礼拝メッセージ「愛は寛容であり情け深い」コリント人への第一の手紙13章4~7節
長谷川和雄師
「愛」本来の意味を知らなければ、愛し愛されることは困難です。多くの人が愛を感情だと考えますが、感情以上のものです。
ギリシャ語の愛には、①神の愛、犠牲的な愛、功績に関係なく与える愛(アガペー)。②友情の愛、同姓への愛(フィリア)。③家族の愛、自然の愛、親子、子ども同士の愛(ストルゲー)。④性愛、価値あるものへの所有欲の愛(エロス)があります。
犠牲の伴わない愛はアガペーの愛とは言えません。主は自ら進んで十字架で死んでくださいました。ここに神の愛が示されました。
アンデルス・ニーグレンは、神の愛(アガペー)と人間の愛(エロス)を比較し、以下のように記します。『神の愛は、自分を与えるもの、上からいただくもの、神が人間に近づく道、無代価の賜物、利益を求めない、命を失うことも惜しまない、惜しみなく豊に与える。人間の愛は、自分のために求めるもの、努力するもの、人間が神に近づく道、人間の功績や価値に対するもの、自己中心・自己主張、命を得ようと努める、獲得し所有物とする』。
また、アウグスチヌスは、『自分を愛する者は神を愛せない。しかし、神を愛する者は自分を愛する』と言いました。
Ⅰ. 愛の本質…
愛と寛容は、御霊の実(ガラテヤ5:22-23)です。
1) 寛容(忍耐強さ)。短気の反対。全てを赦し、卑劣なことをされ、誤解されても仕返しせず、じっと耐え忍びます。その様な人は勇士に勝ります(現代訳・箴16:32)。主は忍耐の限りを尽くして十字架の道を成し遂げ、誤解され、罵られても、ひと言も答えませんでした。パウロは自らの罪深さを通し、主の寛容の偉大さを記しています(1テモテ1:16)。私たちは耐え忍べるでしょうか。私たちへの外からの妨害(マタイ19:13-15)や不便に対して(ルカ10:40-42)寛容でしょうか。主に寛容を求め頼りしましょう(詩篇37:7)。主の忍耐は救いです(2ペテロ3:15)。
2) 情深い(親切、慈悲深い)。怠惰や自分の喜びの欲望に勝ち、サービス精神の態度を取る愛の実践です。しかし、親切は誤解されがちなのに、なぜ、親切にする必要があるでしょうか。①神が親切だから(エペソ2:8英訳)。②人から親切にされたいと願っているから(マタイ7:12)。③人々を励ますからです(箴言12:25)。④主も憐れみに満ち、情け深く人々に接し犠牲を負われました(ヨハネ8:1-11)。
Ⅱ. 愛の性質…
1) 妬まない。コリント教会の魂は、霊の人になれないで肉の人のままだったので、賜物のことでねたみが生じました(1コリント3:3)。ねたみの前に誰も立てず、骨の腐りです(箴言27:4、14:30)。妬みは愛のないことです。私たちは主の最善を信じて歩みましょう。
2) 愛は高ぶらない(自慢せず、虚栄を求めず、思慮深くない行動をしない)。愛とは、相手によって自分の態度を変えず、人の徳を高めることです(1コリント4:6、8:1)。愛は世の称賛を求めません。私たちは主にあって、愛の存在とならせていただきましょう。
3) 誇らない(傲慢にならず、自己主張しない)。パウロは謙遜の限りを尽くして仕えました(使徒20:19、1コリント9:27、10:12)。愛は謙遜で、権力を振るわず、上下の区別をつけません。ランク付けは誇りを生みます。自らの愛のなさを認め、主に愛を求めましょう。主は求める者に聖霊を与え(ルカ11:13)、主が寛容、親切、愛を増し加えてくださいます。お互いの弱さを担い合い、赦し、受け入れ合うことは大変ですが、十字架の下で罪を赦し合い、弱さを受け入れ合い、互いに愛し合い、互いに徳を高め合って、神の栄光を現す教会とならせていただきましょう。
教会の各活動
教会学校での「母の日プレゼント製作」の様子 |
今週~来週の予定
○婦人祈祷会 火曜日(5月5日)10:30~12:00
※結婚式のため休会します
○聖書研究祈祷会 水曜日(5月6日)19:30~21:00
聖書:詩篇103篇2節
題:すべての恵を心にとめよ
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:2、172、356
○主日礼拝 来週日曜日(5月10日)10:30~12:00
招詞:ヘブル書4章14-16節
交読文:15 詩篇40篇
聖書:ヨハネによる福音書2章1-11節
題:愛が家庭に奇跡を
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:325、賛美歌510、310