礼拝メッセージ「愛が家庭に奇跡を」ヨハネによる福音書2章1~11節
長谷川和雄師
主が数名の弟子を召し、ナタナエルが弟子となって三日目にガリラヤのカナで結婚式があり、主は弟子を連れて結婚式に出て「最初のしるし」を行いました。水をぶどう酒に変えた奇跡は、神業ですが、弟子に信仰を与える出来事でした(11)。奇跡を見た人は驚きましたが、信仰が与えられていません。私たちは、いつも奇跡を見て驚いていませんが信じています。それは、主の素晴らしさに満たされているからです。
Ⅰ. 主が与えてくださる愛…
主が最初の栄光を現されたのは身内の結婚式という世俗的で個人的な家庭の催しでした。それは、主が私たちの家庭を祝福し、男女の愛や夫婦の愛を祝福し、私たちの新しい人生の門出を祝福し、人生の祝い事を共に喜んでくださるということです。信仰は御利益を求めることではなく、こんなに小さな私のために惜しみなく与えてくださる主の愛を知り、その確かな喜びから生まれる自然な感情として、私たちも主に従い、献げる者になりたいと思うのです。信仰生活で無理をしたら偽善的になります。心から従えるようになるために、主が個人的な生活を支え、祝福してくださるのです。
Ⅱ. 主が与えてくださる喜び…
結婚の祝宴が1週間続き、ぶどう酒が無くなったので、主は水を上等なぶどう酒に変え、婚礼の危機を脱し盛り上げ喜びを与えてくださいました。真面目なクリスチャンは、信仰生活の喜びは、もっと清く、永遠で、厳かな喜びと考え暗くなりがちです。世の富、誉れ、飲み食い、健康な体、世の仕事などは永遠のものではなく、過ぎゆくものですが悪いものではなく、それらは人の喜びのために神が与えてくださったものです。日々の疲れを癒す楽しみを神は喜んでくださるのです。主も多くの人々との交わりを楽しまれました(マタイ11:19、マルコ2:16)。天国は温かく楽しいところです。
Ⅲ. みこころ一つで奇跡が起こる…
この奇跡は、私たちに二つの希望を与えます。
1) 主は、ぶどう酒の欠乏を補った。家庭に愛や喜びが欠けたら絶望しがちですが、主は無から有を生み出す、全能のお方であることに希望があります。
2) 主は生きておられ力があるという希望です。マリアは、一見冷たく感じる主の言葉を、「働くべき時が来たらちゃんとやります」と受け止めて、僕たちに、「このかたが、あなたがたに言いつけることは、なんでもして下さい」(5)とマリアは僕たちにこう言って、主に任せました。すると、主は僕たちに、100リットルも入る石の水瓶に、「水をいっぱい入れなさい」(7)と言われ、僕が水を瓶に満たした後、その水を「くんで、料理がしらのところに持って行」(8)き、その水をなめると上等なぶどう酒でした。しかし、「料理がしら」は、このぶどう酒の奇跡を知りません。ただ、普通は最初に良いぶどう酒を出し、酔った頃に悪いぶどう酒を出すのに、上等のぶどう酒を今までとっておいたことに驚きましたが、主の恵みも分からす、単に感謝で終わっています。僕たちも、主が水に何もしていないので、自分たちが汲んだ水が上等のぶどう酒になったことを知り、不思議に思っているだけでした。しかし、弟子たちは主が水をぶどう酒に変えて、この婚礼を祝福しようと考えてなされた御業であると知ったのです。
主は今日も私たちの生活を祝福してくださいます。ある家庭では、主の愛を知り、お酒が箪笥に変わりました。私たちは、すべてのことが主の恵み深いみこころによることを知り、主の素晴らしさや愛を知り、主への信仰を深めていただきましょう。
教会の各活動
母の日の感謝の時の様子 |
今週~来週の予定
○婦人祈祷会 火曜日(5月12日)10:30~12:00
聖書:マルコの福音書10章52節
題:ついて行った
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:356、316
○聖書研究祈祷会 水曜日(5月13日)19:30~21:00
聖書:詩篇11篇1~7節
題:主に寄り頼む者
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:310、282、359
○主日歓迎礼拝 来週日曜日(5月17日)10:30~12:00
招詞:詩篇27篇8節
交読文:13 詩篇34篇
聖書:ヨブ記22章21節
題:幸福が来る
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:8、260、264