礼拝メッセージ「ほんものの愛」ヨハネによる福音書3章16節
長谷川ひさい師
Ⅰ. どれだけ犠牲を払うことができるでしょうか
- 「もし、人を愛するというならば、愛するという人のために死ねるということでなければならない」と言った人がいます。また、三浦綾子さんは、「ほんとうの愛は自分の最も大事なものを人にやってしまうことです。まことの愛とは、愛する人のために、どれだけ犠牲を払えるかによって量れます。
- 神は、信仰の篤いアブラハムをテストしました。彼は跡継ぎの息子がなかなか与えられませんでしたが、百歳を過ぎて約束通りの息子が与えられ、イサクと名づけ深く愛しました。ところが、神はその子をささげなさいと言われました。彼は神に従い指定された地に行き、イサクを神への生けにえとして祭壇の上に横たえ、ほふろうとした時、主の使いが、「わらべを手にかけてはならない…あなたのひとり子をさえ、わたしのために惜しまないので、あなたが神を恐れる者であることをわたしは今知った」(創世記22:12)と声をかけました。彼にとって最愛の最も大切なひとり子を、神のために惜しまないでささげようとして、神への愛が本物であったことを示したのです。神もご自分の最も大切なひとり子の、イエス様のいのちを犠牲にされるほどに、私たちを愛してくださったのです。払われた犠牲の大きさから、神の大きな愛を見ることができるのです。
Ⅱ. 愛の純粋さと高さは、誰のために犠牲を払うのか。その対象によって知ることができます
- アブラハムも神もひとり子を犠牲にし、一見似ていますが大きな違いがあります。その違いは、愛の対象が異なっています。アブラハムは、神のみ言葉に従って故郷のウルを出てカナンの地に来ました。そして、「あなたは祝福の基となる」(創世記12:2)との約束を受け、神は財力において特別な祝福を彼に与え、大いなる勢力をもつ一族とされました。それを知っていたので神の言葉に従い、ひとり子をささげました。しかし、神は、神に背いている世の人々の罪の身代わりとして、ご自分のひとり子を提供されたのです。
- 人間の愛は、「~だから」や「もし…ならば」の条件付の愛です。もし、神が条件付の愛で愛するなら、愛される資格がある人がいるでしょうか。神の愛は、私たちが罪人であり、愛される資格も価値もない者のために、最大の犠牲を払った本物の愛なのです(ローマ5:7)。
Ⅲ. 愛の目的は何なのでしょうか
その目的は、「ひとりも滅びないで、永遠の命を得るため」です。神がひとり子を与え、イエス様が十字架で血を流し、命をささげてくださったのは、神から離れ、神に背を向けて罪を犯し、滅びに向かっている人々を罪から救い、永遠のいのちを与えるためでした。
Ⅳ. この愛を受け取るには、どうしたら良いのでしょうか
受け取る条件は、私の罪のためにイエス様が死なれたことを信じ、感謝して受け取ることです。今朝、神の本物の愛を全員受け取っていただきたいと、神は願っています。
教会の各活動
会堂の床と扉が改装されました |
今週~来週の予定
○婦人祈祷会 火曜日(10月20日)10:30~12:00
聖書:詩篇86篇6節
題:泉のわく所
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:339、399
○聖書研究祈祷会 水曜日(10月21日)19:30~21:00
聖書:ローマ書10章10-11節
題:救いの恵み
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:195,262、265
○主日礼拝 来週日曜日(10月25日)10:30~12:00
招詞:ローマ書12章1-2節
交読文:14 詩篇37篇
聖書:ヨハネによる福音書14章1-6節
題:キリストは道、真理、命
説教者:小岩裕一師
新聖歌:354、355、395