毎週日曜日、以下の礼拝を行っています。ぜひお越しください。
09:30~ 教会学校 乳幼児~高校生、ぜひご家族とご一緒に
10:30~ 主日礼拝 賛美、聖書のメッセージなど
19:00~ 夕拝 朝の礼拝には時間が合わない方のために
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2006年08月13日

主日礼拝「神の愛の性質」

10:30より、主日礼拝 が行われました。

聖書
コリント人への第一の手紙13章
説教題
神の愛の性質
説教者
加藤郁生師
出席者数
57人

聖書: コリント人への第一の手紙13章1-13節 (中心聖句は13節) 口語訳

1
たといわたしが、人々の言葉や御使たちの言葉を語っても、もし愛がなければ、わたしは、やかましい鐘や騒がしい鐃鉢と同じである。
2
たといまた、わたしに預言をする力があり、あらゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、また、山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい。
3
たといまた、わたしが自分の全財産を人に施しても、また、自分のからだを焼かれるために渡しても、もし愛がなければ、いっさいは無益である。
4
愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない。
5
不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。
6
不義を喜ばないで真理を喜ぶ。
7
そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。
8
愛はいつまでも絶えることがない。しかし、預言はすたれ、異言はやみ、知識はすたれるであろう。
9
なぜなら、わたしたちの知るところは一部分であり、預言するところも一部分にすぎない。
10
全きものが来る時には、部分的なものはすたれる。
11
わたしたちが幼な子であった時には、幼な子らしく語り、幼な子らしく感じ、また、幼な子らしく考えていた。しかし、おとなとなった今は、幼な子らしいことを捨ててしまった。
12
わたしたちは、今は、鏡に映して見るようにおぼろげに見ている。しかしその時には、顔と顔とを合わせて、見るであろう。わたしの知るところは、今は一部分にすぎない。しかしその時には、わたしが完全に知られているように、完全に知るであろう。
13
このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。

礼拝メッセージの要約 「神の愛の性質」 加藤郁生師

パウロは霊の賜物の中で最も追い求めるべきものとして(アガペー)愛をあげています。

この愛とは、

  1. 愛の超越性

    神の愛は人間のいかなる行為をも超えたものです。

    どんなに人間的に崇高な行為であったとしても、 神の愛なくしては無意味であるとさえ言っています。

    神の愛はこの世のあらゆるものを超越しているのです。

  2. 愛の人格性

    神の愛は人間にはありません。 神の愛は、イエス・キリストの御人格そのものです。

    わたしたちがキリストの人格、品性に触れる時、 わたしたちは神の愛を表すことができます。

    神の愛はわたしたちに御内住くださるイエス・キリストの御霊として働いてくださいます。 キリストがわたしたちの内に生きる時、 わたしたちは神の愛に生きる者とされるのです。

