礼拝メッセージ「キリストが歩まれたように」ヨハネの第一の手紙2章1~6節
長谷川和雄師
Ⅰ. もし罪を犯す者があれば(1-2)…
1) 永遠の滅びから救われ、永遠の命を与えられ、いのちである神との交わりを継続するのです。聖い神との交わりによって罪が明確に示され、罪の恐ろしさを知り、闇の中を歩めません。
2) 聖い神との交わりを継続するために、御子が遣わされ贖罪のみ業を完成しました。私たちは神に罪を告白し、罪赦され、不義からきよめられ神と交われます。しかし、肉にある私たちは誘惑に負けやすく、誰も罪を犯すことから逃れられません。罪の告白によって簡単に罪の赦しときよめがあたえられ、罪の戦いから開放され義務も免除されたように錯覚し、罪を犯すことはしかたがないと開き直り、罪と戦わないで罪を犯し続けるのです。罪を犯すことへの無関心や罪を犯さないことへの怠慢に陥ってはいけません。ですから、日々主の前に出る必要があるのです。
3) 罪の赦しは、神の慈悲や憐れみによって与えられると考える人がいますが、神の義が全うされることなしに罪の赦しはありません。神は戒めを曲げ、緩め、妥協して罪を赦したのではなく、罪のない「義」である主ご自身が私たちの律法の呪いと刑罰を引き受け、身代わりとなり十字架で死なれたので、神の義が満足されたのです(ピリピ2:8、1コリント1:30、1ペテロ3:18)。この主にある贖罪の御業を信じる信仰によって、義とされ大胆に神に近づくことができるのです(エペソ3:12、ヘブル7:19、ローマ3:23-28)。日々この恵みに生かされ、主は、義なる神の前に弁護してくださいます(ヘブル7:25)。日々、神の光の中に出させていただき、罪を罪として認め、主の十字架の血潮を仰ぎ、贖いの恵みを感謝しつつ歩みましょう。
Ⅱ. 「神を知っている」とは(3-6)…
1) 光である神と交わり、神を知っている人は、神の戒めを知り、光の中を歩みます。しかし、暗闇の中を歩いているなら、神と交わっていることは偽りです。罪深い私たちが神と深く交われば交わるほど、罪深さを知ることができます。そのために、主が贖いの供え物となってくださり、贖罪は「完了した」のです。罪びとの私たちが、光である聖い神と交われるようになるために、交わりを妨げる障害を、十字架の恵みで取り除いてくださったのです。
2) 私たちが尊敬する人に倣おうとするように、キリストに倣い、神のみ心を求め、み言葉に聴き従いましょう。福音書を通し主の歩みを学ぶうちに、主をいよいよ深く知るようになります。口先だけで、み言葉への不従順は、キリストを現せません(テトス1:16)。
3) パウロは、自分は完全な者だと言わず、主との再会を期待し、主を捕えようと日々追求しました(ピリピ3:12)。私たちも飾らず、ありのまま真実に神の前に出て、心の内にあるものを隠さず正直な祈りをしましょう(1コリント13:12)。キリストが神と親しく交わって歩まれたように、私たちも神と親しく交わり、神を深く知る時、益々神の前に真実になることが出来るようになり、益々キリストに似る者となるのです。
教会の各活動
三浦綾子文学講演会の様子 |
今週~来週の予定
○婦人祈祷会 火曜日(9月1日)10:30~12:00
聖書:箴言28章1節
題:やましさ
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:427、272
○聖書研究祈祷会 水曜日(9月2日)19:30~21:00
聖書:詩篇21篇1~13節
題:砕かれた魂の喜び
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:263、343、264
○主日礼拝 来週日曜日(9月6日)10:30~12:00
招詞:ヨハネによる福音書15章9-11節
交読文:37 詩篇119篇
聖書:Ⅰヨハネ書2章7-11節
題:光の中の新しい戒め
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:9,215,316