毎週日曜日、以下の礼拝を行っています。ぜひお越しください。
09:30~ 教会学校 乳幼児~高校生、ぜひご家族とご一緒に
10:30~ 主日礼拝 賛美、聖書のメッセージなど
19:00~ 夕拝 朝の礼拝には時間が合わない方のために
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2006年07月02日

主日礼拝「無きに等しい者を」

10:30より、主日礼拝 が行われました。

聖書
コリント人への第一の手紙1章26-31節
説教題
無きに等しい者を
説教者
加藤郁生師
出席者数
63人

聖書: コリント人への第一の手紙1章26-31節 (中心聖句は30節) 口語訳

26
兄弟たちよ。あなたがたが召された時のことを考えてみるがよい。人間的には、知恵のある者が多くはなく、権力のある者も多くはなく、身分の高い者も多くはいない。
27
それだのに神は、知者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選び、
28
有力な者を無力な者にするために、この世で身分の低い者や軽んじられている者、すなわち、無きに等しい者を、あえて選ばれたのである。
29
それは、どんな人間でも、神のみまえに誇ることがないためである。
30
あなたがたがキリスト・イエスにあるのは、神によるのである。キリストは神に立てられて、わたしたちの知恵となり、義と聖とあがないとになられたのである。
31
それは、「誇る者は主を誇れ」と書いてあるとおりである。

礼拝メッセージの要約 「無きに等しい者を」 加藤郁生師

コリントの教会には、奴隷の身分の人々が多くいたと思われます。 彼らは、この世の弱い者であり、身分の低い者であり、 軽んじられている者であり、言わば無きに等しい者でした。 しかし彼らはキリストの救いによって、神の前に等しく神の子とされました。 それは人の力ではなく、神の恵みです。

パウロはこのことをよく思い出すように、 彼らが救われたときのことを考えるようにと戒めました。 信仰の原点に帰るように、これがパウロのコリント人に対するメッセージでした。

信仰の原点に帰ったとき、信仰者が悟りえることは、 「あなたがたがキリスト・イエスにあるのは、神によるのである」という救いの真理です。 自由人であろうと、奴隷であろうと、ギリシャ人であろうとユダヤ人であろうと、 人が救われるのは神によるのです。

このことから当然の帰結として、 わたしたちはクリスチャンの姿勢ということを知ることができます。 それは「誇るものは主を誇れ」とあるように、 クリスチャンはいつも自分を誇るという誘惑に勝利して、 ただ主をあがめ、主を誇る者であれということです。

残念ながらコリントの教会の人々はこのことを忘れ、 自分や自分のグループを誇ることに心奪われました。 しかしわたしたちは聖書の教えにあるように、 わたしたちを愛しわたしたちのために命をすててくださった、 主なるイエス・キリストの神を誇りたいのです。 わたしたちの誇りが主であることを証しする教会として、 心一つに歩んでいきたいのです。

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2006年06月25日

主日礼拝「神の知恵と人の知恵」

10:30より、主日礼拝 が行われました。

聖書
コリント人への第一の手紙1章18-25節
説教題
神の知恵と人の知恵
説教者
加藤郁生師
出席者数
72人

聖書: コリント人への第一の手紙1章18-25節 (中心聖句は18節) 口語訳

18
十字架の言は、滅び行く者には愚かであるが、救にあずかるわたしたちには、神の力である。
19
すなわち、聖書に、「わたしは知者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さをむなしいものにする」と書いてある。
20
知者はどこにいるか。学者はどこにいるか。この世の論者はどこにいるか。神はこの世の知恵を、愚かにされたではないか。
21
この世は、自分の知恵によって神を認めるに至らなかった。それは、神の知恵にかなっている。そこで神は、宣教の愚かさによって、信じる者を救うこととされたのである。
22
ユダヤ人はしるしを請い、ギリシヤ人は知恵を求める。
23
しかしわたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝える。このキリストは、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものであるが、
24
召された者自身にとっては、ユダヤ人にもギリシヤ人にも、神の力、神の知恵たるキリストなのである。
25
神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからである。

礼拝メッセージの要約 「神の知恵と人の知恵」 加藤郁生師

パウロは、人の知恵と神の知恵について語りました。

  1. 人の知恵

    人は自分の知恵を誇ります。 しかし人の知恵によって人は神を認めには、至りません。 なぜなら、神はこの世の知恵を愚かにされているからです。

    そのことを知らずにこの世の知恵を求め神に達しようとして、 ごうまんになる人間は愚かです。

  2. 神の知恵

    この世の知恵を愚かにされた神の知恵は、 宣教によってあらわされました。 神の知恵は、十字架の言によって示されています。 ユダヤ人はしるしを求め、ギリシャ人は知恵を求めました。 しかし神は十字架の言葉の中にご自身の究極の知恵たる救いの真理を明らかにされたのです。

  3. 宣教の愚かさに徹する

    神は、宣教の愚かさによって人を救うことにされました。 現代の合理的、効率的なものの考えになじんだ人々は、 十字架を愚かな行為とみなし、また教会によって語られる福音を軽んじます。

