礼拝メッセージ 「主を喜ぶこと」 ネヘミヤ記8章10節
長谷川ひさい師Ⅰ.人生の困難…
1) 試練。「花の命は短くて、苦しきことのみ多かりき」と林芙美子は言いましたが、私たちの周りには家族問題、金銭や病の問題など、何処を見ても苦しみや試練で囲まれ逃れられませんが、これらの試練を乗り越える力を得られないでしょうか。
2) 孤独。人生の孤独も大変です。人類は素晴らしいい医学を生み出し寿命が延びましたが、皆死を迎えます。死を目前にした時は、孤独で頼りのない存在です。自分の存在理由や人生の目的を明確に知ることが出来ず、真実の友を見出すまでは、本当に寂しく孤独で力のない存在です。だから、その孤独に打ち勝ち、輝いた人生を送る力が必要です。
3) 罪。罪に打ち勝つ人生を送りたいものです。パウロは、「私はかって罪と咎の中で死んだ者であって、今までの古い社会の習慣に縛られ、私の肉の欲の思うままに引っ張り回され、悪魔のもとにある者でした。ああこの惨めな死のからだからどうしたら救われるだろうか。誰が私を救ってくれるだろうか」(エペソ2:1-3、ローマ7:24参照)と叫びましたが、私の叫びでもありました。試練、孤独、罪に打ち勝つ力はどこにあるのでしょうか。
Ⅱ.愛の神を知る…
主とは神です。人生に勝利を与えるのは、人間の知恵や知識、教養や財産、名誉や権力でもなく神です。神に目を向け、神を見ることです。人間は真の神でない人間が作ったものを拝み、人間をも神として拝んでいます。しかし神は、そんな私たちひとりひとりを、「わたしは限りなき愛をもってあなたを愛している」(エレミヤ31:3)と言われましたが、歴史的事実として神のひとり子のイエス・キリストご自身を私たちに与えて下さいました。主は、その永遠に栄光に輝く中から、永遠の望みと喜びに溢れる全てを捨てて、私たちの醜い貪欲に溢れ、憎しみと争いの絶えない、この世に遣わされ、汚い所に、人に知られないで生まれて来ました。そして、人間の悩み、悲しみを共にし(イザヤ53:3)、主の知らない涙や苦しみはありません。主はまくらする所も無いばかりか(マタイ8:20)、自ら進んで私たちの罪の呪いを受け、罪の刑罰を十字架の上で受けられ、肉体の苦しみを味わったばかりか、神に捨てられ孤独の死を受けて下さいました。愛の神は、神を知らず、神に敵対する者が、神の前に罪の無い者とされ、神の懐に永遠の望みを与えられて帰ることができるようにして下さいました。
Ⅲ.主を喜ぶ信仰…
主を喜ぶ信仰とは神と仲直りすることです。神に敵対し、神に対して無関心のままでは、神の力に与ることは出来ません。神と仲直りするために、まず、心と口が一つとされて、自分が罪人であり、内から何の良きものが出てこないことを認め、心から主に、「私は罪人です。ごめんなさい」と謝り、神と仲直りすることです。次に、イエス様が罪からの救い主であり、真の神であることを認めて、心の底から罪を悲しみ、主の十字架を見上げ、こんなにまで命を投げ出して愛して下さった、神の大きな愛に心から感謝するときに、心の内から喜びが溢れてきます。これが、主を喜ぶことの第一歩なのです。皆さんは、神と仲直りをされておられますか。まだでしたら直ぐ神と仲直りしましょう。残された人生、「主を喜ぶ」信仰に生きる者とされて人生を全うし、神に栄光を帰する者でありましょう。
教会の各活動
6/15 「花の日訪問」にて |
今週~来週の予定
○婦人祈祷会 火曜日(24日)10:30~
※教団牧師夫人研修会のため、休会します
○聖書研究祈祷会 水曜日(25日)19:30~
聖書:マルコによる福音書10章1-12節
題:結婚と離婚
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:156、504、216
○主日礼拝 来週日曜日(29日)10:30~
招詞:マタイによる福音書11章28-30節
交読文:55 ヨハネによる福音書15章
聖書:ヨハネによる福音書15章1-7節
題:わたしにつながっていなさい
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:21、332、316