ペンテコステ礼拝メッセージ 「み言葉に立つ信仰」 創世記15章1~21節
長谷川和雄師
Ⅰ. クリスチャンの大いなる業・・・
1.大いなる業。主が生前に行われた奇跡よりも大いなる業を行うというのではありませんが、使徒行伝には、主の弟子の大いなる業を見ます。①病人の癒し(5:16。9:34)。②足の不自由な人の癒し(3:6。14:10)。③悪霊を追い出す(5:16。19:11-12)。④死人を生き返らせる(9:40。20:10)等。しかし、4日も死んでいたラザロを生き返らせた様な業はしていません。2.もっと大きい。大きいとは、「偉大な、広大な、強力な、大切な」との意味があり、主はここで、「より広大な」の意味で用いられました。弟子たちの業は、聖霊が注がれたゆえの大いなる業でした。3.私たちを通して働かれる主。主は無力な私たちの奉仕を通しても、主がなされたみ業より大いなる業をなして下さいます。そのために、主は天にて執り成し、世界宣教のみ業を進めて下さり、御国建設をなして下さいます。
Ⅱ.大いなる業を行える条件・・・ 1.主を信じる(ヨハネ6:28-29、14:10)。主が約束のみ言葉を語って下さり、それを成就されたこと(甦り、ペンテコステ等)。また、嵐を静めたり、5千人の給食という業などをなされたこと。神との交わりが回復する道を開き、昇天して執り成し、昇天と同じ様子で再臨されることなどを信じるのです(11)。2.祈る(13-14)。①「願うなら」との条件は単純ですが、神の前に祈る者への大切な約束、慰め、励ましです。自力で解決しようとしたり、この世的なものを求めていると、神を求めなくなります。しかし、祈りが天に届くと、決して主を拒むことができませ
ん。主の名による身勝手な祈りでも、主は受け止めて下さいます。それは、主が神の右に座して執り成し、神が最善なものを与えて下さるからです。②与えられる祝福は魂に有益であり、御霊の実を結ばせます。魂の養いに有益なものを願うなら、何でも与えられます。与えられないのは、主を信じて祈っていなかったり、自己中心的で性急な願いであるからではないでしょうか。もし、健康、名誉、富、成功、繁栄などが与えられたなら、神の栄光のために用いましょう。3.主を愛し、み言葉に従う(15)。主の十字架は神の愛のみ業であり、主の恵みです。それらを受けた者は主を愛し、主のみ言葉に生きたいと願うでしょう。そうでないとしたら、それは自分の罪や主の十字架の愛、主の臨在が分からないからです(マタイ28:20)。しかし、聖霊はそれらを悟らせて下さいます。
Ⅲ.与えられた聖霊の約束(16-17)・・・神はもうひとりの助け主(パラクレイトス)を与えて下さいました。パラクレイトスとは、悲しんでいる人を傍らに呼び寄せて、声をかけ、慰め、元気づける、援助者、弁護者、カウンセラーである聖霊です。私たちを友と呼び、常に共に居り、悩める者を憐れみ、不信仰な者に信仰を、確信のない者にみ言葉を通して確信を与えて下さるお方です(ヨハネ15:12-17)。また、罪や弱いところを示し、気づかせ(ヨハネ14:26、16:8)、神の愛、信仰、喜び、希望、平安で満たして下さいます。しかし、世を求める人は聖霊を受け入れず、知ろうともしません(Iコリント2:14-16、ユダ17-18)。聖書知識が豊富でも確信がなく、神の業を行えず、この世の栄光や誉、富などを求め、自分で選んだ聖句にすがり、聖霊の導きに従いません(ローマ8:6-9)。真理の御霊は真理に導き、決断時にはみ言葉で確信を与え、道を開いて下さいます(ヨハネ16:13)。私たちは、主にあって聖霊に満たされ、主にあって新創造され、世の光、地の塩として歩み、主の臨在を持ち運び、大いなる業を行う者とさせていただきましょう。教会の各活動
礼拝にて、婦人会が特別賛美を行いました。
午後はCS初夏のレクリエーションとして、ドキュメンタリー鑑賞とクレープ作りが行われました。
今週~来週の予定
■婦人祈祷会 火曜日(21日)10:30~
聖書:ヨブ記16章18~22節
題:わたしの証人
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:253、434
■聖書研究祈祷会 水曜日(22日)19:30~
聖書:詩篇39篇12~13節
題:旅人
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:248,191、355
■主日礼拝 来週日曜日(26日)10:30~
招詞:ヘブル4章14~16節
交読文:37 詩篇119篇
聖書:創世記15章1~21
説教者:長谷川和雄師
題:み言葉に立つ信仰
新聖歌:7、361、282