毎週日曜日、以下の礼拝を行っています。ぜひお越しください。
09:30~ 教会学校 乳幼児~高校生、ぜひご家族とご一緒に
10:30~ 主日礼拝 賛美、聖書のメッセージなど
19:00~ 夕拝 朝の礼拝には時間が合わない方のために
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2005年09月18日

主日礼拝「ヴィジョンに生きるカレブの祝福」

10:15より、主日礼拝 が行われました。

聖書
ヨシュア記14章
説教題
ヴィジョンに生きるカレブの祝福
説教者
加藤郁生師
出席者数
63人

聖書: ヨシュア記14章1-15節 (中心聖句は10-11節) 口語訳

1
イスラエルの人々が、カナンの地で受けた嗣業の地は、次のとおりである。すなわち、祭司エレアザル、ヌンの子ヨシュア、およびイスラエルの人々の部族の首長たちが、これを彼らに分かち、
2
主がモーセによって命じられたように、くじによって、これを九つの部族と、半ばの部族とに、嗣業として与えた。
3
これはヨルダンの向こう側で、モーセがすでに他の二つの部族と、半ばの部族とに、嗣業を与えていたからである。ただしレビびとには、彼らの中で嗣業を与えず、
4
ヨセフの子孫が、マナセと、エフライムの二つの部族となったからである。レビびとには土地の分け前を与えず、ただ、その住むべき町々および、家畜と持ち物とを置くための放牧地を与えたばかりであった。
5
イスラエルの人々は、主がモーセに命じられたようにおこなって、その地を分けた。
6
時に、ユダの人々がギルガルのヨシュアの所にきて、ケニズびとエフンネの子カレブが、ヨシュアに言った、「主がカデシ・バルネアで、あなたとわたしとについて、神の人モーセに言われたことを、あなたはごぞんじです。
7
主のしもべモーセが、この地を探るために、わたしをカデシ・バルネアからつかわした時、わたしは四十歳でした。そしてわたしは、自分の信ずるところを復命しました。
8
しかし、共に上って行った兄弟たちは、民の心をくじいてしまいましたが、わたしは全くわが神、主に従いました。
9
その日モーセは誓って、言いました、『おまえの足で踏んだ地は、かならず長くおまえと子孫との嗣業となるであろう。おまえが全くわが神、主に従ったからである』。
10
主がこの言葉をモーセに語られた時からこのかた、イスラエルが荒野に歩んだ四十五年の間、主は言われたように、わたしを生きながらえさせてくださいました。わたしは今日すでに八十五歳ですが、
11
今もなお、モーセがわたしをつかわした日のように、健やかです。わたしの今の力は、あの時の力に劣らず、どんな働きにも、戦いにも堪えることができます。
12
それで主があの日語られたこの山地を、どうか今、わたしにください。あの日あなたも聞いたように、そこにはアナキびとがいて、その町々は大きく堅固です。しかし、主がわたしと共におられて、わたしはついには、主が言われたように、彼らを追い払うことができるでしょう」。
13
そこでヨシュアはエフンネの子カレブを祝福し、ヘブロンを彼に与えて嗣業とさせた。
14
こうしてヘブロンは、ケニズびとエフンネの子カレブの嗣業となって、今日に至っている。彼が全くイスラエルの神、主に従ったからである。
15
ヘブロンの名は、もとはキリアテ・アルバといった。アルバは、アナキびとのうちの、最も大いなる人であった。こうしてこの地に戦争はやんだ。

礼拝メッセージの要約 「ヴィジョンに生きるカレブの祝福」 加藤郁生師

聖書を見ますと、老いてもなお弱らず、 むしろますますヴィジョンに向って進んでいった信仰者を見ることが出来ます。 アブラハム、モーセ、サムエル、エリヤ、イザヤ、ヨハネなど枚挙にいとまがありませんが、 カレブもまたそのひとりでした。 イスラエルの民が45年荒野で放浪し、 カナンの地を獲得したのはカレブが85歳の時でした。 しかしカレブの信仰は弱りませんでした。 それどころか、モーセの約束によって与えられたヴィジョンのために立ちあがりました。

