毎週日曜日、以下の礼拝を行っています。ぜひお越しください。
09:30~ 教会学校 乳幼児~高校生、ぜひご家族とご一緒に
10:30~ 主日礼拝 賛美、聖書のメッセージなど
19:00~ 夕拝 朝の礼拝には時間が合わない方のために
集会の詳しいご案内 | 教会へのアクセス

2006年05月07日

主日礼拝「喜びの宴~復活と臨在の主と共に」

10:30より、主日礼拝 が行われました。

聖書
ルカによる福音書24章13-32節
説教題
喜びの宴~復活と臨在の主と共に
説教者
加藤郁生師
出席者数
68人

聖書: ルカによる福音書24章13-32節 (中心聖句は30-31節) 口語訳

13
この日、ふたりの弟子が、エルサレムから七マイルばかり離れたエマオという村へ行きながら、
14
このいっさいの出来事について互に語り合っていた。
15
語り合い論じ合っていると、イエスご自身が近づいてきて、彼らと一緒に歩いて行かれた。
16
しかし、彼らの目がさえぎられて、イエスを認めることができなかった。
17
イエスは彼らに言われた、「歩きながら互に語り合っているその話は、なんのことなのか」。彼らは悲しそうな顔をして立ちどまった。
18
そのひとりのクレオパという者が、答えて言った、「あなたはエルサレムに泊まっていながら、あなただけが、この都でこのごろ起ったことをご存じないのですか」。
19
「それは、どんなことか」と言われると、彼らは言った、「ナザレのイエスのことです。あのかたは、神とすべての民衆との前で、わざにも言葉にも力ある預言者でしたが、
20
祭司長たちや役人たちが、死刑に処するために引き渡し、十字架につけたのです。
21
わたしたちは、イスラエルを救うのはこの人であろうと、望みをかけていました。しかもその上に、この事が起ってから、きょうが三日目なのです。
22
ところが、わたしたちの仲間である数人の女が、わたしたちを驚かせました。というのは、彼らが朝早く墓に行きますと、
23
イエスのからだが見当らないので、帰ってきましたが、そのとき御使が現れて、『イエスは生きておられる』と告げたと申すのです。
24
それで、わたしたちの仲間が数人、墓に行って見ますと、果して女たちが言ったとおりで、イエスは見当りませんでした」。
25
そこでイエスが言われた、「ああ、愚かで心のにぶいため、預言者たちが説いたすべての事を信じられない者たちよ。
26
キリストは必ず、これらの苦難を受けて、その栄光に入るはずではなかったのか」。
27
こう言って、モーセやすべての預言者からはじめて、聖書全体にわたり、ご自身についてしるしてある事どもを、説きあかされた。
28
それから、彼らは行こうとしていた村に近づいたが、イエスがなお先へ進み行かれる様子であった。
29
そこで、しいて引き止めて言った、「わたしたちと一緒にお泊まり下さい。もう夕暮になっており、日もはや傾いています」。イエスは、彼らと共に泊まるために、家にはいられた。
30
一緒に食卓につかれたとき、パンを取り、祝福してさき、彼らに渡しておられるうちに、
31
彼らの目が開けて、それがイエスであることがわかった。すると、み姿が見えなくなった。
32
彼らは互に言った、「道々お話しになったとき、また聖書を説き明してくださったとき、お互の心が内に燃えたではないか」。

礼拝メッセージの要約 「立ち上がる者として」 加藤郁生師

エマオ途上で復活のイエス様と出会った弟子たちは、 村で主と、食を共にしました。 そこで示されたことは、

  1. この食卓の主は、復活の主ご自身でした。

    弟子たちは、それがイエス様とは知らずに食卓に招きました。 しかし食卓の主としてパンを裂いたのは、 弟子たちではなくイエス様の方でした。 イエス様こそが食卓の主でした。 そしてそれは、今も変りません。 わたしたちも共に、復活の主の交わりに招かれているのです。

  2. 弟子たちは目が開かれました。

    主がパンを裂き、祝福して弟子たちに渡したちょうどその時、 弟子たちの目が開かれ、復活の主を認めることができました。 主は、わたしたちの目を開いてくださるお方です。 わたしたちの目が開かれた時、 わたしたちは確かに復活の主が今も共にいてくださり、 主が与えてくださったみ言葉が真実であることを悟り、 心燃やされるのです。

