礼拝メッセージ「幸福が来る」ヨブ記22章21節
長谷川ひさい師
今朝のみ言葉を通して幸福(幸せ)になるためにはどうすればよいのかを教えていただきましょう。
考えることや思うことや好みは人それぞれですが、一つだけ人種や国が違っても、また、教養やお金のあるなしにかかわらず、誰でも同じように求めているものがあります。それは幸せです。「もっと幸福になりたい」と、誰でも願いますが、「私は幸福なんか欲しくない」と、言う人はいないと思います。
メーテルリンクの「青い鳥」のように、何処を捜しても見つからないもの、せっかく捉えても灰色に変わってしまうのが現実なのでしょうか。もし神がおられて、その神が愛の方だとしたら、そんなことがあってよいでしょうか。
聖書に、私たちが幸せを得ることができない理由が二つあると記します。それは、幸福観に誤りがあるか、幸福を得ようとする方法が間違っているか、どちらかだというのです。
ある人々は、幸福はお金や知識、名誉や地位さえあればやってくると考えますが、本当でしょうか。また、物質や健康や境遇が恵まれていれば、幸せでしょうか。今日、高度に発達した文明の中にありながら、人々は幸せではないと証明されています。ですから、幸福観が不確かなものを土台にしていると、一生かかっても幸せになりません。
また、幸福を得ようとする方法が間違っていても幸せになれません。それは、目的地とは違う列車に乗るようなもので、目的地には着かないのです。
真の神は、誰でも幸せであることを願っておられるのに、幸せが得られないのは、神が望んでおられる方法で幸せを得ようとしないからです。
今日のみ言葉は、何が幸せの土台であるのか、どうすれば幸せになれるのかを教えています。
まず、幸せの土台である条件は平安(平和)だと記します。そうです、幸せの実感は目に見える外側のものではなく、内側である心の安らぎ、平安、平和から生まれるのです。
あなたには、どんなものにも乱され、動かされない心の安らぎがありますか。もし、不安があるなら、その原因を知って取り除かなければいけません。今日のみ言葉は、人が不幸なのは、「神と和解していないから」だと、記します。それが罪であり、不幸の原因なのです。幸福の土台である平安、安らぎは、神と和解することなしに、幸福を得ることはできません。
アウグスチヌスは、「人間の心は、かみのもとに帰るまでは決して安らぐことはない」と、言いました。人間は神の下に帰るには、あまりにも自分勝手で、罪に染まりすぎていて、そのままでは神の下に帰れないのです。
そこで神は、神のひとり子イエス様を世に送り、主は全人類の罪の身代わりとなって十字架の上で死んでくださいました。主は十字架の上で、「父よ、彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか分からずにいるのです」(ルカ23:34)と、執り成してくださいました。あなたが、主の十字架は私の罪のために流された血潮であると信じ受け入れる時、今までの神との不和から来る全ての罪が赦されて、神と和解することができ、あなたの心に罪が赦されたことによる平安と感謝が与えられるのです。
「そうすれば幸福はあなたに来る」との聖書の約束は、間違いなく成就します。私も23歳の時、神と和解することができ、この幸福が与えられ、今日に至るまで変わることがありません。
教会の各活動
教会決算総会の様子 |
今週~来週の予定
○婦人祈祷会 火曜日(5月19日)10:30~12:00
聖書:詩篇59篇16節
題:私の逃げ場
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:195、357
○聖書研究祈祷会 水曜日(5月20日)19:30~21:00
聖書:ヨハネによる福音書16章24節
題:求めなさい
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:38、196、199
○ペンテコステ礼拝 来週日曜日(24日)10:30~12:00
招詞:ローマ書12章1-2節
交読文:56 ローマ書12章
聖書:ガラテヤ書5章16-26節
題:聖霊の実は愛です
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:264、414、416