2013/09/08

主日礼拝「教会のための苦難」

礼拝メッセージ 「教会のための苦難」 コロサイ人への手紙1章24~25節

長谷川和雄師




心と体と魂が受ける苦しみは、辛く、痛く、耐えられず、先の見えない暗さに希望を失い、我慢できず、難しいことです。また、真理が曲げられ、真実が通らない苦しみです。それは、人は避けたく、望まないことですが、いろいろな時、形、方法、量で人に臨みます。人は罪を犯すゆえ、苦難を受けるのは当然です(ローマ2:9)。しかし、キリストを信じ従うがゆえに受ける苦難には、忍耐と希望が与えられ、信仰が育てられ、品性の実が結ばれます(ローマ5:3-5)

Ⅰ.苦難の中の喜び・・・私たちがキリストを信じるがゆえの苦しみにあったとしても、最後まで耐え忍ぶ者は救われ(マタイ24:4-13)、主の再臨の時には喜びに満ち溢れると、聖書に約束されています(Iペテロ4:13)。主は神であられるのに、人の救いのために人としてこの世に生まれ、自ら進んで苦難を受けられ、人からも神からも見捨てられ、十字架にかかり身代わりとなって死んでくださり、神と人とに仕えられました。キリストはその苦しみを通して、キリストのからだなる教会を生み出してくださいました。

Ⅱ.キリストの苦難の実・・・教会と人間が完成されたものとなるために、私たちにはキリストの苦しみ(犠牲を払う)を補う(完成する。満たす)ための苦しみが残されています。大瀬敏昭氏(茅ヶ崎市立浜之郷小学校元校長)は末期癌と戦いながら、自分の身を呈して子どもたちに「いのちの授業」を続け、教師にも、子どもの心にも、生と死を教え、感化を与えました。ダビデはサウル王、多くの部下、自分の子どもから誤解され、苦しめられ、悩まされましたが、それを弁解したり、相手を非難したり、仕返しをしたりしませんでした。かえって執り成し(Ⅱサムエル16:5-14)、謀反人である息子の死を悲しみました。主は十字架上で激痛を受けながらも、自分を苦しめる者たちのために、執り成しの祈りをされました(ルカ23:34)。私たちも、自分を悩まし、苦しめる者のためにも、執り成しの祈りをする者とならせて頂きましょう。

Ⅲ.キリストの苦難の完成・・・罪が赦され、神との交わりが回復され、神の子とされ、御国に入る希望を与えられるのは、律法を守ることでなく、信仰によるのです。パウロはキリストの苦しみを完成するために、教会に奉仕する者、つまり、み言葉に生き、苦難を身に負って生きる者、たとえどのような状況におかれようとも、キリストの十字架のゆえに、自分を苦しめる者を愛していく者となりました。これは、み言葉に生きる者の姿です(25)。み言葉を覚えて人に当てはめることならば、悪魔でもします。しかし、自分に当てはめ、み言葉に素直に従って生きる歩みは、自分の十字架を負う歩みであり、苦しみの道です(マタイ16:15-26)。けれども、神はその苦しみを通して私たちを完全な者とし、力づけ、不動の者としてくださいます(Iペテロ5:10)クリスチャンは、ただ信じることだけでなく、主のために苦しむことをも賜っています(ピリピ1:29)。その苦しみに対して、弁解、いいわけ、中傷、力でねじ伏せ、自己憐憫をする人は、苦悩に満ちた顔になります。しかし、以前、葬儀屋さんに、「先生の教会の皆さんの最期の顔は輝いていますね」と、言われたことがあるのですが、クリスチャンは苦しみを受けた人生であっても、最期は輝けるのです。それは、私たちを救うため、全ての苦しみを受けられたキリストが共に苦しみを負い、乗り越える力を与えてくださるからです。ですから、私たちに負いきれない苦しみはありません。苦しみの中にあっても、主にあってみ言葉に生かされ、輝かせて頂きましょう(Ⅱコリント1:4-7、7:412:9-10)

8/25 CS特別賛美の様子

教会の各活動


午後は、CS教師会が行われました。

今週~来週の予定


■婦人祈祷会 火曜日(10日)10:30~


聖書:ヤコブ書1章4節
題:忍耐を完全に働かせて
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:316、262

■聖書研究祈祷会 水曜日(11日)19:30~


聖書:マルコの福音書3章7~12節
題:神の栄光のために
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:7,337、494

■主日礼拝 来週日曜日(15日)10:30~


招詞:イザヤ書43章1節
交読文:28 詩篇91篇
聖書:イザヤ書46章1~13節
題:老人を愛される神
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:22、211、238