礼拝メッセージ 「金持ちとラザロ」 ルカによる福音書16章19~31節
長谷川和雄師Ⅰ.金持ちとラザロ…
1) 金持ちは広い邸宅に快適に住み、最高の新しい服を着て、適度な運動を行い、栄養のある食品を食べ健康で、経済的・政治的活動などで毎日忙しく、人々に受け入れられ充実した日々を過ごしていました。大した苦労もなく、友も多くいて、毎日楽しく遊び、交わり、慰め、励ましを受けていました。有名で、石像や記念碑も建てられ、好意的な僕が多くおり、あまり悪を考えたり、行う必要もなく、戒めを守り、感謝の日々を送り、会堂でも中心的働きをし、多くの献金をし、病になれば多くの見舞いがあり、最高の医療を受け苦しみが緩和されたでしょう。
2) ラザロは貧しく、まともな服もなく、食事も満足に取れず、不健康な体で、日々生活に追われ、苦労の連続でした。助ける友もなく、罪への誘惑も多く、罪を犯してしまったことでしょう。しかし、「ラザロ」が「神は助け主」という意味であるように、彼は神を畏れ敬い、頼り、つぶやかず、疑わず、全く頼って生きました。
3) 生前、貧富の差があった金持ちとラザロですが、平等な死を迎えました。金持ちは懇切丁寧な看病を受け、多くの友にその死を惜しまれ、豪華絢爛な葬儀後、立派な墓に丁寧に葬られましたが、黄泉で苦しみもだえています。しかし、ラザロは人々に忘れられ、路地で命を失い、葬儀もなく葬られましたが、アブラハムもいる天国に導かれました。
Ⅱ.金持ちの願い…
1) 金持ちは生前、何でも自分の思い通りになったので、人々に憐れみをかけたり、神に求めたりしませんでした。しかし、今は黄泉で火炎の苦しみから抜け出せず、はるか彼方に見えるアブラハムに憐れみを叫び求めました。
2) その叫びは自己中心でした。ラザロを利用し、黄泉へよこすようにと願います。しかし、たとえラザロに憐れみの心があっても、天国と黄泉には深い隔たりがあり、行き来できないことを知り、死人の中からラザロを家族に送り警告するように願い、神をも利用しています。祭司長たちは、主によって生き返ったマリヤの弟ラザロを殺そうとしました(ヨハネ12:10)。世の人々は、主が復活しても信じませんでした。金持ちは、形式的信仰を悔い改める必要がありました。私たちも心から主を信じ、礼拝しましょう。
Ⅲ.天国への道…
み言葉をどのように聴いていますか。己の義、知識、善行に頼り、高ぶらないで、神を畏れ、主を愛し、神に頼り、み言葉によってみ心を知り、従いましょう。神の御前に立たされた時、み言葉に生かされているかどうかが問われます。日々、主にあって生かされている私たちは、自らの罪を認め、十字架を仰ぎ、心から悔い改め、主のみ言葉を素直に聴き、み言葉に従った生活をし、神に栄光を帰しましよう。天国への道(ヨハネ14:6)である主によって、神に喜ばれる者へとならせていただきましょう(ヨハネ5:38-47)。
教会の各活動
墓前祈祷にて |
午後は、墓前祈祷とCS教師会が行われました。
今週~来週の予定
○婦人祈祷会 火曜日(29日)10:30~
※祝日のため休会します
○聖書研究祈祷会 水曜日(30日)19:30~
聖書:箴言1章7節
題:主を畏れること
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:18、354、357
○主日礼拝 来週日曜日(5月4日)10:30~
招詞:マタイによる福音書11章28-30節
交読文:14 詩篇37篇
聖書:ヤコブ書1章1-4節
題:信仰による忍耐
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:7、444、458