毎週日曜日、以下の礼拝を行っています。ぜひお越しください。
09:30~ 教会学校 乳幼児~高校生、ぜひご家族とご一緒に
10:30~ 主日礼拝 賛美、聖書のメッセージなど
19:00~ 夕拝 朝の礼拝には時間が合わない方のために
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2005年11月10日

教会の案内看板が設置されました

地域の方々に教会の存在をアピールするために、 また、遠方からの来会者の方々に教会への行き方を案内するために、 教会の案内看板が設置されました。

場所は教会から 200mほど離れた、 花園青果地方卸売市場(山城高校向かい側)の道路側フェンスです。

この看板を通して、来会される方が起こされることを願っています。

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2005年11月06日

主日礼拝「すべての恵みを心にとめよ」

10:15より、主日礼拝 が行われました。

説教者
加藤郁生師
聖書
詩篇103篇1-5節
説教題
すべての恵みを心にとめよ
出席者数
58人

聖書: ヨハネによる福音書14章25-31節 (中心聖句は27節) 口語訳

25
これらのことは、あなたがたと一緒にいた時、すでに語ったことである。
26
しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってつかわされる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、またわたしが話しておいたことを、ことごとく思い起させるであろう。
27
わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな、またおじけるな。
28
『わたしは去って行くが、またあなたがたのところに帰って来る』と、わたしが言ったのを、あなたがたは聞いている。もしわたしを愛しているなら、わたしが父のもとに行くのを喜んでくれるであろう。父がわたしより大きいかたであるからである。
29
今わたしは、そのことが起らない先にあなたがたに語った。それは、事が起った時にあなたがたが信じるためである。
30
わたしはもはや、あなたがたに、多くを語るまい。この世の君が来るからである。だが、彼はわたしに対して、なんの力もない。
31
しかし、わたしが父を愛していることを世が知るように、わたしは父がお命じになったとおりのことを行うのである。立て。さあ、ここから出かけて行こう。

礼拝メッセージの要約 「すべての恵みを心にとめよ」 加藤郁生師

わたしたちの信仰生活にとって大切なことは、 主なる神様がわたしたちにしてくださったすべての恵みを心にとめることです。

その点で、旧約のダビデはいつも主の恵みを覚えて賛美することに努めました。 そのダビデは、主の恵みを次のように語っています。

  1. 主はあなたのすべての罪をゆるし

    わたしたちには、ゆるされなければならない罪があります。 主は、そのわたしたちのすべての罪をゆるす権威を持つお方です。

    イエス様は中風の男に、「あなたの罪はゆるされた」と宣言されました。 わたしたちもこのイエス様のお言葉を聞き、罪のゆるしを確信するのです。

  2. 主はあなたのすべての病をいやし

    主はわたしたちの病をいやします。 病には体の病、心の病、そして魂の病があります。 しかしイエス様は、わたしたちの病をいやしてくださるお方です。

    ある時、洗礼者ヨハネはイエス様が誰であるかを問いましたが、 イエス様は、 病をいやすご自分の姿こそ救い主たる証しであることをヨハネに示しました。 わたしたちもこの救い主のいやしの力を覚えて、感謝したいのです。

  3. 主はあなたのいのちを墓からあがなわれる

    あがないとは、 代価を払って買い取ると言うことです。 イエス様は罪の奴隷として滅び行くわたしたち人間を、 ご自身の命の代価を支払って救い取ってくださいました。 墓の中にあるわたしたちを、 ご自身の命の内に入れてくださったのです。 キリストこそはわたしたちのあがない主であり、まことの主なのです。