  3. 愛の永遠性

    この世のものはすたれます。 しかし神の愛はとこしえに絶えることがありません。

    神の愛は終末の時に決して色あせることなく輝くのです。 神の愛はキリストの愛、十字架の愛です。

    わたしたちはこの神さまの愛にわたしたちの人生を、 将来を、希望を託して歩んで行きたいと思うのです。

いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。 このうちで最も大いなるものは、愛である。

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2006年08月06日

主日礼拝「聖餐の共同体として歩む信仰者」

10:30より、主日礼拝 が行われました。

聖書
コリント人への第一の手紙11章17-34節
説教題
聖餐の共同体として歩む信仰者
説教者
加藤郁生師
出席者数
65人

聖書: コリント人への第一の手紙11章17-34節 (中心聖句は26節) 口語訳

17
ところで、次のことを命じるについては、あなたがたをほめるわけにはいかない。というのは、あなたがたの集まりが利益にならないで、かえって損失になっているからである。
18
まず、あなたがたが教会に集まる時、お互の間に分争があることを、わたしは耳にしており、そしていくぶんか、それを信じている。
19
たしかに、あなたがたの中でほんとうの者が明らかにされるためには、分派もなければなるまい。
20
そこで、あなたがたが一緒に集まるとき、主の晩餐を守ることができないでいる。
21
というのは、食事の際、各自が自分の晩餐をかってに先に食べるので、飢えている人があるかと思えば、酔っている人がある始末である。
22
あなたがたには、飲み食いをする家がないのか。それとも、神の教会を軽んじ、貧しい人々をはずかしめるのか。わたしはあなたがたに対して、なんと言おうか。あなたがたを、ほめようか。この事では、ほめるわけにはいかない。
23
わたしは、主から受けたことを、また、あなたがたに伝えたのである。すなわち、主イエスは、渡される夜、パンをとり、
24
感謝してこれをさき、そして言われた、「これはあなたがたのための、わたしのからだである。わたしを記念するため、このように行いなさい」。
25
食事ののち、杯をも同じようにして言われた、「この杯は、わたしの血による新しい契約である。飲むたびに、わたしの記念として、このように行いなさい」。
26
だから、あなたがたは、このパンを食し、この杯を飲むごとに、それによって、主がこられる時に至るまで、主の死を告げ知らせるのである。
27
だから、ふさわしくないままでパンを食し主の杯を飲む者は、主のからだと血とを犯すのである。
28
だれでもまず自分を吟味し、それからパンを食べ杯を飲むべきである。
29
主のからだをわきまえないで飲み食いする者は、その飲み食いによって自分にさばきを招くからである。
30
あなたがたの中に、弱い者や病人が大ぜいおり、また眠った者も少なくないのは、そのためである。
31
しかし、自分をよくわきまえておくならば、わたしたちはさばかれることはないであろう。
32
しかし、さばかれるとすれば、それは、この世と共に罪に定められないために、主の懲らしめを受けることなのである。
33
それだから、兄弟たちよ。食事のために集まる時には、互に待ち合わせなさい。
34
もし空腹であったら、さばきを受けに集まることにならないため、家で食べるがよい。そのほかの事は、わたしが行った時に、定めることにしよう。

礼拝メッセージの要約 「聖餐の共同体として歩む信仰者」 加藤郁生師

コリントの教会も例外なく、集会の中で主の死を記念して聖餐にあずかり、 キリスト・イエスあって一つであることを確認する恵みの機会を与えられていました。

しかし残念なことに、そこにも世的な風潮が入り込んでいました。

聖餐を伴う集会をする前に、裕福な人々は集会の家に集まり宴を設けました。 その結果、聖餐の時には、すでに勝手に食事を終えて、酔ってしまう始末でした。 一方、奴隷の身分のクリスチャンは、家の中庭に座らされて飢え、 集会を迎える有馬様でした。

パウロはこういった教会の姿を憂い、聖餐の意義を語るのです。

だから、あなたがたは、このパンを食し、この杯を飲むごとに、 それによって、主がこられる時に至るまで、主の死を告げ知らせるのである。

主の死は、キリスト者にまことの救いと自由をもたらしました。 もはやギリシャ人もユダヤ人も、自由人も奴隷もありません。 キリストにあって、皆一つなのです。

聖餐は、 わたしたちが主の前に皆等しく救われた存在であることを味わい、感謝する時です。 主の前に立つお互いは、互いの愛を堅く保ち、 一つ心に主に仕える者とさせていただきたいと思うのです。

