礼拝メッセージ 「主を愛する心」 ルカによる福音書7章36~50節
長谷川和雄師
Ⅰ.愛を知らない人・・・1)無感動のパリサイ人。律法厳守による義(ガラテヤ5:4)と、人の歓心を求めました(同1:10)。主はヨハネの死を悼みましたが、パリサイ人の心は動きませんでした。主の福音や神の国のことを聞いても、罪を認めず、何も感動しませんでした。2)主を招いた理由。①幾分かの尊敬の心があり、奇跡や多くの弟子がいること、主の徳の高さを認めました。②真理を求めていたので、主の賢い答弁に期待しました。③有名人と知り合いになり、自分の株と立場を上げようとしました。要するに、主の関心を引こうとして招いたのです。3)接待の落ち度。①洗足の水を出しませんでした。接待の心や謙った心が無く、礼儀に反した接待でした。②挨拶の口づけをしませんでした。主を多少尊敬していましたが、軽蔑する心から親切を欠きました。③当時、汗の臭いを消すバラ油を1滴客の頭に注ぐか、少量の香料を焚きましたが、いずれもせず、客として迎えなかったのです。4)パリサイ人は、自分の義に立ち、女の心も分からず見下し、女の行動を不愉快に思いました。5)罪の女であることを見抜けない主は、たいした預言者でないと考えました。また、異性に公の場では近付いてはいけないとのラビの教えを守っていないと軽蔑しました。
Ⅱ.愛を知った人・・・1)罪の女。罪の女と分かる衣装を着て、その化粧をしていました。2)女は、なぜイエスに近づけたのか。①主が招かれたとき、誰でも出入りできたからです。②以前に主の話を聞き、罪深さを自覚し、心砕かれ、悔い改め、主に対し信仰をもち、主を慕っていました。ですから、パリサイ人や周りの人々の冷たく、批判的な目や、軽蔑と疑いの目を恐れないで、主に大胆に近付けました。③主に近付いた最大の要因は、主に対する深い信仰であり、その信仰は愛の行為を生みました(Iヨハネ4:18、ガラテヤ5:6)。④謙り(ルカ7:38)。足を洗うことは僕のする仕事でした。彼女は、主の足元に跪き、感恩の涙を足に流し、女性にとって大切な髪の毛でチリを拭いました。また、主への愛と尊敬する心から主の足に口づけをしました。真の謙遜は、真の信仰より生まれます。美名を貪る作為的謙遜は、傲慢であり偽善です(ガラテヤ5:22-23)。⑤献身の心で近付きました(ルカ7:37-38)。
Ⅲ.愛に満ちた主・・・1)パリサイ人に対し。①愛のない者の接待を受け入れました。②接待の落ち度を責め、救いに導こうとしました。③罪深い女よりも、罪が少ないことを認めました。2)罪深い女に対して。①彼女の接触を避けず、なすがままに己の身を委ねました。②罪を赦し、心の重荷は降ろされました(ルカ7:47)。③シモンには女の愛を褒めましたが、彼女には信仰を褒めました。④平安を与えました。主に従う故に受ける非難や罵声を受けてもよいように、心に平安と、確信を与えられました。⑤悔い改めを心から喜び、受け入れました(15:10)。3)神は愛です。パリサイ人は神に対する負債を、律法を守ることでは払えません。それは、罪の無い主のみが十字架の死をもって払えるのです。罪の女は、自らの罪深さを認め、罪を赦してくださるお方を愛し、献身の愛にまで導かれました。重荷であった罪を赦され、ますます、主に対する愛は増し加えられたのです。
秋のチャペルコンサートの様子 |
午後は、秋のチャペルコンサート(塚田献師)が行われました。
今週~来週の予定
■婦人祈祷会 火曜日(10月1日)10:30~
聖書:ヨブ記16章19節
題:天の保証
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:201、283
■聖書研究祈祷会 水曜日(10月2日)19:30~
聖書:マルコの福音書10章13~16節
題:子どものように
説教者:大頭眞一師
新聖歌:9、172、233
■主日礼拝 来週日曜日(10月6日)10:30~
招詞:イザヤ書45章22節
交読文:40 詩篇126篇
聖書:コロサイ書1章28~29節
題:福音宣教の精神
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:2、448、429