エマオ途上の弟子たちがあずかることのできた復活の主との食卓は、 喜びの宴となりました。 わたしたちも、この恵みにあずかりまししょう。

また、主日礼拝では 会衆賛美 として、 ブレスのリードにより「キリストには代えられません(新聖歌428)」を賛美しました。

写真1 いつものように、二人が息の合った伴奏を聴かせてくれます。写真2 作者(George Beverly Shea) の紹介も交えながら、リードしていただきました。

主日礼拝に引き続いて、教会決算総会 も行われました。

出席者数
43人
委任状提出者数
11人
写真1 教会の教勢、行事、会計などについて報告がなされました。写真2 今年は特に質疑もなく、各議案が議決されました。
Read more...

Posted in  | no comments | no trackbacks

2006年04月30日

主日礼拝「立ち上がる者として」

10:30より、主日礼拝 が行われました。

聖書
エペソ人への手紙5章10-21節
説教題
立ち上がる者として
説教者
加藤郁生師
出席者数
74人

聖書: エペソ人への手紙5章10-21節 (中心聖句は14節) 口語訳

10
主に喜ばれるものがなんであるかを、わきまえ知りなさい。
11
実を結ばないやみのわざに加わらないで、むしろ、それを指摘してやりなさい。
12
彼らが隠れて行っていることは、口にするだけでも恥ずかしい事である。
13
しかし、光にさらされる時、すべてのものは、明らかになる。
14
明らかにされたものは皆、光となるのである。だから、こう書いてある、「眠っている者よ、起きなさい。死人のなかから、立ち上がりなさい。そうすれば、キリストがあなたを照すであろう」。
15
そこで、あなたがたの歩きかたによく注意して、賢くない者のようにではなく、賢い者のように歩き、
16
今の時を生かして用いなさい。今は悪い時代なのである。
17
だから、愚かな者にならないで、主の御旨がなんであるかを悟りなさい。
18
酒に酔ってはいけない。それは乱行のもとである。むしろ御霊に満たされて、
19
詩とさんびと霊の歌とをもって語り合い、主にむかって心からさんびの歌をうたいなさい。
20
そしてすべてのことにつき、いつも、わたしたちの主イエス・キリストの御名によって、父なる神に感謝し、
21
キリストに対する恐れの心をもって、互に仕え合うべきである。

礼拝メッセージの要約 「立ち上がる者として」 加藤郁生師

「新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるべきである」と言うイエス様のお言葉の通り、 わたしたちはキリストにある新しい命に生きる者となりました。 それは古い時の、眠ったままの、倒れふしたままのわたしたちではなく、 復活の主と共に立ち上がる者です。

  1. わたしたちは信仰をもって立ち上がります。

    わたしたちは週ごとの礼拝において、 キリストを信じる信仰を確かなものにして立ち上がる者となりたいと思います。

    わたしたちは礼拝において、何よりもわたしたちの信仰が強められることを求めます。 賛美と祈りをもって、共に信仰を告白し、 み言葉によって励まされ信仰を新たにして立ち上がるのです。

  2. わたしたちは喜びと希望をもって立ち上がります。

    弟子たちは主を見て喜びました。 わたしたちも主の日に共に集い、主を見て共に喜びます。 御臨在の主は、わたしたちと共にいてくださるからです。

    真の喜びは、わたしたちを座り込むものではなく、立ち上がる者とします。 わたしたちは主が与えてくださる喜びと希望に生きるのです。

  3. わたしたちは宣教の使命をいただいて立ち上がります。

    わたしたちは礼拝の最後に祝祷をいただきます時に、 主の宣教の派遣の使命をいただき、そこから立ち上がります。 わたしたちは週ごとに主の派遣の声を聞き、 主に押し出されてキリストの証人となるのです。

ですから、 わたしたちも「眠っている者よ、起きなさい。死人のなかから、立ち上がりなさい」と言う 主の声に応答して立ち上がる者とさせていただきましょう。

Read more...

