礼拝メッセージ 「キリストのかおり」 コリント人への第二の手紙2章14~17節
長谷川和雄師
花の日は、米国の牧師C・H・レオナルド師が、1856年6月第2日曜日に、子どもの祝福のために特別礼拝を行ったことが始まりです。1866年には、メソジスト教会の年会で、子どもの宗教教育(奉仕と感謝)を強調する「子どもの日」と決議され、教会行事となりました。また、その日には、教会に花を持ち寄って会堂を飾り、礼拝後には、子どもたちがその花を持って病人を見舞い、各社会施設を慰問したことから、後に「花の日」と呼ばれるようになりました。
Ⅰ.「私はクリスチャン」と証しする・・・1)「キリストに似ていないクリスチャンを全部視野から取り除けたら、福音の勝利にとって最大の妨げが無くなる」老聖徒の言葉。私たちは日常生活の中で「キリストに似る」ということに心を留めているでしょうか。口先だけでなく、生き方、存在そのものでキリストを現しているでしょうか。偽り、悪口、貪欲、情欲、高ぶり等が入り込んでいないでしょうか。多くの集会や聖会に出ても、自己満足や高ぶりとなっていたり、生活に変化が無いなら、そこで受けた恵みは無駄になってしまいます。2)世には、政治的、宗教的、道徳的などの問題があります。しかし、もっと一人ひとりの魂を愛して十字架の福音を伝えるなら、日本が変わります。十字架の旗印を明確にし、神の愛に生きるとき、世が愛で満ち、人間の間違った欲望と人間関係は良くなります。3)十字架の福音に生かされたキリスト者は、人々に神に喜ばれる正しい道を示すことができます。まだ救われていない人々の救いを深く認識するとき、教会は活き活きします。教会が世に対して感化力を失ったのは、十字架の愛によって人々をキリストに導かず、自分の信仰だけに精一杯でいるからです。
Ⅱ.世の人はあなたを見ています・・・1)ある仏教徒は、「キリストを信じたいが、キリストに従っていると口でいう人の内に、一度でもキリストを見たことがない者が、どうして信じることができるか」と言いました。サンダーシングがM・ガンジーにインド宣教条件を尋ねると、「①キリスト者がキリストの道に生活する。②宗教の質を落としたり、色合いを弱めず実践する。③愛を強調する。愛はキリスト教の中心であり魂です」と答えました。また、ヒンズー教徒が、スタンレージョーンズ博士に、「本物のクリスチャンを一人紹介して下さるなら、私はクリスチャンになります」と言ったそうです。私たちが主にあってキリストを現し、キリストのかおりを放つとき、人々は救われるのです。2)世は「キリスト教」よりも、ひとりの「クリスチャン」に目を向けています。本物のクリスチャンがひとり誕生すると、神の素晴しい御業がなされます。ただ口先だけでみ言葉を語るのでなく、「キリストの内住を、生活で表わすこと」。これがキリストのかおりとしての歩みです。神が、私たちを通してキリストのかおりを放つ者と成らせて戴きましょう。
Ⅲ.キリストのかおりを放つ者・・・エトルリア軍式の凱旋行軍は、香がたかれ、先頭の敗戦の王は、つばをかけられ、打ち叩かれて、偶像の犠牲として捧げられます。主は十字架にかけられ、敗軍の将のようでした。しかし、キリストのかおりである十字架上の主の愛は、多くの人々をキリストに導きます。主と共に歩み、キリストのかおりを放つ者となるためにはどうしたらよいのでしょう。1)み言葉に従う生活をしましょう。み言葉に世の考えや習慣などを混ぜて、異教的な教えにしないことです。み言葉に賭けて生きた証をすることです。2)日々十字架を仰ぎ、主を内に向かえ、神の子として、主に従って生きることです。3)神の家族として、互いに愛する群れとされましょう。キリストの十字架の福音のかおりが立ち上るのは、自己犠牲以外にありません。主にあって、キリストのかおりを放つ者とならせていただきましょう。
教会の各活動
午後からは CSの花の日の訪問として、近隣の特別養護老人ホームを訪問しました。
その後、 体育館をお借りして、スポーツレクリエーションを楽しみました。
今週~来週の予定
婦人祈祷会 火曜日(11日)10:30~
※都合により休会します。聖書研究祈祷会 水曜日(12日)19:30~
聖書:詩篇8篇題:人の栄えと誉れ
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:2、22、19
主日礼拝 - 父の日 来週日曜日(16日)10:30~
招詞:ヨハネ15章9~11節交読文:32 詩篇103篇
聖書:ルカによる福音書15章11~32節
題:父なる神の愛
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:18,474,220