礼拝メッセージ 「尊いみ言葉」 ヤコブの手紙2章8~13節
長谷川和雄師婚約式にて |
Ⅰ、尊いみ言葉とは・・・
「自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ」(8) との「きわめて尊い、最高の律法」に従っているかを問題にしています。主も、ひとりの律法学者から、律法の中でどの戒めが一番大切かと問われた時、神を全力で愛することと、自分を愛するようにあなたの隣り人を愛することが、最も尊く大切な教えですと応えられました(マタイ22:35-40)。ヤコブ書は神への愛が中核にあるので、人間関係の問題である隣人愛を問うたのです。
Ⅱ、最高の律法を守れない私たち・・・
この手紙を受け取った教会の問題点は、富んでいるものと貧しいものとを分け隔てをすることでした。それは罪ですと9節で断定しています。どのような意味で、人を分け隔てすることは罪なのでしょうか。1)最高の律法のひとつは、「自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ」です。ですから、教会がおきてに従って隣人愛に生きる道は、何よりも隣り人で貧しく助けを必要としている人々に、援助の手を差し伸べて、ともに信仰生活をおくることでした。しかし、彼らは富んでいる人たちに媚び、へつらって、貧しい人々を分け隔てし、彼らを一層みじめな状況に追い込んでいました。これは明らかに最も尊い律法に違反していることになり、神のみ心を痛めていたのです。2)彼らは、もし律法を守っていないとしても、それはひとつのことだけだと考えたかもしれません。しかし、自分の好みや都合とか、自分の勝手な判断で、神の意志が込められている律法の一部を軽く考え律法の一部を破ることは、律法全体に違反することと同じです。たとえ「姦淫」していなくても、人の存在を否定し、差別することは、「殺すな」との戒めを犯しています(マタイ5:22)。律法は、全体が守られてこそ意味があります。律法を守れない自分を知ると同時に、誰でも律法の違反者であると分かり、律法を完全に守れないので、誰も救われないのです。だからといって、律法を守らないで良いということではありません。神は、律法を守れない人間を憐れみ、受け入れ、赦し、律法を守り、神と人を愛する者として歩めるようにして下さるために、十字架の贖いのみ業を完成し、主が約束された聖霊を送って下さったのです。
Ⅲ、神の憐みに満たされて生きる・・・
その贖いのみ業は私の罪のためであったと信じて救われた者は、自由の律法に従って生き、憐みをもって生きるようにと教えます(12-13、ローマ11:30-32)。「最高の律法」を守れないとの恐れや諦め、開き直りではなく、神の新しい取り扱いを受け、神の愛に促され、自発的に神の憐みの中で、他者と共に神のみこころに従うことが、新しい自由の律法に生きる生き方です。その生き方を支えるのは、律法を守ろうとする熱心や情熱や力ではなく、守れない者を赦し、生かして下さる神の憐みに生きることです。憐みに生きるとは、苦しみ悩む者と共に、それを分かち合う生き方です。神の臨在を確信し、主の憐みにすがり、主を証しする生き方です。「私があなたがたを憐れんだのだから、あなたがたも憐みをもって生きよ」と、神は私たちに命じておられます。その戒めに聴き従うことこそ、律法を守れず、赦された者の生きる、新しい生き方です。
教会の各活動
キッズレストランにて |
今週~来週の予定
○婦人祈祷会 火曜日(9月30日)10:30~
聖書:ヤコブ書1章2節
題:喜びと思いなさい
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:248、396
○聖書研究祈祷会 水曜日(10月1日)19:30~
聖書:箴言16章32節
題:怒りをおそくする
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:21、445、414
○主日礼拝 来週日曜日(10月5日)10:30~
招詞:ヨハネによる福音書15章9-11節
交読文:56 ローマ書12章
聖書:ヤコブ書2章14-17節
題:生きた信仰
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:9、276、396