Posted in  | no comments | no trackbacks

2006年04月23日

召天者合同記念礼拝「復活の信仰に生きる」

10:30より、主日礼拝 が行われました。

聖書
コリント人への第一の手紙15章12-28節
説教題
復活の信仰に生きる
説教者
加藤郁生師
出席者数
83人

聖書: コリント人への第一の手紙15章12-28節 (中心聖句は20節) 口語訳

12
さて、キリストは死人の中からよみがえったのだと宣べ伝えられているのに、あなたがたの中のある者が、死人の復活などはないと言っているのは、どうしたことか。
13
もし死人の復活がないならば、キリストもよみがえらなかったであろう。
14
もしキリストがよみがえらなかったとしたら、わたしたちの宣教はむなしく、あなたがたの信仰もまたむなしい。
15
すると、わたしたちは神にそむく偽証人にさえなるわけだ。なぜなら、万一死人がよみがえらないとしたら、わたしたちは神が実際よみがえらせなかったはずのキリストを、よみがえらせたと言って、神に反するあかしを立てたことになるからである。
16
もし死人がよみがえらないなら、キリストもよみがえらなかったであろう。
17
もしキリストがよみがえらなかったとすれば、あなたがたの信仰は空虚なものとなり、あなたがたは、いまなお罪の中にいることになろう。
18
そうだとすると、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったのである。
19
もしわたしたちが、この世の生活でキリストにあって単なる望みをいだいているだけだとすれば、わたしたちは、すべての人の中で最もあわれむべき存在となる。
20
しかし事実、キリストは眠っている者の初穂として、死人の中からよみがえったのである。
21
それは、死がひとりの人によってきたのだから、死人の復活もまた、ひとりの人によってこなければならない。
22
アダムにあってすべての人が死んでいるのと同じように、キリストにあってすべての人が生かされるのである。
23
ただ、各自はそれぞれの順序に従わねばならない。最初はキリスト、次に、主の来臨に際してキリストに属する者たち、
24
それから終末となって、その時に、キリストはすべての君たち、すべての権威と権力とを打ち滅ぼして、国を父なる神に渡されるのである。
25
なぜなら、キリストはあらゆる敵をその足もとに置く時までは、支配を続けることになっているからである。
26
最後の敵として滅ぼされるのが、死である。
27
「神は万物を彼の足もとに従わせた」からである。ところが、万物を従わせたと言われる時、万物を従わせたかたがそれに含まれていないことは、明らかである。
28
そして、万物が神に従う時には、御子自身もまた、万物を従わせたそのかたに従うであろう。それは、神がすべての者にあって、すべてとなられるためである。

礼拝メッセージの要約 「喜びの復活」 加藤郁生師

召天者合同記念礼拝を迎えて、わたしたちは何よりも、 召天者を救い永遠の命に入らせてくださった主をたたえて礼拝したいと思います。

そして、先に召された兄弟姉妹とわたしたちが、 復活の命の恵みにあずかっていることを共に感謝したいと思います。

  1. 「キリストは眠っている者の初穂として、死人の中からよみがえった。」(20節)

    キリストは、わたしたちのよみがえりの先がけとなってくださいました。 先に召された兄弟姉妹も、確かにキリストによって、よみがえりの命にあずかる者となりました。 わたしたちも、キリストが与えてくださったよみがりの信仰を全うしたいと思います。

  2. 「朽ちるものでまかれ、朽ちないものによみがえり」(41節)

    わたしたちはよみがえって栄光の体に変えられます。 朽ちるものから朽ちないもの、卑しいものから栄光あるものに、 弱いものから強いものに、肉の体から霊の体に変えられるのです。

  3. 「だから、愛する兄弟たちよ。…いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。」(58節)

    キリストの復活、先に召された兄弟姉妹の復活を確信するわたしたちは、 終わりの時に互いに会いまみえるべく、 今この時に全力を注いで主のわざに励みたいと思います。

    復活の信仰に生きるわたしたちは、 主と先に召された兄弟姉妹の前に恥ずかしくない信仰者として、 歩みを全うしたいと思うのです。

写真1 召天者記念合同礼拝ではこのように、召天者の方々の写真を掲示します。写真2 教会の墓地は、右京区鳴滝の小高い山の上にあります。
写真3 皆で賛美をし、祈り、最後に献花をします。写真4 今年は例年に増して、多くの方が参加されました。
Read more...

