礼拝メッセージ 「人をえこひいきしない」 ヤコブの手紙2章1~4節
長谷川和雄師8/10-11 CSサマーキャンプ |
Ⅰ. キリストの栄光…
「栄光の主イエス・キリストへの信仰」を与えられている者が、もし、教会で分け隔てをしているとすれば(一例が2-3節)、その信仰は問題です(3:17)。
1) 主をみて人を見ない。あらゆる点で、この世の栄誉とか輝きに比べられないものを持たれた方を、主と信じ、仰ぐ者にとって、地上の富や家柄、権力や学歴などは問題になりません。しかし、あってはいけないことですが、それらを問題にし、えこひいきしている人は、主の栄光を正しく見ていないからです。
2) 再臨の主。この世をさばき完成するために再臨される主は栄光に輝いています。聖書は、栄光に輝く主の前で分け隔てをすることは、申し開きができるはずがないことを教えています(マタイ16:27、テトス2:13)。
Ⅱ. 分け隔てを神は喜ばれません…
もし、教会の体質に人を偏り見るようなことがあるなら、その教会は腐敗し始めています。礼拝出席者の健康状態や身体状況、年齢や性別などを配慮して、相応しい席に案内することはありえます。しかし、教会の受け入れ方が見かけや社会的地位などで差別し、不公平であるなら、神は喜ばれません。聖書を貫いている神のご性格であり特質の一つは、神は社会的弱者を顧み、配慮や援助を促しています(1:27、イザヤ25:4)。主はイザヤ書を引用して、ご自分は貧しい人々に福音を延べ伝えるために、神から遣わされていることを自覚していました(ルカ4:18-19、イザヤ6:1)。貧しさは、その人自身の責任というよりも、社会的な構造によって生み出され、押し付けられている場合が多いので、特別に顧みられました。神は身分や地位などで分け隔てをしたり、どのような者をも偏りみないで、福音の宣教をされました(ヨブ34:19、申命記10:17-18、ガラテヤ2:6)。人を偏り見ることをなさらない方でしたから、私たちも神の恵みによって救いに入れていただいたのです。人をえこひいきすることは、神によって罪人が赦され神の子とされるということを否定することに結び付くことになり、えこひいきをしてはいけません(2:9)。
Ⅲ. 神の教会…
教会は人を分け隔てしてはいけません。それは、教会がキリストを頭とする一つの有機的な結び付きをもったからだだからです。一つのからだですから、そのからだには色々な働きを持った肢体が存在します。その違いによって存在価値の違いは生じません(Iコリント12:12-27)。教会には、社会的な影響力、存在の重さなどが異なる人など、様々な立場の人々が集められています。もし、教会において貧しさや弱さのゆえに、この世の苦しみを受けていて、教会で慰めや希望を見いだそうと願っているのに、教会でこの世以上に屈辱と痛みを受けることがあったなら、キリストのからだなる教会とは言えないのに、現代の教会には人を分け隔てする体質が残っています。峯田良雄氏(ノーマン・ヨシオ・ミネタ氏。米国政治家、元商務・運輸長官)が、同時多発テロ対策に人種差別を拒否し多くの非難を受けましたが、最後まで勇気を持って毅然として平等の検査強化で対応しました。主にあって、日々十字架を仰ぎ、神の前に真実な教会として歩み、キリストを頭とする教会であらせていただきましょう。
教会の各活動
今週~来週の予定
○婦人祈祷会 火曜日(9月2日)10:30~
聖書:マラキ書1章13節
題:心からの礼拝
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:2,154
○聖書研究祈祷会 水曜日(9月3日)19:30~
聖書:マルコによる福音書11章12-26節
題:クリスチャン生活
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:2、203、211
○主日礼拝 来週日曜日(9月7日)10:30~
招詞:イザヤ書45章22節
交読文:14 詩篇37篇
聖書:ヤコブ書2章5-7節
題:貧富と信仰
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:494、340、300