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2006年07月30日

主日礼拝「キリスト者の配慮」

10:30より、主日礼拝 が行われました。

聖書
コリント人への第一の手紙8章1-13節
説教題
キリスト者の配慮
説教者
加藤郁生師
出席者数
64人

聖書: コリント人への第一の手紙8章1-13節 (中心聖句は9節) 口語訳

1
偶像への供え物について答えると、「わたしたちはみな知識を持っている」ことは、わかっている。しかし、知識は人を誇らせ、愛は人の徳を高める。
2
もし人が、自分は何か知っていると思うなら、その人は、知らなければならないほどの事すら、まだ知っていない。
3
しかし、人が神を愛するなら、その人は神に知られているのである。
4
さて、偶像への供え物を食べることについては、わたしたちは、偶像なるものは実際は世に存在しないこと、また、唯一の神のほかには神がないことを、知っている。
5
というのは、たとい神々といわれるものが、あるいは天に、あるいは地にあるとしても、そして、多くの神、多くの主があるようではあるが、
6
わたしたちには、父なる唯一の神のみがいますのである。万物はこの神から出て、わたしたちもこの神に帰する。また、唯一の主イエス・キリストのみがいますのである。万物はこの主により、わたしたちもこの主によっている。
7
しかし、この知識をすべての人が持っているのではない。ある人々は、偶像についての、これまでの習慣上、偶像への供え物として、それを食べるが、彼らの良心が、弱いために汚されるのである。
8
食物は、わたしたちを神に導くものではない。食べなくても損はないし、食べても益にはならない。
9
しかし、あなたがたのこの自由が、弱い者たちのつまずきにならないように、気をつけなさい。
10
なぜなら、ある人が、知識のあるあなたが偶像の宮で食事をしているのを見た場合、その人の良心が弱いため、それに「教育されて」、偶像への供え物を食べるようにならないだろうか。
11
するとその弱い人は、あなたの知識によって滅びることになる。この弱い兄弟のためにも、キリストは死なれたのである。
12
このようにあなたがたが、兄弟たちに対して罪を犯し、その弱い良心を痛めるのは、キリストに対して罪を犯すことなのである。
13
だから、もし食物がわたしの兄弟をつまずかせるなら、兄弟をつまずかせないために、わたしは永久に、断じて肉を食べることはしない。

礼拝メッセージの要約 「キリスト者の配慮」 加藤郁生師

コリントの教会に生じた一つの問題は、 偶像に供えられた食物をどうするかということでした。

これに対してパウロは、 キリスト者の配慮と言う観点から彼らを教えさとしました。

偶像は本来存在しないものであり、 キリスト者は偶像から解放され自由にされている。 パウロはこのことを良く知っていました。

しかしだからと言って、 キリスト者が偶像に供えられた食物を思いのままに食べることを良しとしませんでした。 パウロは、知識のある強いクリスチャンの心無い行為が、 弱い信仰の者たちのつまずきになることを良く知っていたからです。

ですからパウロ自身、 「兄弟をつまずかせないために、わたしは永久に、断じて(偶像に奉げられた)肉を食べることはしない」 と決心したのです。

このことは、わたしたちにキリスト者のなすべき配慮について教えられます。 わたしたちの信仰者としての行為は、他の信仰者に大きな影響を与えます。 わたしたちの行為が人をつまずかせることもあれば、人を励ますこともあります。