Posted in  | no comments | no trackbacks

2006年04月16日

イースター礼拝「喜びの復活」

10:30より、主日礼拝 が行われました。

聖書
ヨハネによる福音書20章19-25節
説教題
喜びの復活
説教者
加藤郁生師
出席者数
79人

聖書: ヨハネによる福音書20章19-25節 (中心聖句は20節) 口語訳

19
その日、すなわち、一週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人をおそれて、自分たちのおる所の戸をみなしめていると、イエスがはいってきて、彼らの中に立ち、「安かれ」と言われた。
20
そう言って、手とわきとを、彼らにお見せになった。弟子たちは主を見て喜んだ。
21
イエスはまた彼らに言われた、「安かれ。父がわたしをおつかわしになったように、わたしもまたあなたがたをつかわす」。
22
そう言って、彼らに息を吹きかけて仰せになった、「聖霊を受けよ。
23
あなたがたがゆるす罪は、だれの罪でもゆるされ、あなたがたがゆるさずにおく罪は、そのまま残るであろう」。
24
十二弟子のひとりで、デドモと呼ばれているトマスは、イエスがこられたとき、彼らと一緒にいなかった。
25
ほかの弟子たちが、彼に「わたしたちは主にお目にかかった」と言うと、トマスは彼らに言った、「わたしは、その手に釘あとを見、わたしの指をその釘あとにさし入れ、また、わたしの手をそのわきにさし入れてみなければ、決して信じない」。

礼拝メッセージの要約 「喜びの復活」 加藤郁生師

聖書は、復活の主を見て喜ぶ人々の姿をわたしたちに伝えています。 そしてその喜びは、イースターの礼拝に集い来るわたしたちにも同様に与えられているのです。

  1. イエスは不安と恐れの中にある弟子たちに現れた。

    イエス様が死んで葬られた後、 弟子たちは捕らえられるのを恐れて戸を閉めていました。 彼らの心はなお不安でした。 何故なら、そこにいるべきお方がいなかったからです。

    わたしたちの心の戸を閉じて不安と恐れに震えてしまいます。 もしわたしたちの心にイエス様がいなければ。

  2. イエスは弟子たちに現れ喜びを与えた。

    戸を閉めた弟子たちの部屋に、よみがえりのイエス様は入って来られ、 「安かれ」とおっしゃり、ご自身の傷跡をお見せなさいました。 弟子たちは主を見て喜びました。

    ここに、復活の主を見る喜びがあります。 それまでの不安や恐れが、まったく喜びに変るのです。 わたしたちの心にも、主は来てくださいます。 わたしたちも、主を見て喜ぶものとなるのです。

  3. イエスは弟子たちに派遣の言葉を与えた。

    イエス様は弟子たちに、息を吹きかけ「聖霊を受けよ」とおっしゃいました。 イエス様は派遣の言葉を、弟子たちに与えてくださいました。 弟子たちは、主の派遣の言葉に押し出されるのです。

    わたしたちも復活の主に押し出されて、 福音をたずさせて歩むものとさせていただきたいと思うのです。

また、主日礼拝では 特別賛美 として、 ブレスとともに「うるわしの白百合」を賛美しました。

写真1 加藤郁生師も、バイオリンで参加されました。写真2 イースターということもあって、多くの方とともに賛美できました。
Read more...

Posted in  | no comments | no trackbacks

2006年04月16日

教会学校イースター朝食会

4月16日朝に、恒例の 教会学校イースター朝食会 が行われました。

これは、イエス様が復活された事を記念して、 みんなで(復活の象徴の)卵などを戴きながら、交流を深めるものです。

皆さん美味しく、朝食を戴けたようです。

出席者数
子ども13人、大人12人
写真1 いつもよりちょっと早めの時間ですが、みんなきちんと集まってくれています。写真2 みんないろいろとお話しながら食べています。
写真3 朝食の内容は、パン2個、ゆで卵、バナナ、ジュースでした。写真4 小さい子達も美味しく食べたようです。
写真5 朝食後、2階の礼拝堂に集まって、礼拝を行います。写真6 礼拝では、加藤郁生師よりイースターのメッセージがなされました。

Posted in  | no comments | no trackbacks

Older posts: 1 ... 9 10 11 12 13 ... 21