるとおりである。しかし最後のアダムは命を与える霊となった。
46
最初にあったのは、霊のものではなく肉のものであって、その後に霊のものが来るのである。
47
第一の人は地から出て土に属し、第二の人は天から来る。
48
この土に属する人に、土に属している人々は等しく、この天に属する人に、天に属している人々は等しいのである。
49
すなわち、わたしたちは、土に属している形をとっているのと同様に、また天に属している形をとるであろう。
50
兄弟たちよ。わたしはこの事を言っておく。肉と血とは神の国を継ぐことができないし、朽ちるものは朽ちないものを継ぐことがない。
51
ここで、あなたがたに奥義を告げよう。わたしたちすべては、眠り続けるのではない。終りのラッパの響きと共に、またたく間に、一瞬にして変えられる。
52
というのは、ラッパが響いて、死人は朽ちない者によみがえらされ、わたしたちは変えられるのである。
53
なぜなら、この朽ちるものは必ず朽ちないものを着、この死ぬものは必ず死なないものを着ることになるからである。
54
この朽ちるものが朽ちないものを着、この死ぬものが死なないものを着るとき、聖書に書いてある言葉が成就するのである。
55
「死は勝利にのまれてしまった。死よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。死よ、おまえのとげは、どこにあるのか」。
56
死のとげは罪である。罪の力は律法である。
57
しかし感謝すべきことには、神はわたしたちの主イエス・キリストによって、わたしたちに勝利を賜わったのである。
58
だから、愛する兄弟たちよ。堅く立って動かされず、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからである。

礼拝メッセージの要約 「復活の希望に生きる教会」 加藤郁生師

「どんなふうにして、死人がよみがえるのか。 どんなからだをして来るのか。」

これは、復活についてのコリントのある人々の疑問でした。 パウロは丁寧にこの問いに答えます。

  1. 新しい体としてよみがえる

復活の体は、地に属するものではなく天に属するものです。

それは朽ちるものでまかれ、朽ちないものよみがえり、 卑しいものでまかれ、栄光あるものによみがえり、 弱いものでまかれ、強いものによみがえり、 肉のからでまかれ、霊のからだによみがえるのです。

  1. 終わりの時によみがえる

    わたしたちすべては眠り続けるのではなく、 終わりの時に、またたく間に、一瞬にして栄光の姿に変えられます。

    朽ちるものが朽ちないものを着、 死ぬものが死なないものを着る時、 キリストによる死への完全勝利が成就するのです。

  2. わたしたちの希望としてよみがえる

    復活はわたしたちの希望です。 復活を信じる信仰によってわたしたちは堅く立って動かされず、 いつも全力を注いで主のわざにはげむのです。

    なぜなら、 主にあってはわたしたちの労苦がけっしてむだになるこがないことを、 わたしたちは知っているからです。

いかがでしょうか。 このように、わたしたちも復活の希望をもって生きるものとさせていただきましょう。

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2006年08月20日

主日礼拝「復活の信仰に立つ教会」

10:30より、主日礼拝 が行われました。

聖書
コリント人への第一の手紙15章12-28節
説教題
復活の信仰に立つ教会
説教者
加藤郁生師
出席者数
60人

聖書: コリント人への第一の手紙15章12-28節 (中心聖句は20節) 口語訳

12
さて、キリストは死人の中からよみがえったのだと宣べ伝えられているのに、あなたがたの中のある者が、死人の復活などはないと言っているのは、どうしたことか。
13
もし死人の復活がないならば、キリストもよみがえらなかったであろう。
14
もしキリストがよみがえらなかったとしたら、わたしたちの宣教はむなしく、あなたがたの信仰もまたむなしい。
15
すると、わたしたちは神にそむく偽証人にさえなるわけだ。なぜなら、万一死人がよみがえらないとしたら、わたしたちは神が実際よみがえらせなかったはずのキリストを、よみがえらせたと言って、神に反するあかしを立てたことになるからである。
16
もし死人がよみがえらないなら、キリストもよみがえらなかったであろう。
17
もしキリストがよみがえらなかったとすれば、あなたがたの信仰は空虚なものとなり、あなたがたは、いまなお罪の中にいることになろう。
18
そうだとすると、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったのである。
19
もしわたしたちが、この世の生活でキリストにあって単なる望みをいだいているだけだとすれば、わたしたちは、すべての人の中で最もあわれむべき存在となる。
20
しかし事実、キリストは眠っている者の初穂として、死人の中からよみがえったのである。
21
それは、死がひとりの人によってきたのだから、死人の復活もまた、ひとりの人によってこなければならない。
22
アダムにあってすべての人が死んでいるのと同じように、キリストにあってすべての人が生かされるのである。
23
ただ、各自はそれぞれの順序に従わねばならない。最初はキリスト、次に、主の来臨に際してキリストに属する者たち、
24
それから終末となって、その時に、キリストはすべての君たち、すべての権威と権力とを打ち滅ぼして、国を父なる神に渡されるのである。
25
なぜなら、キリストはあらゆる敵をその足もとに置く時までは、支配を続けることになっているからである。
26
最後の敵として滅ぼされるのが、死である。
27
「神は万物を彼の足もとに従わせた」からである。ところが、万物を従わせたと言われる時、万物を従わせたかたがそれに含まれていないことは、明らかである。
28
そして、万物が神に従う時には、御子自身もまた、万物を従わせたそのかたに従うであろう。それは、神がすべての者にあって、すべてとなられるためである。