    しかしわたしたちは、十字架の宣教の愚かさに徹したいと思います。 主が一人の魂を愛して命をさしだしてくださった十字架こそ、 わたしたちにとっての真の喜びであり希望だからです。

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2006年06月18日

主日礼拝「堅く結び合う教会として」

10:30より、主日礼拝 が行われました。

聖書
コリント人への第一の手紙1章10-17節
説教題
堅く結び合う教会として
説教者
加藤郁生師
出席者数
64人

聖書: コリント人への第一の手紙1章10-17節 (中心聖句は10節) 口語訳

10
さて兄弟たちよ。わたしたちの主イエス・キリストの名によって、あなたがたに勧める。みな語ることを一つにして、お互の間に分争がないようにし、同じ心、同じ思いになって、堅く結び合っていてほしい。
11
わたしの兄弟たちよ。実は、クロエの家の者たちから、あなたがたの間に争いがあると聞かされている。
12
はっきり言うと、あなたがたがそれぞれ、「わたしはパウロにつく」「わたしはアポロに」「わたしはケパに」「わたしはキリストに」と言い合っていることである。
13
キリストは、いくつにも分けられたのか。パウロは、あなたがたのために十字架につけられたことがあるのか。それとも、あなたがたは、パウロの名によってバプテスマを受けたのか。
14
わたしは感謝しているが、クリスポとガイオ以外には、あなたがたのうちのだれにも、バプテスマを授けたことがない。
15
それはあなたがたがわたしの名によってバプテスマを受けたのだと、だれにも言われることのないためである。
16
もっとも、ステパナの家の者たちには、バプテスマを授けたことがある。しかし、そのほかには、だれにも授けた覚えがない。
17
いったい、キリストがわたしをつかわされたのは、バプテスマを授けるためではなく、福音を宣べ伝えるためであり、しかも知恵の言葉を用いずに宣べ伝えるためであった。それは、キリストの十字架が無力なものになってしまわないためなのである。

礼拝メッセージの要約 「堅く結び合う教会として」 加藤郁生師

  1. コリントの教会にある内なる争いの問題

    パウロの伝道によって生まれたコリントの教会の、 最も深刻な問題は分争でした。 教会の中に、 「わたしはパウロにつく」「わたしはアポロに」「わたしはケパ(ペテロ)に」 というような分派ができ、互いに争っていました。

    これに対してパウロは大いに心痛めました。 なぜならそれはキリストの体なる教会の正しいあるべき姿ではなかったからです。

  2. コリントの教会に対するパウロの願い

    パウロはコリントの教会に、何よりも「一致」を求めました。 互いの分派が自分の意見を主張し対立するのではなく、 みな語ることを一つにし、同じ心、同じ思いになって、 堅く結び合うことを願いました。

    堅く結び合うこと。 これはパウロの時代においても、今この時代においても、 教会にとって大切なことです。 わたしたちが、 神さまからいただいた信仰と愛によって一つにされることこそが、 神さまの御旨なのです。

  3. キリストの十字架が無力なもにならないように

    パウロは、 教会内の対立によってキリストの十字架が無力になってしまうことを憂いました。 和解の十字架を前にして人々が争いあうならば、 教会は十字架のメッセージを語ることができません。

    わたしたちが本当にキリストの十字架の前に砕かれ、 互いに謙遜に仕えあうことの中に、十字架の力が表されるのです。

今日は「父の日」ですので、 教会学校から壮年の皆さんへのプレゼントがありました。

写真1 みんなで集まって、作り方の説明を聞いています。写真2 うまく作ろうと、真剣そのものの表情です。
写真3 こちらも、かなり真剣な表情です。写真4 でもやっぱり楽しく作らないとね。
写真5 小さな子は、紙皿にいろいろと貼っています。写真6 大きな子は、フェルトをこのように組み合わせた香り袋です。
写真7 それをさらにラッピングして、出来上がり。写真8 皆さんに渡す前に、ひとこと感謝を話します。

またお昼には、青年会主催の感謝食事会がありました。

写真1 恒例となりつつある、青年会主催の食事会です。写真2 今日のメニューは手作りサンドイッチ。材料を組み合わせて作ります。
写真3 いろいろ話をしながら、食べています。写真4 やっぱりカメラが向くと、ポーズを決めないとね。
写真5 野菜を多めにのせて食べると、一段と美味しいですね。写真6 パンは食パンとロールパンと、二種類用意されています。
写真7 やっぱりおしゃべりが楽しいですね。写真8 小さい子達も、いっぱい食べれたようです。
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2006年06月11日