主があの日語られたこの山地を、どうか今、わたしにください。

このようにカレブは大胆に、嗣業の地を獲得することをヨシュアに申しました。 このカレブの信仰をわたしたちは学ぶ必要があります。 ヨエル書や使徒行伝では、「若者たちは幻を見、老人たちは夢を見るであろう」と記されています。 幻を、ヴィジョンを見るのは若者だけではありません。 カレブのような信仰者は夢を見ることができるのです。 わたしたちの教会は、このカレブの信仰を必要としています。 カレブのヴィジョン、カレブの祈り、カレブの働きを必要としているのです。

故堀江博先生は言われました。

わたしたちにとって最も若いときは“今”です

わたしたちも神様からいただいた信仰を燃やして、 ヴィジョンに向って前進させていただこうではありませんか。

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2005年09月11日

主日礼拝「宣教の報酬」

10:15より、主日礼拝 が行われました。

聖書
詩篇126篇
説教題
宣教の報酬
説教者
加藤郁生師
出席者数
69人

聖書: 詩篇126章1-6節 (中心聖句は5節) 口語訳

1
主がシオンの繁栄を回復されたとき、われらは夢みる者のようであった。
2
その時われらの口は笑いで満たされ、われらの舌は喜びの声で満たされた。その時「主は彼らのために大いなる事をなされた」と言った者が、もろもろの国民の中にあった。
3
主はわれらのために大いなる事をなされたので、われらは喜んだ。
4
主よ、どうか、われらの繁栄を、ネゲブの川のように回復してください。
5
涙をもって種まく者は、喜びの声をもって刈り取る。
6
種を携え、涙を流して出て行く者は、束を携え、喜びの声をあげて帰ってくるであろう。

礼拝メッセージの要約 「宣教の報酬」 加藤郁生師

涙をもって種まく者は、喜びの声をもって刈り取る。

これは、わたしたちの福音宣教の法則です。 種まきが無ければ刈り取りはありません。 そして種まきは涙を伴うものなのです。

しかし私たちが倦まずたゆまずみ言葉の種をまくならば、 必ず主はわたしたちの労に報いてくださり祝福してくださるのです。

  1. 魂の救いという刈り取り

    種まきによって主のみ救いにあずかる人がおこされます。 最初は神様を知らない、受け入れない、時には反対するような人であったとしても、 やがて心を開いてキリストを信じて受け入れる時が来るのです。 それは神様にとって、わたしたちにとって、喜びの刈り取りの時です。

  2. 教会の祝福という刈り取り

    わたしたちが宣教のヴィジョンをしっかりともって種をまきつづけるならば、 必ず神様は喜びの束を携えることの出来る教会にしてくださいます。 神様はわたしたちに新しいことをしてくださいます。 それは、荒野に川を流れさせるような主の大いなるみわざです。 福音宣教にいそしむ教会は主の豊かな祝福にあずかるのです。

  3. 天上の大いなる報いの刈り取り

    わたしたちの宣教の奉仕は地上の一時的なものではなく、 永遠の御国、天上の報いへと続きます。 ですから主にあって、わたしたちの労苦はけっしてむだになることはありません。

    イエス様も「人の子は父の栄光のうちに、御使いたちを従えて来るが、 その時には、実際のおこないに応じて、それぞれに報いるであろう」とお約束くださいました。 わたしたちも主のお約束を信じて、福音宣教の尊い使命を全とうさせていただきましょう。

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2005年09月04日

主日礼拝「あなたを変える神の愛」

10:15より、主日礼拝 が行われました。

聖書
ヨハネの第一の手紙4章7-10節
説教題
あなたを変える神の愛
説教者
加藤郁生師
出席者数
70人

聖書: ヨハネの第一の手紙4章7-10節 (中心聖句は10節) 口語訳

7
愛する者たちよ。わたしたちは互に愛し合おうではないか。愛は、神から出たものなのである。すべて愛する者は、神から生れた者であって、神を知っている。
8
愛さない者は、神を知らない。神は愛である。
9
神はそのひとり子を世につかわし、彼によってわたしたちを生きるようにして下さった。それによって、わたしたちに対する神の愛が明らかにされたのである。
10
わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。ここに愛がある。

礼拝メッセージの要約 「あなたを変える神の愛」 加藤郁生師

神様はわたしたち人間をアガペーの愛をもって愛しておられます。 アガペーの愛は人間の愛と異なって、無償の愛であり、惜しみなく与える愛です。 神様は何を与えてくださっているのでしょうか?

