毎週日曜日、以下の礼拝を行っています。ぜひお越しください。
09:30~ 教会学校 乳幼児~高校生、ぜひご家族とご一緒に
10:30~ 主日礼拝 賛美、聖書のメッセージなど
19:00~ 夕拝 朝の礼拝には時間が合わない方のために
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2005年10月16日

主日礼拝「イエス様との交わりの内に歩むことの幸い」

10:15より、主日礼拝 が行われました。

説教者
加藤郁生師
聖書
マルコによる福音書5章25-34節
説教題
イエス様との交わりの内に歩むことの幸い
出席者数
60人

聖書: マルコによる福音書5章25-34節 (中心聖句は30節) 口語訳

25
さてここに、十二年間も長血をわずらっている女がいた。
26
多くの医者にかかって、さんざん苦しめられ、その持ち物をみな費してしまったが、なんのかいもないばかりか、かえってますます悪くなる一方であった。
27
この女がイエスのことを聞いて、群衆の中にまぎれ込み、うしろから、み衣にさわった。
28
それは、せめて、み衣にでもさわれば、なおしていただけるだろうと、思っていたからである。
29
すると、血の元がすぐにかわき、女は病気がなおったことを、その身に感じた。
30
イエスはすぐ、自分の内から力が出て行ったことに気づかれて、群衆の中で振り向き、「わたしの着物にさわったのはだれか」と言われた。
31
そこで弟子たちが言った、「ごらんのとおり、群衆があなたに押し迫っていますのに、だれがさわったかと、おっしゃるのですか」。
32
しかし、イエスはさわった者を見つけようとして、見まわしておられた。
33
その女は自分の身に起ったことを知って、恐れおののきながら進み出て、みまえにひれ伏して、すべてありのままを申し上げた。
34
イエスはその女に言われた、「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい。すっかりなおって、達者でいなさい」。

礼拝メッセージの要約 「イエス様との交わりの内に歩むことの幸い」 加藤郁生師

12年間長血をわずらっていた女が、 イエス様の衣にふれることでいやされました。 どれほどの喜びであったことでしょう。

しかしイエス様はその女をそのまま去らせませんでした。 イエス様は振り返って、あたりを見回しました。 そしてイエス様の前にひれ伏す女にねんごろに語りかけ、 祝福を与えて送り出されました。

この世のご利益宗教的なものは、結果だけを求め、関係を求めません。 しかしイエス様はわたしたちを救い、いやしてくださると同時に、 わたしたちとの継続的な親密な交わり、関係を求めておられるのです。