主日礼拝「恵みに生きる神の教会」

10:30より、主日礼拝 が行われました。

聖書
コリント人への第一の手紙1章1-9節
説教題
恵みに生きる神の教会
説教者
加藤郁生師
出席者数
71人

聖書: コリント人への第一の手紙1章1-9節 (中心聖句は2節) 口語訳

1
神の御旨により召されてキリスト・イエスの使徒となったパウロと、兄弟ソステネから、
2
コリントにある神の教会、すなわち、わたしたちの主イエス・キリストの御名を至る所で呼び求めているすべての人々と共に、キリスト・イエスにあってきよめられ、聖徒として召されたかたがたへ。このキリストは、わたしたちの主であり、また彼らの主であられる。
3
わたしたちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。
4
わたしは、あなたがたがキリスト・イエスにあって与えられた神の恵みを思って、いつも神に感謝している。
5
あなたがたはキリストにあって、すべてのことに、すなわち、すべての言葉にもすべての知識にも恵まれ、
6
キリストのためのあかしが、あなたがたのうちに確かなものとされ、
7
こうして、あなたがたは恵みの賜物にいささかも欠けることがなく、わたしたちの主イエス・キリストの現れるのを待ち望んでいる。
8
主もまた、あなたがたを最後まで堅くささえて、わたしたちの主イエス・キリストの日に、責められるところのない者にして下さるであろう。
9
神は真実なかたである。あなたがたは神によって召され、御子、わたしたちの主イエス・キリストとの交わりに、はいらせていただいたのである。

礼拝メッセージの要約 「恵みに生きる神の教会」 加藤郁生師

パウロの伝道によって生まれたコリントの教会は、 様々な課題をかかえていました。 しかしそれは、教会が生きている証しでもありました。

パウロはコリントの教会の成長を願いつつ心をこめて手紙を書き送りました。 パウロの教える教会とは、次の通りです。

  1. 教会は「神の教会」です

    教会は、人間が生み出し運営するものではなく、神の教会です。 ですからわたしたちは、キリストの体なる教会を心から重んじ、 神さまの教会の名を汚さないようにしたいと思います。

    パウロはコリントの教会が、自ら神の教会であることを自覚し、 振舞うことを心から願いました。

  2. 教会は「キリストは主である」ことを告白するものです

    教会にとっての礼拝の対象は、主なるキリストの神です。 キリストを主とする信仰こそは教会の土台なのです。

    この世のものは、キリスト以外のものを主とすべく、教会に巧妙に働きます。 わたしたちはただ主なるキリストをあがめ、仕えていきたいと思います。

  3. 教会は恵みに生きるものです

    教会は、キリストの贖いの恵みにより信仰に入れられ、 復活の恵みにより永遠の命の希望を待ち望むものとされています。 恵みは教会の現在にも聖霊を通して与えられ、 わたしたちは恵みに生きるお互いとされているのです。

    そして恵みに生きる教会こそ世の光です。 神の恵みを輝かせましょう。

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2006年06月04日

ペンテコステ礼拝「御霊に満たされた教会として」

10:30より、ペンテコステ礼拝 が行われました。

聖書
エペソ人への手紙5章15-21節
説教題
御霊に満たされた教会として
説教者
加藤郁生師
出席者数
64人

聖書: エペソ人への手紙5章15-21節 (中心聖句は18-19節) 口語訳

15
そこで、あなたがたの歩きかたによく注意して、賢くない者のようにではなく、賢い者のように歩き、
16
今の時を生かして用いなさい。今は悪い時代なのである。
17
だから、愚かな者にならないで、主の御旨がなんであるかを悟りなさい。
18
酒に酔ってはいけない。それは乱行のもとである。むしろ御霊に満たされて、
19
詩とさんびと霊の歌とをもって語り合い、主にむかって心からさんびの歌をうたいなさい。
20
そしてすべてのことにつき、いつも、わたしたちの主イエス・キリストの御名によって、父なる神に感謝し、
21
キリストに対する恐れの心をもって、互に仕え合うべきである。

礼拝メッセージの要約 「御霊に満たされた教会として」 加藤郁生師

聖書を見ますと、教会がいかに人の力ではなくして、 御霊の働きによって歩むものであるかということを知ることができます。

御霊はわたしたちに豊かな恵みをもって働きます。

  1. 御霊は、わたしたちが主を信じて従うことができるように働きます。

    イエス様は、わたしたちに真理の御霊を与えることを約束されました。 真理の御霊は、わたしたちがイエスを主と告白させてくださり、 わたしたちを主のものとしてくださいます。 わたしたちは御霊によって主をただしく礼拝し、主に従うことができるのです。

  2. 御霊は、わたしたちがキリストの品性を身につけることが出来るように働きます。

    ガラテヤ書は「御霊の実」として、 愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制をあげています。 これらはキリストの品性をあらわしています。 わたしたちはキリストの品性をいただいて、 御霊の一致をもって愛の交わりをいただきます。

  3. 御霊は、教会の宣教のために働きます。

    御霊は、福音の真理を伝える点でも「真理の御霊」です。 聖霊は教会を生み出し、生み出された教会を通して福音宣教のわざをなされます。 わたしたちは御霊によって宣教のヴィジョンに燃やされ、 力をいただいてこの世に遣わされ者となるのです。

真理と、愛と、宣教の御霊は、今もわたしたちの内に働いておられるのです。

「ペンテコステ」は、「聖霊降臨日」とも言い、 聖書に記されている「聖霊が降った日」を記念する日です。

この日は「教会の始まった日」ともされていて、 「クリスマス」「イースター」と並ぶ、教会三大記念日のひとつです。

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