ですからわたしたちは、パウロ先生のように、深い愛の配慮をもって互い交わり、 互いを高めあってキリストに喜ばれる者とさせていただきたいのです。

神さまは、わたしたちが自分を誇る知識ではなく、 人の徳を高める愛を与えてくださっているからです。

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2006年07月23日

主日礼拝「純粋で真実なパンをもって」

10:30より、主日礼拝 が行われました。

聖書
コリント人への第一の手紙5章1-13節
説教題
純粋で真実なパンをもって
説教者
加藤郁生師
出席者数
70人

聖書: コリント人への第一の手紙5章1-13節 (中心聖句は8節) 口語訳

1
現に聞くところによると、あなたがたの間に不品行な者があり、しかもその不品行は、異邦人の間にもないほどのもので、ある人がその父の妻と一緒に住んでいるということである。
2
それだのに、なお、あなたがたは高ぶっている。むしろ、そんな行いをしている者が、あなたがたの中から除かれねばならないことを思って、悲しむべきではないか。
3
しかし、わたし自身としては、からだは離れていても、霊では一緒にいて、その場にいる者のように、そんな行いをした者を、すでにさばいてしまっている。
4
すなわち、主イエスの名によって、あなたがたもわたしの霊も共に、わたしたちの主イエスの権威のもとに集まって、
5
彼の肉が滅ぼされても、その霊が主のさばきの日に救われるように、彼をサタンに引き渡してしまったのである。
6
あなたがたが誇っているのは、よろしくない。あなたがたは、少しのパン種が粉のかたまり全体をふくらませることを、知らないのか。
7
新しい粉のかたまりになるために、古いパン種を取り除きなさい。あなたがたは、事実パン種のない者なのだから。わたしたちの過越の小羊であるキリストは、すでにほふられたのだ。
8
ゆえに、わたしたちは、古いパン種や、また悪意と邪悪とのパン種を用いずに、パン種のはいっていない純粋で真実なパンをもって、祭をしようではないか。
9
わたしは前の手紙で、不品行な者たちと交際してはいけないと書いたが、
10
それは、この世の不品行な者、貪欲な者、略奪をする者、偶像礼拝をする者などと全然交際してはいけないと、言ったのではない。もしそうだとしたら、あなたがたはこの世から出て行かねばならないことになる。
11
しかし、わたしが実際に書いたのは、兄弟と呼ばれる人で、不品行な者、貪欲な者、偶像礼拝をする者、人をそしる者、酒に酔う者、略奪をする者があれば、そんな人と交際をしてはいけない、食事を共にしてもいけない、ということであった。
12
外の人たちをさばくのは、わたしのすることであろうか。あなたがたのさばくべき者は、内の人たちではないか。外の人たちは、神がさばくのである。
13
その悪人を、あなたがたの中から除いてしまいなさい。

礼拝メッセージの要約 「純粋で真実なパンをもって」 加藤郁生師

コリントの教会の数ある問題の中に、不品行の問題があります。 具体的には、ある人がその父の妻と一緒に生活しながら、 なお高ぶっている(教会の中でも発言権を有している?)ということがありました。

パウロ先生にとってそれは、決してなおざりにできない問題でした。 不品行をする者は教会において古いパン種です。 少しでもそのままにしてしまいますと、 すぐに粉のかたまり全体をふくらませてしまいます。 悪しき種はキリストの体たる教会を損ない、わたしたちの信仰を失わせるのです。 それゆえにパウロはここで、明白に古いパン種を取り除くことを指導するのです。

もちろんこのことは、教会がこの世との交わりを拒むということではありません。 教会はいつでも福音をたずさえ、外なる人を受け入れます。 しかし、教会の内においては、聖徒としてのきよさを失うことがないように、 絶えず不品行の誘惑をしりぞけて歩まなければならないのです。

今この終末の世にあって、人々の心は一層暗くされ、不品行が横行しています。 しかしそれであるからこそ、 地の塩、世の光としての使命にあずかっているわたしたちは、 純粋で真実なパン種をもって歩むものとさせていただこうでありませんか。

