礼拝メッセージ 「神との和解」 コロサイ人への手紙1章20~23節
長谷川和雄師
和解とは、「互いに気持ちが和らいで仲良くなること」(国語辞典)、互いが譲り合い、争いをやめると約束すること(民法695条)であり、契約です。聖書では神との和解が記されています。
Ⅰ.神との和解がない状態・・・1)心で神に敵対。神との関係では「心」が重要です(マタイ15:18-20)。心の中で神に敵対していては、真の和解がありません(21)。アダムとエバが神に背いたため、人類は罪に支配され、エデンの園から追放されました。そして、神との親しい関係が断たれ、自分の判断と意志で行動し、神に聴き従う聖い生活、愛と喜びと希望に溢れた生活からは程遠くなり、不平、不満、偽り、弁解、苦しみに満ち、罪の生活を喜び、空しい生活をし、感謝や平安を失いました。2)神から離れ、罪を犯す歩み。アダムの家庭は罪のゆえに崩壊し、息子カインは弟アベルを妬み、敵意を抱き続け、ついに殺しました。罪に支配された人は神に逆らい続け、自分が神であるかのように思ってしまうのです。そのように、選民イスラエルも神の恵みから離れました。現代の人も愛が冷え、罪を罪と思わず、自分中心になり、欲望を追求し、家庭崩壊、妬み、憎しみ、怒り、呪い、盗み、いじめ、殺人、戦争が起きています(ローマ3:10-18)。ですから、神の怒りと呪いを受け、神から追放されても仕方が無い者でした。
Ⅱ.十字架による神との和解・・・1)人を見捨てない神。神は罪の中にある選民を見捨てず愛を注ぎ、戒めに従う者を祝福し、恵みの約束を与えました。しかし、彼らは神に背き、戒めに従わず、神にさばかれました。けれども神は人類を見捨てませんでした。2)自ら罪の罰を受けられた神。神は、最初の約束、すなわち、人を罪から救い出し、神との関係を回復するために、神ご自身が人となってこの世に来られ、人の罪の刑罰を受けるみ業をなされました(創世記3:15)。それが、十字架の福音です。人は罪ゆえに神との和解が失われ、永遠の滅びに定められました。しかし、人と神との和解のために、人が刑罰を受けたのでなく、神の御子が人の受けるべき恥、苦しみを、自ら進んで負ってくださり(ヨハネ18:11)、身代わりとなって十字架で刑罰を受け、人を執り成されました(ルカ23:34)。そして、神に見捨てられるという最大の苦しみも受けてくださいました(マタイ27:46)。神がその贖いのみ業を受け入れてくださったので、御子なる主は甦られ、人と神との和解が成就し、神との交わりが回復しました。3)例話。ハワイ・カウアイ島のおばあさんが孫の盗み癖を止めさせたいと、真っ赤な火箸を孫の手に突き刺そうとしました。しかし、おばあさんは孫の身代わりとなり、自分の手に火箸を刺し通しました。それ以後、孫は決して盗みませんでした。もし、私たちが主の身代わりの死を知っていながら、まだ神に背き、罪を犯すなら、神はどれほど悲しまれることでしょう。
Ⅲ.神との和解を受ける条件・・・1)真の悔い改め。自分の力で罪を犯さないと頑張るのではなく、神の前に自らの罪を認め、神が変えて下さると愛の神に依り頼み、神を信じて歩むことです。2)神のみ業。神は私たちに聖霊を与え、神を愛し、神のみこころを知り、み言葉を行う者(ヨハネ14:21)、聖い神の前に立てる者に変えてくださいます。ですから、良い者に変えられても、何も誇るものはありません。誇れるものは神とキリストの十字架以外にありません(ガラテヤ6:14)。み言葉に聞き従って歩みましょう(マタイ7:24-27)。3)神の豊かな祝福。神との和解が与えられ、聖霊により歩み続けるならば、パウロの祈り、(エペソ3:16-19)にあるように、真の平安、真の愛、真の輝きが増し加えられ、神が聖霊の実を豊かに結ばせて下さるのです。私たちはこの恵みの福音に生かされましょう。そして、福音宣教に献身しましょう(Iコリント9:16、23)。
8/25 CS特別賛美の様子 |
午後は、教会役員会が行われました。
今週~来週の予定
■婦人祈祷会 火曜日(3日)10:30~
聖書:ヨブ記19章17~18節
題:試練のわけ
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:248、358
■聖書研究祈祷会 水曜日(4日)19:30~
聖書:マルコの福音書2章23~3章6節
題:安息日の主
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:1、253、102
■主日礼拝 来週日曜日(8日)10:30~
招詞:マタイの福音書11章28-30節
交読文:18 詩篇50篇
聖書:コロサイ書1章24~25節
題:教会のための苦難
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:2、303、385