礼拝メッセージ 「聞くに早く、語るに遅く」 ヤコブの手紙1章19~21節
長谷川和雄師親しく呼びかけた後で、「よくわきまえていなさい」(新共同訳)と忠告します。私たちがしっかり受け止め、心に留めておくべきことは、「聞くに早く、語るにおそく、怒るにおそく」です。格言や諺に、「話し上手は、聞き上手」「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」「短気は損気」などがあります。箴言に、「言葉が多ければ、とがを免れない、自分のくちびるを制する者は知恵がある」(10:19)、「怒りをおそくする者は大いなる悟りがあり」(14:29)など多くあり、聞く重要さ、語ることへの思慮深さ、怒りを制する大切さが教えられています。傾聴ボランティアやいのちの電話等の相談活動でも、相手の思考を妨げずよく聴き、最も良い道を見出すために、心を込めて傾聴することが強調されます。しかし、ここでは新生した者が、「み言葉」を聴く姿勢について教えています。
Ⅰ. 聞くに早く…
「早い」は速度に関する概念ですが、ここではみ言葉に対する心の姿勢を問題にしています。自分の主張や期待にそったみ言葉だけを受け入れるのでなく、内なる声を空にして、今語られるみ言葉に対して素直に、従順に、謙りをもって聞くことが「聞くに早く」との意味です。「信仰は聞くことによる」(ローマ10:17)のです。み言葉への謙虚で鋭い感性と従順さが、ここで求められています。
Ⅱ. 語るに遅く…
み言葉を聞いた後、語ることは遅くあれと命じます。「おそくあれ」とは、聞いたみ言葉を思慮深く受け止め、正しく理解し、語る相手に相応しく語るようにとの勧めです。それは、み言葉がその人に語りかけることに仕えることです。そのために、聖霊の助けによって話す相手の状況や、信仰の状態を正しくわきまえることが必要です。また、語るべきときを待つ忍耐が必要です。それは、み言葉を語ってはいけないということではありません。み言葉によって自分の主張を押し付け、説得しようとすることを止め、相手の人自身で、神のみこころを聖霊によってみ言葉の語りかけを待つことです。
Ⅲ. 怒るにおそく…
1) 聖書は「怒ってはいけません」と記していません。なぜなら、正当な神の怒りが人を悔い改めに導き、永遠のいのちに向かわせました。私たちも、罪や過ちを見たり、神の愛や憐みやきよさが無視されると怒りを覚えます。しかし、み言葉が自分の考えと違うとき、ヨナのように怒ってはいけません(ヨナ4章)。また、カインのように自分のあり方が神に受け入れられないときや(創世記4章)、聞く民のわがままを怒ったモーセになってはいけません(民数記20章)。
2) 自分の義や主張、世の知恵に満たされて怒ると、み言葉を否定し、神のみこころを正しく受け取ることができず、自分に対する正しい判断ができなくなり、悪魔に機会を与えてしまいます(エペソ4:26-27)。3)人の心の中にある欲望が、様々な悪や汚れた思いを生み出し、み言葉を正しく聞けなくし、み言葉に対し激しい怒りを表してしまうので、主によって欲望を取り除いていただきましょう。
Ⅳ. 汚れや悪を捨て去る…
素直にみ言葉の教えを受け入れ、聖書で確認しましょう(使徒17:11-12)。主の血潮は汚れや悪をきよめ、新生に導き、魂を救いに導くみ言葉に、常に心を空しくして聞く姿勢こそが、「聞くに早く、語るに遅く、怒るに遅い」者へと導きます。だから、教会で正しくみ言葉が語られることが何よりも重要で、緊急を要します。私たちはみ言葉に生き、み言葉によって福音を伝えましょう。
教会の各活動
教区ティーンズバイブルキャンプのために祈る |
今週~来週の予定
○婦人祈祷会 火曜日(8月5日)10:30~
※8月は休会します
○聖書研究祈祷会 水曜日(8月6日)19:30~
※教区ティーンズバイブルキャンプのため、休会します
○主日礼拝 来週日曜日(8月10日)10:30~
招詞:ヨハネによる福音書15章9-11節
交読文:37
詩篇119篇
聖書:ヤコブ書1章22-25節
題:み言葉を行う人に
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:237、361、316