礼拝メッセージ 「純正な信仰」 ヤコブの手紙1章26~27節
長谷川和雄師婦人会の特別賛美 |
Ⅰ. 熱心な信心・宗教心…
1) 「信心深い」(26)は、新改訳では、「宗教に熱心」となっています。「信心」は、神仏への信仰心の意味で用いられ、「信心が篤い」とは、信仰の対象は問わず信仰に熱心であり、あらゆることを信仰的に考えることを意味します。また、「いわしの頭も信心から」などと、皮肉が込められています。
2) 純正な信仰は、心において大切にしている信頼、確信、希望などを形に表します。純正でない信仰は、礼拝を厳守することなど、外側に見える信仰の行為や宗教儀式などを守り、自分は信心深いと思います。また、完全とは思わなくても、人と比べて自分の信仰は優れており、人の目にもそのように映っていると思います。その様な人は、兄弟たちとの関係において舌を制することができないで、兄弟たちの心を傷つけても平気です(ヤコブ3:9-10)。御霊の人は十字架を仰ぎ、神の愛に感謝し、自分で定めた基準の正しさに立ちません。しかし、神の助けを求めているようであっても神を利用しても平気でいる肉の人は、「自分の心を欺いて」いるのです。そのような信心は空しく(26)無意味です(26・共同訳)。
Ⅱ. 愛の実行…
神の眼差しの中で神が喜ばれる、きよく汚れのない信心とはどのようなものでしょうか。純正な信仰によって礼拝し、神のみこころにかなった信仰の行為は、この世に於ける社会的弱者である孤児ややもめへの配慮や援助、彼らと共に生きる愛のわざとなります(27、詩篇68:6)。現代に於ける社会的弱者の世話をすることは、震災や災害などで苦労している人々、生活が困難な状況で助けを必要としている人々を心にかけ、訪ね、見舞い、励まし、援助することです(マタイ25:31-41)。このような社会的弱者を助ける奉仕を回復することが、現代の教会の課題です。
Ⅲ. 身の純潔を守る…
神に愛され、罪を赦され、主にあって新生し、神の価値観に生かされているクリスチャンとして、神の前に純正な信仰を貫き、世の汚れに染まらないで、身をきよく保つには(27)、社会生活の中で、この世の基準に流され支配されず、また、悪の力に負けることのない歩みができるのです。しかし、この世の基準は、自己本位であり、利益追求主義であり、快楽主義から生じています。その様なものから生じる成果主義は、競争心をあおり、他者を犠牲にしてでも自分を豊かにしようとしてしまいます。主にあって、クリスチャン同士が、この世の流れに流されないで、互いに助け合い、互いに仕え合う喜びを主にあって回復する歩みをしましょう。私たちは、この世の汚れた社会から逃避するのではなく、世の光、地の塩として、十字架の恵みに生かされた、純正で健全な信仰を主によって保ち、主に生かされて福音宣教に励み、光の子らしく歩みましょう(エペソ5:8)。
教会の各活動
今週~来週の予定
○婦人祈祷会 火曜日(8月26日)10:30~
※8月は休会します
○聖書研究祈祷会 水曜日(8月27日)19:30~
聖書:マルコによる福音書11章1-11節
題:柔和な王の入場
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:242、143、465
○主日礼拝 来週日曜日(8月31日)10:30~
招詞:ローマ書12章1-2節
交読文:56 ローマ書12章
聖書:ヤコブ書2章1-4節
題:人をえこひいきしない
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:8、324、聖歌201