2015/09/13

主日歓迎礼拝「わたしのもとにきなさい」

礼拝メッセージ「わたしのもとにきなさい」マタイによる福音書11章28節


長谷川ひさい師


今日のみ言葉から、生き生きとしっかり生きる生き方を学びましょう。

Ⅰ.元気を回復する…
1) 私たちは、「お元気ですか」との挨拶を何気なしに使っています。三浦綾子さんは「元気」は生きることへの意欲だと言っていますが、皆さんは元気ですか。
2) 昨今、「疲れた」との言葉を残し亡くなる大人や子どもが多く、社会問題になっています。人間として意味や目的のない生活を強いられることは疲れ、耐えられません。主は、疲れている人に、「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」(新改訳)と言われました。この「休ませて」とは、楽をさせてという程度の言葉ではなく、ある英訳では、「元気を回復してあげます」と積極的な意味を持っています。
3) 私は、お花や観葉植物が大好きですが、時々水やりを忘れ、後に水をあげますと元気を回復し、生き生きと輝きます。私たちも主の下に行くなら、生き生きと輝けます。なぜなら、主は「わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか…その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう」と約束されました。

Ⅱ.主の下で元気を回復する…
なぜ、主の下に行くと元気が回復されるのでしょうか。
1) 生きる意味を発見する。人の疲れは、意味がわからずに生きることを強いられているからです。創世記に、ヤコブがラバンの娘ラケルを愛しましたが、そのことを知った父ラバンは、「娘がほしかったら7年間私に仕えなさい」と言われ、彼はその通り仕えましたが、「ヤコブは七年の間ラケルのために働いたが、彼女を愛したので、ただ数日のように思われた」(創世記29:20)のです。しかし、いやな人のためだったら、そのように思えないのは不思議です。私は、神から主の救いを伝える使命が与えられたので、私の両親と長谷川先生の父の遠距離介護を25年間できました。介護を通して救いのみ業がなされ、その介護は大変でしたが喜びとなり、25年間は「あっ」という間でした。そして、それぞれの両親が主を信じ、私の両親と長谷川先生の父は輝いて平安のうちに天国に移されました。家族にとって、天国があること、主の救いを受け入れ、魂に平安が与えられ、死の恐怖に勝利した姿を忘れることができません。
2) 主が、罪や心配事を負い、取り去られます。人の心を重く暗くしているのが罪です。罪の誘惑は、最初は甘く、また絹糸のように美しく、柔らかく軽いのですが、一度罪のとりこになると、酒や快楽で気を紛らわしても、罪の力は鉄の鎖のように心に重くのしかかります。あるフランスの心理学者は、「人の心から罪意識からくる不安を完全に取り除くことができたら、世界中の精神病院は9割空になるだろう」と言いました。心から罪を認め、主の十字架は私の罪の身代わりであったと信じ受け入れるなら、罪の重荷を背負って苦しまなくてよいのです。
3) 主は復活し、今も生きていて、永遠の命の交わりが与えられます。生ける神と、祈りを通して親しく交われることは何と感謝なことでしょうか。全てを主にお任せし、主に教えていただきながら、日々を生き生きと生きることができるとは何と感謝で、平安で、安心なことでしょうか。人間関係で疲れきっていた私が23歳の時、このみ言葉に導かれ教会に行き、主にあって罪を赦され、重荷を下ろし問題が解決し、永遠の命をいただき、神と交わり、祈りが聞かれ、いのちの道を歩ませていただきました。皆様も主の下に行きましょう。



教会の各活動


卓球大会の様子
午後は、青年会主催の全体行事「卓球大会」が行われました。


今週~来週の予定


○婦人祈祷会 火曜日(9月15日)10:30~12:00


聖書:ヨブ記17章12節
題:やみから光
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:358、428




○聖書研究祈祷会 水曜日(9月16日)19:30~21:00


聖書:使徒行伝1章1~5節
題:聖霊降臨を待ち望みなさい
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:258、133、409



○主日礼拝 来週日曜日(9月20日)10:30~12:00


招詞:詩篇103篇1-2節
交読文:21  詩篇62篇
聖書:イザヤ書40章27-31節
題:主を待ち望む者に
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:2,348,315