2015/10/04

主日礼拝「反キリストに対する態度」

礼拝メッセージ「反キリストに対する態度」ヨハネの第一の手紙2章18~29節


長谷川和雄師


光の中を歩むクリスチャンが、この世にあって警戒すべき第1のことは、「世を愛する」ことでした。そして、第2のことは、「反キリスト」です。

Ⅰ. 今は終わりの時…

  1. 神のご計画全体の中で、今がどのような時であるのかを知り、今を見失ってはいけません。「今は終りの時」とは、神のご計画の最終段階、主の誕生から再臨までの全期間をさしています。キリストの再臨が間近なのです(ローマ13:11)。世の終りには反キリストや不法の者が現れ、困難な時代となります(ルカ21章、2テサロニケ2:3-4、2テモテ3:1-5)。
  2. 「反キリスト」とは何でしょう。
    1. 教会との関係が崩れている者です。どんなに人間的に親しくなっても、信仰告白においてひとつになれない者は、神の家族とはなれません。教会を支配しようとしたり、教会から出ていって嘲ったり、迫害する者です。
    2. 教えの内容が異なる者です。神のこと、イエス様が救い主であることを否定します。
    3. 生活態度をみると、それは明らかに異なります(2ペテロ2-3章)。彼らは生活の中で、主を証しする生活をしていません。しかし、天国への門は狭いゆえに、神を畏れて生きる者たちは、彼らに攻撃されることがあります。
  3. 反キリストに惑わされないためには、それを見分ける必要があります。また、見分けるためには、本物を知ること、何よりも自分自身が本物のクリスチャンとなっていることが大切です。本物のクリスチャンは救いの確信があり、聖霊に満たされ、み言葉に満たされ、み言葉に生きています。目を覚まして歩みましょう。

Ⅱ. 正しい信仰告白にとどまる…

「偽り者」とは、正しい信仰告白から外れた者です。終りの時に反キリストに惑わされないためには、正しい信仰告白にとどまることが必要です。「初めから聞いた」こととは、キリストの十字架と復活の福音です。福音に生きる者とは、主こそ罪からの救い主であると信じ、このお方に賭けている人です。主が完成された方で、賢く、善良で、奇跡の力を持っている人間というだけであるなら、模範として真似をすればよいのです。しかし、真似をすることではなくて、私の唯一の罪からの救い主として信じ、この方により頼んでいることが大切です。また、御子および御父の内にとどまることです。とどまるとは、それを試し、見抜き、勝利を得るということです(黙示録2:2参照)。真理にとどまっているからこそ、光である神との交わりの中にとどまり、主が約束された永遠の命を受け継ぐことが出来るのです。

Ⅲ. キリストにとどまる…

反キリストは教会から出て行きますが、惑わす者は教会内に留まっています。もし、スパイが自制心、謙虚、大胆、誠実、冷静な判断と燃える心、清潔な手をもっているとしたら、誰が見分けられるでしょうか。反キリストも、光のみ使いを装っています(2コリント11:12-15)。それゆえ、私たちは主の内にとどまり、正しい信仰を守り通すことが重要なことです(ヨハネ15:4-5)。主にとどまるとは、主と共に歩み(2:6)、主を信頼し(28)、罪のうちを歩まないで(3:6)、神の命令を守り(3:24)、主を神の子と告白すること(4:15)です。また、「義」とは神との関係をあらわしています。行いによらない、主を信じる信仰による義です(創世記15:6)。この世的基準に合わせることではありません。神に対する正しいあり方、つまり、主につながっていることです。私たちは主の内にとどまり、神の愛を豊かに受けて、兄弟愛を実行する者とならせていただきましょう。




教会の各活動


午後は、教会役員会が行われました。


今週~来週の予定


○婦人祈祷会 火曜日(10月6日)10:30~12:00


聖書:イザヤ書49章15節
題:女たちが忘れても
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:191、205


○京都聖会準備祈祷会 水曜日(7日)19:30~21:00


聖書:ローマ書12章1~5節
題:きよめのプロセスと目的
説教者:内田純師
新聖歌:22、365,400


○主日礼拝 来週日曜日(10月11日)10:30~12:00


招詞:ヘブル書4章14-16節
交読文:11  詩篇32篇
聖書:Ⅰヨハネ書3章1-10節
題:今や神の子なのだから
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:178、266、357