礼拝メッセージ 「神に喜ばれる教会」 コロサイ人への手紙1章3~5節
長谷川和雄師
コロサイ教会の人々は、パウロに学んだエパフラスから伝えられた福音を信じ、キリストによって罪赦され、神の子とされ、父なる神を慕い、祈る者とされていることを、パウロは心から感謝しました。また、出向いたこともない教会が祝されていることを妬まず、心からの感謝を神にささげ、祈りました。
Ⅰ.信仰がある・・・1)信仰には、理性を働かせることも必要ですが、「鰯の頭も信心から」とならないために、「キリスト・イエスに在る汝等の信仰」(4、新契約)が大切です(ヘブル11:1)。コロサイ教会の人々は、キリストを歴史上に実在するお方として、正しく判断し、理解しました。それは、嵐の中でもしっかりと下ろしている船の錨のような信仰です。その信仰をもって、生ける神と親しく交わることによって、主から感化を受け、主に似た者とされ、神のみこころを知り、みこころを行う者とされます。2)理性では理解できない超自然的な主のみ業を体験する事も大切です。なぜなら、永遠の初めから神と共に居られた方が処女降誕され、人となり、十字架の贖いの業の完成し、復活されたことなど、それまで理解できなかったことも「神にはできる」と信じる信仰が与えられるからです。それは、キリストの愛に包まれ、守られ、神にのみ目を向ける、命がある生きた信仰です(ガラテヤ2:20)。「意志が弱い」と弱音を吐き、自分に目を留めるのでなく、そんな自分を愛し、受け入れて下さる主に目を留めることこそ真の信仰の姿です。
Ⅱ.聖徒に対する愛がある・・・1)貧しく、雨漏りするような家でも、その家に真の愛があれば、「我が家に勝る家は無い」と言えるでしょう。神は、親子の間に示される愛(ストルゲー)、異性同士の愛(エロス)、生まれながら与えられているごく自然な友達同士の愛(フイリオ)ではなく、アガペーの愛、すなわち、無私の愛、富や地位や権力によらない愛、命を捨てるほどの愛で愛して下さいます。そして、その愛は、キリストの十字架に表されました(ヨハネ15:9)。2)世に心を奪われ、世を愛している者には、アガペーの愛がありません。だから、キリストの愛の中にいるように勧めているのです(ヨハネ15:9-12)。コロサイ教会は、この神の愛に生きていたので、世から聖別され、信仰の仲間同士愛し合えました(ガラテヤ6:10)。このように、主の十字架の血潮によって罪を赦され、世から聖別され、神を愛し、み言葉に忠実に従い、互いに愛し赦し合い、重荷を負い合うことが、真の教会です(ガラテヤ6:2)。
Ⅲ.天に蓄えてある希望がある・・・この希望は、世が与える一時的なものではありません(Iペテロ1:3-5)。将来への希望・期待が、神のおられる天に蓄えてあり、神の守りの中にあります。そして、「主が再びこられる時、私たちに与えられる栄光」を受けることができます。しかし、多くの人々が希望の信仰を失っています。希望を失うと力や進歩が無くなり、滅びに向かいます。そんな時、この希望を思い起こし(ピリピ3:13-14、Iペテロ1:8)、きよく歩みましょう(Iヨハネ3:3)。パウロもこの希望を待ち望んでいました(Ⅱテモテ4:1-8、ピリピ3:20-21)。コロサイ教会には、天への希望から、聖徒に対する愛が生まれました。私たちも主が再び来られることを期待し、天に希望を持ち、神の愛によって、互いに受け入れ合い、愛し合う者とならせて頂き、「信仰・希望・愛」に満たしていただきましょう。これこそ、京都信愛教会の目標であり、「神に喜ばれる教会」でもあるのです。6/30 礼拝の様子 |
午後は青年会(交わり会、祈り会)が行われました。
今週~来週の予定
■婦人祈祷会 火曜日(23日)10:30~
※8月末まで夏季休会です
■聖書研究祈祷会 水曜日(31日)19:30~
聖書:マルコの福音書1章29~45節
題:善き働きは祈りから
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:172、284、196
■主日礼拝 来週日曜日(8月4日)10:30~
招詞:詩篇100篇1~5節
交読文:40 詩篇126章
聖書:コロサイ書1章5~8節
題:伝えられた福音
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:18、359、(49)、365