ヨハネは主との交わりについて記しています。

わたしたちの交わりとは、父ならびに御子イエス・キリストとの交わりのことである。 これを書きおくるのは、わたしたちの喜びが満ちあふれるためである。

主とのまじわりをいただく時、わたしたちはキリストの愛に触れ、 大いなる喜びに満たされるのです。

瞬きの詩人と言われる水野源三さんは、キリストの愛に触れた時のことを一篇の詩にしています。

キリストのみ愛に触れた時 わたしの心は変わりました。 喜びと希望の 朝の光がさして来ました。

わたしたちも、キリストの交わりの内に、 キリストの愛に触れる中での喜びと希望に満ちたクリスチャンとしての歩みを 全とうさせていただきましょう。

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2005年10月09日

主日礼拝「良きおとずれを告げる者として」

10:15より、主日礼拝 が行われました。

説教者
加藤郁生師
聖書
ローマ人への手紙10章9-17節
説教題
良きおとずれを告げる者として
出席者数
64人

聖書: ローマ人への手紙10章9-17節 (中心聖句は15節) 口語訳

9
すなわち、自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。
10
なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである。
11
聖書は、「すべて彼を信じる者は、失望に終ることがない」と言っている。
12
ユダヤ人とギリシヤ人との差別はない。同一の主が万民の主であって、彼を呼び求めるすべての人を豊かに恵んで下さるからである。
13
なぜなら、「主の御名を呼び求める者は、すべて救われる」とあるからである。
14
しかし、信じたことのない者を、どうして呼び求めることがあろうか。聞いたことのない者を、どうして信じることがあろうか。宣べ伝える者がいなくては、どうして聞くことがあろうか。
15
つかわされなくては、どうして宣べ伝えることがあろうか。「ああ、麗しいかな、良きおとずれを告げる者の足は」と書いてあるとおりである。
16
しかし、すべての人が福音に聞き従ったのではない。イザヤは、「主よ、だれがわたしたちから聞いたことを信じましたか」と言っている。
17
したがって、信仰は聞くことによるのであり、聞くことはキリストの言葉から来るのである。

礼拝メッセージの要約 「良きおとずれを告げる者として」 加藤郁生師

ローマ書10章には、 わたしたちがよって立つべき救いの大原則が記されてあります。

すなわち、自分の口で、イエスは主であると告白し、 自分の心で、神が死人中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。

このように、わたしたちがどんな罪人であっても、 はっきりとイエスは主でると信じて告白するならば、わたしたちは確かに救われるのです。

ですけれども、ここで忘れてはならない大切なことがあります。 すなわち、この福音を伝える者がなくてはならないということです。

しかし、信じたことのない者を、どうして呼び求めることがあろうか。 聞いたことのない者を、どうして信じることがあろうか。 宣べ伝える者がいなくては、どうして聞くことがあろうか。 『ああ、麗しきかな、良きおとずれを告げる者の足は』

確かに福音は聞くことなしに信じることが出来ませんし、 聞くことは宣べ伝える者なしにありえません。 すなわち、救霊のわざはわたしたちの宣教にかかっているのです。

ですから、わたしたちはこの時代に大胆に福音を宣べ伝える者となりたいと思います。

わたしたちは福音を宣べ伝える者として三つのことに取り組みたいと思います。

  1. 救霊のために祈ること
  2. 教会の集会やプログラムに参加すること
  3. 福音を語る機会が与えられたら御言葉を伝えること

わたしたちも良きおとずれを告げる者の足として主に仕えてまいりましょう。

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2005年10月02日

主日礼拝「土の器の中に働く神の力」

10:15より、主日礼拝 が行われました。

聖書
コリント人への第二の手紙4章7-12節
説教題
土の器の中に働く神の力
説教者
加藤郁生師
出席者数
59人

聖書: コリント人への第二の手紙4章7-12節 (中心聖句は7節) 口語訳

7
しかしわたしたちは、この宝を土の器の中に持っている。その測り知れない力は神のものであって、わたしたちから出たものでないことが、あらわれるためである。
8
わたしたちは、四方から患難を受けても窮しない。途方にくれても行き詰まらない。
9
迫害に会っても見捨てられない。倒されても滅びない。
10
いつもイエスの死をこの身に負うている。それはまた、イエスのいのちが、この身に現れるためである。
11
わたしたち生きている者は、イエスのために絶えず死に渡されているのである。それはイエスのいのちが、わたしたちの死ぬべき肉体に現れるためである。
12
こうして、死はわたしたちのうちに働き、いのちはあなたがたのうちに働くのである。

礼拝メッセージの要約 「土の器の中に働く神の力」 加藤郁生師

パウロは言いました。

しかしわたしたちは、この宝を土の器の中に持っている。 その測り知れない力は神のものであって、 わたしたちから出たものでないことが、あらわれるためである。

人間は土の器です。 神様から造られた被造物です。 このことはわたしたちを謙遜にし、わたしたちに平安を与えます。

しかし人間はついつい自分が土の器であることを忘れ、 分不相応のことをしてしまいます。 そして疲れ弱り、つまずきます。 ですからわたしたちは、 自分が陶器師たる神様の手にある土の器たることを忘れてはならないのです。

そして土の器たるわたしたちが覚えるべき、 もうひとつのことがあります。 それは、わたしたちという卑しい土の器の中に、 素晴らしい宝がもられているということです。 それではその宝とはいったいなんでしょうか?

