礼拝メッセージ「主にある交わりの喜び」ヨハネの第一の手紙1章1~4節
長谷川和雄師
Ⅰ.いのちの言葉(1)
1) ヨハネは福音書を「初めに」と書き出し、主が初めから父なる神と共におられ、天地を創造されたことを記しています(ヨハネ1:1-2)。
2) この手紙は異なる原語の、「初めからあったもの」と書き出され、人類が罪を犯した時から神の救いの計画が備えられていたことを記しています。つまり、初めからあった「いのちの言」とは福音です。ヨハネは、創世記3章から預言され続けてきたメシヤが現れるとの預言を心に留めていました。
3) ヨハネはそれだけではなく、「世の罪を取り除く神の小羊」(ヨハネ1:29)である主に従い、共に親しく生活し、主の愛を深く感じる弟子でした。彼は、神であった主がこの世に人となって来られ(1テモテ1:15)、人間の罪の身代わりに十字架で死んで復活した主と交わりました。それゆえ、主こそ救い主であると信じ、宣べ伝えたのです。
Ⅱ.告げ知らせること(2-3)
1) 「永遠のいのち」である主が贖罪のみ業を完成され、この方を救い主と信じるなら永遠のいのちを受けます(ヨハネ3:16)。この永遠のいのちの恵みによって、神との親しい交わりによって神の愛を知り、喜びに満たされるので、人々に伝えずにはおれないのです。永遠のいのちは、人に伝える勇気と力と知恵を与えるのです。
3) 「永遠のいのち」は、交わりを通して与えられたものです。愛され愛することや赦され赦すことは、神と自分との関係はもちろん、教会における交わりを通して体験することができます。しかし、人間の良心で善悪を判断し、自分の正しさに生きていては、神のみこころを知って罪を赦され、平安に生かされることはできません。自分の罪深さを認め、主の憐れみにすがり、十字架の血潮を仰いで信じ、その恵みに生き、その恵みを証し合うときに信仰の確信が与えられます(ガラテヤ2:19-21)。
Ⅲ.神との交わり(3-4)。
1) 私たちは礼拝に集い、主の臨在される礼拝堂で生ける神との交わりの恵を確認しあうのです。
2) 教会は赦された罪人の集まりなので、様々な考えや判断があって、意見が食い違うこともあります。自分の意見を皆の前で言わないで、陰口を言うと教会に分裂が起きてしまいます。しかし、主の臨在の下で正直に自分の意見を出し、正々堂々と話し合い、理解し合い、受け入れ合うなら、問題は解決します(ローマ15:7)。
3) 「交わり」は「知らせる」の意味もあり、知識、経験、祝福などを分け合うことです。交わりには言葉が必要であり、同じ恵みの知識を持つことが交わりの基礎です。全ての集まりの交わりの中で、権力や力で自分の思いを遂げようとして一致が薄れてしまっています。
4) ヨハネが、父なる神と子なる神との交わりに、私たちが親しく交わることが出来ることを伝えたのは、私たちの喜びが満ちあふれるためです(1ペテロ1:8)。み言葉は真実です。み言葉宣教に励みましょう。
5) 父なる神と子なる神が一つであったように、主を信じた者が神と人と交わることによって完成された者と変えられるのです。神との交わりがあるところに主は臨在され、神の愛が満ちあふれるのです。
教会の各活動
青年会の特別賛美の様子 |
今週~来週の予定
○婦人祈祷会 火曜日(7月21日)10:30~12:00
聖書:ローマ書7章24節
題:みじめな人間
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:282、264
○聖書研究祈祷会 水曜日(7月22日)19:30~21:00
聖書:ルカによる福音
書18章39節
題:神への要求
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:264、428、385
○主日歓迎礼拝 来週日曜日(7月26日)10:30~12:00
招詞:ヨハネによる福音書15章9-11節
交読文:37 詩篇119篇
聖書:ルカによる福音書10章38-42節
題:なくてならぬものは一つだけ
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:1、38、324