これらの主の恵みは今、わたしたちの前にあります。 わたしたちも心から主の恵みを心にとめて、感謝をささげてまいりましょう。

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2005年10月30日

主日礼拝「神はわがやぐら」

10:15より、主日礼拝 が行われました。

説教者
加藤郁生師
聖書
詩篇46篇
説教題
神はわがやぐら
出席者数
66人

聖書: 詩篇46章1-11節 (中心聖句は1節) 口語訳

1
神はわれらの避け所また力である。悩める時のいと近き助けである。
2
このゆえに、たとい地は変り、山は海の真中に移るとも、われらは恐れない。
3
たといその水は鳴りとどろき、あわだつとも、そのさわぎによって山は震え動くとも、われらは恐れない。〔セラ
4
一つの川がある。その流れは神の都を喜ばせ、いと高き者の聖なるすまいを喜ばせる。
5
神がその中におられるので、都はゆるがない。神は朝はやく、これを助けられる。
6
もろもろの民は騒ぎたち、もろもろの国は揺れ動く、神がその声を出されると地は溶ける。
7
万軍の主はわれらと共におられる、ヤコブの神はわれらの避け所である。〔セラ
8
来て、主のみわざを見よ、主は驚くべきことを地に行われた。
9
主は地のはてまでも戦いをやめさせ、弓を折り、やりを断ち、戦車を火で焼かれる。
10
「静まって、わたしこそ神であることを知れ。わたしはもろもろの国民のうちにあがめられ、全地にあがめられる」。
11
万軍の主はわれらと共におられる、ヤコブの神はわれらの避け所である。〔セラ

礼拝メッセージの要約 「神はわがやぐら」 加藤郁生師

1517年、ドイツのマルチン・ルターは時の教会に抗議して、 ウィッテンベルク城の扉に95カ条の提題を貼り付けました。

宗教改革はここから始まりましたが、 わたしたちは今もルターのスピリットに多くを学びます。

  1. ルターの動機に学ぶ

    ルターは決して教会の組織や制度を変えようとして 運動を起こしたのではありませんでした。 ルターの志した動機は、 御言葉の真理に従って信仰による救いを福音として指し示すことでした。 それは人間の行いによって獲得する救いではなく、 キリストのあがないを信じて受けとる救いであり、 神の恵みによるものでした。 わたしたちもこのスピリットを受け取って行きたいと思います。

  2. ルターの改革の意義に学ぶ

    ルターの改革は、教会が神の民であるという自覚を促すものでした。 ルターは信仰によって義とされた魂はすべて、 キリストの体である教会に等しくつながり、 教会を建て上げる使命にあずかっていることを明かにしたのです。 ですからルターは、万人祭司を唱え、聖書のドイツ語翻訳をしました。 ルターの努力は、信仰者はすべて、 神の教会のかけがえのない一員であることを教えるのです。

  3. ルターの神と御言葉への信頼に学ぶ

    改革以来、ルターの歩みは試練と困難に満ちていました。 しかしルターは御言葉に依り頼みました。 特にルターは詩篇46篇に親しみ、 そこから「神はわがやぐら」という賛美歌を作り愛唱しました。 御言葉と賛美こそがルターの力でした。 わたしたちもこの終末の時代に、 御言葉と賛美をもって福音を宣べ伝えるお互いとさせていただきたいものです。