それは他ならぬイエス・キリスト様です。 この宝たるキリストは、確かにわたしたちの内に生きておられます。 そしてわたしたちのような卑しい体の中で輝いてくださり、 計り知れない力をもって働いてくださるのです。

このように、 わたしたちの内にキリストが生きておられることを知ることが出来るとは、 何と素晴らしいことでしょう。

人は宝を得るならば、喜びます。 わたしたちはこの世の朽ちる宝ではなく、永遠の宝たるキリストをいただいているのです。 心から喜び主を讃えつつ、歩んでまいりましょう。

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2005年09月25日

教会学校・秋のレクリエーション「沢ガニ取り」

9月25日の午後、教会学校の秋のレクリエーションとして、 「沢ガニ取り」 を高雄で行いました。

神様が創られた素晴らしい山々の緑を感じながら、 みんな苦労して沢ガニを見つけ出していました。

熱中して体が熱くなったところで、アイスを食べて、 涼しい気持ちになって楽しく帰りました。

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2005年09月25日

主日礼拝「聖書に生かされる信仰者」

10:15より、主日礼拝 が行われました。

聖書
テモテへの第二の手紙3章10-17節
説教題
聖書に生かされる信仰者
説教者
加藤郁生師
出席者数
76人

聖書: テモテへの第二の手紙3章10-17節 (中心聖句は16節) 口語訳

10
しかしあなたは、わたしの教、歩み、こころざし、信仰、寛容、愛、忍耐、
11
それから、わたしがアンテオケ、イコニオム、ルステラで受けた数々の迫害、苦難に、よくも続いてきてくれた。そのひどい迫害にわたしは耐えてきたが、主はそれらいっさいのことから、救い出して下さったのである。
12
いったい、キリスト・イエスにあって信心深く生きようとする者は、みな、迫害を受ける。
13
悪人と詐欺師とは人を惑わし人に惑わされて、悪から悪へと落ちていく。
14
しかし、あなたは、自分が学んで確信しているところに、いつもとどまっていなさい。あなたは、それをだれから学んだか知っており、
15
また幼い時から、聖書に親しみ、それが、キリスト・イエスに対する信仰によって救に至る知恵を、あなたに与えうる書物であることを知っている。
16
聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。
17
それによって、神の人が、あらゆる良いわざに対して十分な準備ができて、完全にととのえられた者になるのである。

礼拝メッセージの要約 「聖書に生かされる信仰者」 加藤郁生師

聖書は神のことばです。 聖書はすべての「神の霊感をうけて書かれ」ました。 「神の霊感」とは“神様が直接息を吹き入れられた”という意味であり、 いかに聖書が神の特別な啓示の書であるかが分かります。 この聖書は、わたしたちを「教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益」です。 聖書を開くと、聖書自身がそのことを証ししています。

  1. 心を燃やす聖書

    エマオ途上の弟子たちは、イエス様が死んで葬られたことを悲しみ、沈んでいました。 しかしイエス様は彼らと共に歩き、みことばを解き明かしました。 すると弟子たちの心が内に燃やされたのです。 みことばはわたしたちの内にある魂を、霊を、愛を、信仰を燃やすのです。 わたしたちも、みことばによって燃やされる信仰者となりたいと思います。

  2. 喜びを与える聖書

    エチオピアの宦官は、エルサレムからの礼拝の帰りにイザヤを読んいましたが、 主に使わされたピリポによる聖書の解き明かしによって、 キリストを信じ洗礼の恵みにあずかりました。 宦官は喜びながら旅を続けることができました。 みことばはわたしたちに信仰を与え喜びを与えます。 みことばによって与えられる喜びは、この世の何ものにもかえることはできません。

みことばうちひらくれば光をはなちて、愚かなるものをさとからしむ。 詩篇119篇130節

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