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2006年07月16日

主日礼拝「信仰者の三つの自覚」

10:30より、主日礼拝 が行われました。

聖書
コリント人への第一の手紙3章1-23節
説教題
信仰者の三つの自覚
説教者
加藤郁生師
出席者数
66人

聖書: コリント人への第一の手紙3章1-23節 (中心聖句は21-23節) 口語訳

1
兄弟たちよ。わたしはあなたがたには、霊の人に対するように話すことができず、むしろ、肉に属する者、すなわち、キリストにある幼な子に話すように話した。
2
あなたがたに乳を飲ませて、堅い食物は与えなかった。食べる力が、まだあなたがたになかったからである。今になってもその力がない。
3
あなたがたはまだ、肉の人だからである。あなたがたの間に、ねたみや争いがあるのは、あなたがたが肉の人であって、普通の人間のように歩いているためではないか。
4
すなわち、ある人は「わたしはパウロに」と言い、ほかの人は「わたしはアポロに」と言っているようでは、あなたがたは普通の人間ではないか。
5
アポロは、いったい、何者か。また、パウロは何者か。あなたがたを信仰に導いた人にすぎない。しかもそれぞれ、主から与えられた分に応じて仕えているのである。
6
わたしは植え、アポロは水をそそいだ。しかし成長させて下さるのは、神である。
7
だから、植える者も水をそそぐ者も、ともに取るに足りない。大事なのは、成長させて下さる神のみである。
8
植える者と水をそそぐ者とは一つであって、それぞれその働きに応じて報酬を得るであろう。
9
わたしたちは神の同労者である。あなたがたは神の畑であり、神の建物である。
10
神から賜わった恵みによって、わたしは熟練した建築師のように、土台をすえた。そして他の人がその上に家を建てるのである。しかし、どういうふうに建てるか、それぞれ気をつけるがよい。
11
なぜなら、すでにすえられている土台以外のものをすえることは、だれにもできない。そして、この土台はイエス・キリストである。
12
この土台の上に、だれかが金、銀、宝石、木、草、または、わらを用いて建てるならば、
13
それぞれの仕事は、はっきりとわかってくる。すなわち、かの日は火の中に現れて、それを明らかにし、またその火は、それぞれの仕事がどんなものであるかを、ためすであろう。
14
もしある人の建てた仕事がそのまま残れば、その人は報酬を受けるが、
15
その仕事が焼けてしまえば、損失を被るであろう。しかし彼自身は、火の中をくぐってきた者のようにではあるが、救われるであろう。
16
あなたがたは神の宮であって、神の御霊が自分のうちに宿っていることを知らないのか。
17
もし人が、神の宮を破壊するなら、神はその人を滅ぼすであろう。なぜなら、神の宮は聖なるものであり、そして、あなたがたはその宮なのだからである。
18
だれも自分を欺いてはならない。もしあなたがたのうちに、自分がこの世の知者だと思う人がいるなら、その人は知者になるために愚かになるがよい。
19
なぜなら、この世の知恵は、神の前では愚かなものだからである。「神は、知者たちをその悪知恵によって捕える」と書いてあり、
20
更にまた、「主は、知者たちの論議のむなしいことをご存じである」と書いてある。
21
だから、だれも人間を誇ってはいけない。すべては、あなたがたのものなのである。
22
パウロも、アポロも、ケパも、世界も、生も、死も、現在のものも、将来のものも、ことごとく、あなたがたのものである。
23
そして、あなたがたはキリストのもの、キリストは神のものである。

礼拝メッセージの要約 「信仰者の三つの自覚」 加藤郁生師

パウロは、 コリントの教会が堅く結び合うために三つの教会の姿(ピクチャー)を示しました。

  1. 生ける草木としての教会

    パウロは、コリントの教会を草木に例えました。 種を植えるのはパウロでした。 水を注いだのはアポロでした。 しかし成長させてくださるのは神さまでした。

    大事なのは、教会に命と成長を与える神さまです。 わたしたちが主を仰ぎつつ、互いに分に応じて働く時に、 神さまは豊かな祝福を与えて下さるのです。

  2. 建築物としての教会

    パウロは、教会を建物に例えました。 パウロが土台を据えました。 そしてそれぞれが様々な材料をもって教会を建て上げます。 しかし教会の土台はキリストでなければなりません。

    キリストをしっかりわたしたちの信仰の土台として教会を建て上げるならば、 どんな嵐や風にも、どんな試練や困難や誘惑にも、ゆらぐことはないのです。

  3. 神の宮としての教会

    パウロは、教会を主がお住まい下さる神の宮に例えました。 旧約時代にエルサレムの神殿にお住まい下さった主は、 新約において教会に御臨在くださるのです。

    教会は神の宮ですから、教会を損ない神の宮を破壊することがあっては残念です。 わたしたちの肉の働きによってそういうことにならないように、 そしてキリストを愛するように、 教会を愛して歩むわたしたちとさせていただきましょう。

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