  1. 神様は愛するひとり子イエス・キリストを与えてくださいました。

    神様はわたしたちが一人でも罪によって滅びることをよしとせず、 わたしたちの罪のために御子イエス・キリストを与えてくださいました。 キリストはわたしたちの罪をあがなう神の子羊として、 十字架にかかって死んでくださいました。 ここに神様のアガペーの愛の真髄があります。

  2. 神様はわたしたちに永遠の命の希望を与えてくださいました。

    十字架はわたしたちの罪をゆるし清めつくします。 そして十字架は、わたしたちへの死の支配を打ち破り、死を滅ぼします。 ですからわたしたちは死ではなく永遠の命に移されるのです。 この永遠の命はわたしたちに真の希望を与え喜びを満たすのです。

    神様が与えて下さるわたしたちの将来は、失望ではなく永遠の命の希望に満ちています。

  3. 神様はわたしたちを愛の人に変える力を与えてくださいました。

    神様はわたし愛の人にしてくださいます。 十字架はわたしたちを変える力があります。 もちろんわたしたちには何の愛もありません。 しかし神様は、空っぽのわたしたちの心にアガペーの愛を惜しみなく注いでくださり、 満たしてくださるのです。

    わたしたちが本気でキリストを信じ従う時、 わたしたちは愛の人へと変えられるのです。

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2005年08月28日

主日礼拝「十字架のあがない~恐怖からの解放」

10:15より、主日礼拝 が行われました。

聖書
ヘブル人への手紙2章14-18節
説教題
十字架のあがない~恐怖からの解放
説教者
加藤郁生師
出席者数
65人

聖書: ヘブル人への手紙2章14-18節 (中心聖句は15節) 口語訳

14
このように、子たちは血と肉とに共にあずかっているので、イエスもまた同様に、それらをそなえておられる。それは、死の力を持つ者、すなわち悪魔を、ご自分の死によって滅ぼし、
15
死の恐怖のために一生涯、奴隷となっていた者たちを、解き放つためである。
16
確かに、彼は天使たちを助けることはしないで、アブラハムの子孫を助けられた。
17
そこで、イエスは、神のみまえにあわれみ深い忠実な大祭司となって、民の罪をあがなうために、あらゆる点において兄弟たちと同じようにならねばならなかった。
18
主ご自身、試錬を受けて苦しまれたからこそ、試錬の中にある者たちを助けることができるのである。

礼拝メッセージの要約 「十字架のあがない~恐怖からの解放」 加藤郁生師

人間にとって避けることの出来ないものは、死であります。 どんな人も死を免れることはできません。 そうであるならば、次の問題が生じます。 すなわたち、わたしたちにとって死はどういう意味を持つのか、ということです。

多くの人にとって死はやはり恐ろしい、忌まわしいものでしかありません。 聖書にも、そのような人間の姿を 「死の恐怖のために一生涯、奴隷となっていたものたち」とあります。

パウロのもこのことにふれて言いました。

だれがこの死のからだから、わたしを救ってくれるだろうか。

パウロも人間が死ぬべき存在であることをよく知っていました。 ですからパウロにとっての救いは、何よりも死から救いでした。 はたして救いはあるでしょうか?

これに対する聖書の答えは、もちろんイエスです。 それは救い主イエス・キリストによってもたらされました。

第一に、キリストは罪を滅ぼしました。 キリストは死の力を持つ者、すなわち悪魔を、ご自分の十字架の死によって滅ぼしました。 死が滅ぼされたならば、残されたものは命です。 わたしたちは永遠の命に生きるものとされたのです。

第二に、キリストはわたしたちを死の恐怖から解放しました。 十字架によって死を滅ぼしてくださったお方は、 死の恐怖のために奴隷となっていたわたしたちをも解放してくださったのです。 わたしたちは死への恐怖ではなく、永遠の命の希望に生きるものとされたのです。

わたしたちも信仰者として死の恐怖から解放されたものとして、 喜びと感謝を持って生きる者とさせていただきましょう。

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2005年08月27日

京滋地区教会学校上級生バイブルキャンプ

同じ教団の 大津キリスト教会 にて、 京滋地区の教会学校上級生バイブルキャンプが行われ、 当教会からも、子ども 3人、奉仕者 4人が参加しました。

小学校の上級生を対象に日帰りで、近くの 皇子が丘公園 でボール遊びをしたり、みんなでご飯を食べたり、メッセージを聞いたりしました。

小さな子も多く参加して、十分に楽しむことが出来、感謝でした。

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