礼拝メッセージ 「父なる神の愛」 ルカによる福音書15章11~32節
長谷川和雄師
愛は、知識として学んでも悟ることはできません。愛し、愛されて初めて分かります。今日の譬えには、愛を体験的に知った弟と、父の愛の中に生活しながら、愛を体験的に知ろうとしない兄がでてきます。
Ⅰ.放蕩の弟息子・・・1)権利の主張。弟には人生の目的が分かりませんでした。独立し、広く人生経験をするために自由に生きたいと考えましたが、先立つお金がありませんでした。そこで、財産分与を願い出ました。父が生きていたので、弟には三分の一を換金して与えられたと考えられます。2)放蕩の生活。弟は遠い国にたどり着き、人目が気にならないことをよいことに、一度に入った大金を使い果たし、食べるにも困り果ててしまいました。金や地位が無くなると人は近寄らなくなりました。3)本心に立ちかえった。今までは正気の沙汰でなかったと気付いたのです。正気でない生活とはどんなことでしょうか。①親のもとを離れ、干渉を避けること。②放蕩(酒の暴飲、異性遊び、金の浪費)。与えられた富は神からの預かりものです。富には責任が伴い(ルカ12:13-21)、会計報告が必要です(同16:2)。③異国での生活。そこには人の繋がりがなく、孤独であり、親しい友はいても、まことの友はいません。その結果、人間関係に破綻し、人生の敗北者と見え、人から嫌われる取税人や罪人のようです。④汚れた動物の世話をする奴隷と同じ生活。人間は、心の汚れを隠す罪の奴隷となっています。これは、罪人の姿であり、真の神のもとを離れた結果です。本心に立ちかえるとは、罪を犯している生活に気付くことです。
Ⅱ、父のもとに帰った弟・・・1)回顧と現状分析。父のもとでの生活を振り返り、悔い改めました。そして、今の生活がどうであるか冷静に分析しました(17)。2)罪の告白。弟は、罪の告白をすることを決意し、行動に移しました(18)。3)父の愛を体験する弟(20)。「まだ遠く離れていたのに、父は彼をみとめ」。父は、弟息子のことを、どんなに心配していたことでしょう。弟息子が罪の告白を全てする前でしたが、みすぼらしい弟息子の姿を見て「哀れに思って」、同情し、思いやり、憐れみ、「走り寄り、その首をだいて接吻」しました。息子を赦し、受け入れ、良い着物を着せて親子関係を回復し、指輪をはめて子としての権威を回復し、靴を履かせて自由の身を回復させました。そして、肥えた子牛で祝宴を開催しました。それは、いなくなり、なくなったものが見つかった喜びのゆえです。パリサイ人と律法学者は、そんなに心の広い人はいないと考えたでしょう。
Ⅲ.兄の不満・・・1)兄息子の怒り。兄は父親に奴隷のようになって仕えてきたことを主張し、自分を正当化し、独善的で、他人を見下げていました(29-30)。それは、会衆の中のパリサイ人と律法学者と同じでした。彼らは、不平、不満、偽善、嫉妬心で満ち、汚れた生活への憧れを持っており、喜ぶ者と共に喜べず、弟を良く思えませんでした。2)兄への父の愛。弟の時と同じく父の方から兄に近付き、強引に家の中に引きずり込まずに、優しくなだめました。兄に対し、いつも父が共にいること、父のものはみな兄のものであり、自分でしたいようにできる、と話しました。パリサイ人と律法学者は、罪人や収税人と比べて自分の正しさに立ち、罪を罪と思わず、神の愛の中にいることが分かりませんでした。神は私たちを探しておられます(創世記3:9)。主の手に委ねて歩めることは幸いです。自分の罪、弱さ、足らなさを認め、十字架を仰ぎ、今、私たちは神の愛の中に戻りましょう。教会の各活動
礼拝の中で、教会学校による父の日の「感謝の時」が持たれ、God Bless Youの賛美やスキットなどが披露されました。
午後からは壮年・婦人・青年合同の会堂大掃除が行われました。
今回はおもに、倉庫整理、窓・スリッパ拭き、トイレ掃除を行いました。
多くの方と共に主の宮を調えることが出来、感謝でした。
今週~来週の予定
■婦人祈祷会 火曜日(12日)10:30~
※教区牧師夫人修養会のため、休会します
■聖書研究祈祷会 水曜日(19日)19:30~
聖書:詩篇9篇
題:国々をさばかれる主 説教者:長谷川和雄師
新聖歌:21、247、282
■主日礼拝 来週日曜日(23日)10:30~
招詞:申命記6章4~5節
交読文:4 詩篇18篇
聖書:創世記18章1~15節
題:主をもてなすアブラハム
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:21,276,385