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2005年10月23日

「秋のチャペルコンサート」が行われました

毎年秋に行われるチャペルコンサートが、 今年は 村尾恵一兄・明貴子姉ご夫妻と井上麻子姉をお迎えして行われました。

出演者
村尾恵一兄、村尾明貴子姉、井上麻子姉
メッセージ
加藤郁生師
出席者数
99人

新来会者の方々も多数出席され、たいへん素晴らしい集会となり、感謝でした。

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2005年10月23日

主日礼拝「見よ、世の罪を取り除く神の子羊」

10:15より、主日礼拝 が行われました。

説教者
加藤郁生師
聖書
ヨハネによる福音書1章19-34節
説教題
見よ、世の罪を取り除く神の子羊
出席者数
73人

聖書: ヨハネによる福音書1章19-34節 (中心聖句は29節) 口語訳

19
さて、ユダヤ人たちが、エルサレムから祭司たちやレビ人たちをヨハネのもとにつかわして、「あなたはどなたですか」と問わせたが、その時ヨハネが立てたあかしは、こうであった。
20
すなわち、彼は告白して否まず、「わたしはキリストではない」と告白した。
21
そこで、彼らは問うた、「それでは、どなたなのですか、あなたはエリヤですか」。彼は「いや、そうではない」と言った。「では、あの預言者ですか」。彼は「いいえ」と答えた。
22
そこで、彼らは言った、「あなたはどなたですか。わたしたちをつかわした人々に、答えを持って行けるようにしていただきたい。あなた自身をだれだと考えるのですか」。
23
彼は言った、「わたしは、預言者イザヤが言ったように、『主の道をまっすぐにせよと荒野で呼ばわる者の声』である」。
24
つかわされた人たちは、パリサイ人であった。
25
彼らはヨハネに問うて言った、「では、あなたがキリストでもエリヤでもまたあの預言者でもないのなら、なぜバプテスマを授けるのですか」。
26
ヨハネは彼らに答えて言った、「わたしは水でバプテスマを授けるが、あなたがたの知らないかたが、あなたがたの中に立っておられる。
27
それがわたしのあとにおいでになる方であって、わたしはその人のくつのひもを解く値うちもない」。
28
これらのことは、ヨハネがバプテスマを授けていたヨルダンの向こうのベタニヤであったのである。
29
その翌日、ヨハネはイエスが自分の方にこられるのを見て言った、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。
30
『わたしのあとに来るかたは、わたしよりもすぐれたかたである。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この人のことである。
31
わたしはこのかたを知らなかった。しかし、このかたがイスラエルに現れてくださるそのことのために、わたしはきて、水でバプテスマを授けているのである」。
32
ヨハネはまたあかしをして言った、「わたしは、御霊がはとのように天から下って、彼の上にとどまるのを見た。
33
わたしはこの人を知らなかった。しかし、水でバプテスマを授けるようにと、わたしをおつかわしになったそのかたが、わたしに言われた、『ある人の上に、御霊が下ってとどまるのを見たら、その人こそは、御霊によってバプテスマを授けるかたである』。
34
わたしはそれを見たので、このかたこそ神の子であると、あかしをしたのである」。

礼拝メッセージの要約 「見よ、世の罪を取り除く神の子羊」 加藤郁生師

洗礼者ヨハネはイエス様を「世の罪を取り除く神の子羊」と称しました。 そのことはいったい何を意味しているのでしょうか?

  1. わたしたちには取り除かれなければならない罪があります。

    ヨハネは「世の罪」と言いました。 人間は世の罪に支配され、永遠の滅びに定められています。 罪をそのままにして、人間の本当の幸福、本当の喜び、本当の将来はありません。 罪は取り除かれなければならないのです。 誰がそれをするのでしょうか?

  2. 神の御子イエス・キリストはわたしたちのいっさいの罪を取り除いてくださいます。

    神の御子イエス・キリストがこの世に来てくださったのは、 わたしたちをこの世のもろもろの罪から救うためでした。 この世には癌を取り除く名医がいますが、 イエス様こそわたしたちの罪を完全に取り除く魂の医者です。 わたしたちの罪がどれほど執拗なものであっても イエス様は完全に取り除ききよめてくださるのです。

  3. キリストはわたしたちの罪を取り除くために神の子羊としてご自身をささげてくださいました。

    旧約では、子羊は罪の身代わりとしていけにえにささげられました。 新約においてキリストはわたしたちの罪のために「神の子羊」として ご自身をささげてくださいました。 このキリストの十字架のあがないによって、わたしたちの罪は完全に取り除かれ、 わたしたちは救われるのです。 ヨハネは「見よ」と言いました。 わたしたちもキリストを仰ぎ見て、 信仰をもってキリストを信じ、 救いの恵みにあずかるお互いとさせていただきましょう。

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