礼拝メッセージ「愛は決して滅びない」コリント人への第一の手紙13章8~12節
長谷川和雄師
「全世界を愛することは骨折れることではない。私の本当の問題は隣人を愛することです」と言った人がいます。愛は尊いものですが、はかなく頼りにならないものです。そして人は皆愛を求めて生きています。私たちは滅びることのない神の愛を追い求めましょう。
Ⅰ. 愛は決して絶えない(8)
聖書は、「愛は決して滅びない」(新共同訳)と断言します。愛に比べ預言、異言、知識は滅びますが愛は絶えず、滅びず、永遠です。
1) 愛は永遠のものです。人生の様々な問題に振り回されず「永遠のものさし」で物事を見る目こそ、「知恵のある心」です(伝道3:11、詩篇90:12)。
2) コリント教会では、霊の賜物の一面を重んじ、霊の賜物のことで、高ぶり、さげすみ、ねたみ、ひがみが生じました。「永遠のものさし」で、それらを計ることによって、それらの霊の賜物はすたれることを明確にしました。
①預言・未来の事。みこころ、救いなどの預言は一部分であり一時的です。
②異言。異言が無秩序に興奮状態の中で語られ混乱しました(1コリント14:32-33)。天国では一つの言葉です。異言は一時的で、不完全で、部分的です。
③知識。知識は部分的で、不完全であり、一時的です。
3) 私たちは絶えることの愛を熱心に追い求め、神と人を愛する愛で満たされましょう。
Ⅱ. 賜物はすたれます(9-12a)
この箇所に愛の文字はありませんが、愛は滅びず残ります。人の愛は不完全で、おぼろげです。世の終わりには神が完全に支配し、神の知識や預言は不要です。しかし、神の本質である愛は必要です。神の国、天国では愛が支配しています。童話の、「天国と地獄」では、天国と地獄は同じ環境ですが、地獄には他人のためにという愛がありませんが、天国には愛が充ち満ちているので、そこは天国だということです。今この世に、愛がないとすれば、そこは地獄の世界です。しかし、今の地上の世界では、まだおぼろげにしか行われないというのです。全くないというのではなく、少しはある、一部分はあるというのです(12)。今は不完全な愛ですが、罪から救われ、神の愛を知った者として、小さく未熟な愛に神の御手が働き光りをともせます。ここでの「幼な子」とは幼児性で、自分中心で、わがままな意味で、自分が幼子であった時にはこうであったのです。しかし、「わたしたちは、今は」、福音を知りキリストに会い、神の愛を知った今はもう幼児性を捨てたのです。人の愛に躓き、人は愛に乏しく、貧しいかに気づくと人は神の愛を受けて、人を愛することができるような大人になるのです。そしてその愛が、終末の時に完成するとの希望をもっているのです。
Ⅲ. 主の再臨のときの愛(12b)
主が現れる時、私たちは主に似る者となります(1ヨハネ3:2)。その時に私たちも神と顔と顔を合わせられるのです(12)。今は、神を完全に知ることはできませんが、神が私たちを完全に知っておられます。ですから、この地上の私たちの愛の貧しさ、不完全さを知りながら嘆くのではなく、希望をもてるのです。そうであるならば、この世で生きている私たちにとって大切なことは、自分の愛の貧しさ、愛の不完全さを知ることです。そうした自分の愛の幼児性、いつも自分のことばかり考え、相手のことを思うことより自分のことを思ってしまう、自分の愛の幼児性に気付き、その幼児性を捨てて、大人の愛に目覚めることです。少しでも子どもっぽい愛を捨てて、永遠に滅びることのない愛を追い求め、神に会う備えを致しましょう。
教会の各活動
礼拝での聖餐式の様子 |
今週~来週の予定
○婦人祈祷会 火曜日(7月7日)10:30~12:00
※教区婦人部修養会のため休会します
○聖書研究祈祷会 水曜日(7月8日)19:30~21:00
聖書:エレミヤ書33章3節
題:あなたに答える
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:41、481、190
○主日礼拝 来週日曜日(7月12日)10:30~12:00
招詞:ヨハネによる福音書15章9-11節
交読文:57 Ⅰコリント書13章
聖書:Ⅰコリント書13章13-14章1節
題:愛を追い求めましょう
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:89、222、364