礼拝メッセージの要約 「復活の信仰に立つ教会」 加藤郁生師

コリントの教会は、死人の復活の理解の問題がありました。 キリストの復活は福音の中心ですが、 コリントの教会では死人の復活を否定する人々がいました。 それに対してパウロは論じました。

  1. 復活は信仰の基礎です

    パウロは「死人の復活がないならば」という仮定から、 死人の復活が教会の信仰にとっての土台であり、 前提であることをはっきりと論証しました。

    わたしたちの信仰は、キリストの死と復活にかかっています。 これなくしては、わたしたちの信仰は空しいのです。

  2. 復活は事実です

    パウロははっきりと、 「事実、キリストは~死人の中からよみがえったのである」と宣言しました。 パウロにとって復活は幻想でも想像の産物でもありませんでした。 それは、事実でありました。

    これはパウロ自身の作り話ではありません。 実際にパウロのまわりには、復活を証しする生存者が存在していました。 わたしたちも、復活の事実を信じることができるのです。

  3. 復活はわたしたちの希望です

    パウロは、キリストの復活をわたしたちと関係付けて論じました。 「眠っている者の初穂として」とは、そのことを裏付ける言葉です。 キリストを信じる者は、キリストの後に続いて、 終わりの時によみがえり、究極の敵たる死に勝利するのです。

    パウロは、この復活の信仰をはっきりとかかげました。 わたしたちもこの信仰をもって よみがえりの命に預かる者とさせていただきましょう。

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2006年08月13日

主日礼拝「神の愛の性質」

10:30より、主日礼拝 が行われました。

聖書
コリント人への第一の手紙13章
説教題
神の愛の性質
説教者
加藤郁生師
出席者数
57人

聖書: コリント人への第一の手紙13章1-13節 (中心聖句は13節) 口語訳

1
たといわたしが、人々の言葉や御使たちの言葉を語っても、もし愛がなければ、わたしは、やかましい鐘や騒がしい鐃鉢と同じである。
2
たといまた、わたしに預言をする力があり、あらゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、また、山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい。
3
たといまた、わたしが自分の全財産を人に施しても、また、自分のからだを焼かれるために渡しても、もし愛がなければ、いっさいは無益である。
4
愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない。
5
不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。
6
不義を喜ばないで真理を喜ぶ。
7
そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。
8
愛はいつまでも絶えることがない。しかし、預言はすたれ、異言はやみ、知識はすたれるであろう。
9
なぜなら、わたしたちの知るところは一部分であり、預言するところも一部分にすぎない。
10
全きものが来る時には、部分的なものはすたれる。
11
わたしたちが幼な子であった時には、幼な子らしく語り、幼な子らしく感じ、また、幼な子らしく考えていた。しかし、おとなとなった今は、幼な子らしいことを捨ててしまった。
12
わたしたちは、今は、鏡に映して見るようにおぼろげに見ている。しかしその時には、顔と顔とを合わせて、見るであろう。わたしの知るところは、今は一部分にすぎない。しかしその時には、わたしが完全に知られているように、完全に知るであろう。
13
このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。

礼拝メッセージの要約 「神の愛の性質」 加藤郁生師

パウロは霊の賜物の中で最も追い求めるべきものとして(アガペー)愛をあげています。

この愛とは、

  1. 愛の超越性

    神の愛は人間のいかなる行為をも超えたものです。

    どんなに人間的に崇高な行為であったとしても、 神の愛なくしては無意味であるとさえ言っています。

    神の愛はこの世のあらゆるものを超越しているのです。

  2. 愛の人格性

    神の愛は人間にはありません。 神の愛は、イエス・キリストの御人格そのものです。

    わたしたちがキリストの人格、品性に触れる時、 わたしたちは神の愛を表すことができます。

    神の愛はわたしたちに御内住くださるイエス・キリストの御霊として働いてくださいます。 キリストがわたしたちの内に生きる時、 わたしたちは神の愛に生きる者とされるのです。

  3. 愛の永遠性

    この世のものはすたれます。 しかし神の愛はとこしえに絶えることがありません。

    神の愛は終末の時に決して色あせることなく輝くのです。 神の愛はキリストの愛、十字架の愛です。

    わたしたちはこの神さまの愛にわたしたちの人生を、 将来を、希望を託して歩んで行きたいと思うのです。

いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。 このうちで最も大いなるものは、愛である。

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