礼拝メッセージ「貧しい心に主を迎えよう」ルカによる福音書1章26~38節
長谷川和雄師
当時や現代でも、マリヤの処女降誕は、倫理的、科学的に受け入れられません。一般常識で聖書を読めませんが、神はみ言葉をもって私たちに語りかけ、神、罪、救い、信仰を教えられます。マリヤは神の言葉を真剣に受け止め、神の全能を信じ、神の祝福と愛に応えて従いました。人は愛され、信頼されて初めて従えます。み言葉に従うことに、まことの喜びがあります。
Ⅰ. 救い主の必要性…
なぜ、神の子イエスが世に人として来る必要があったのでしょうか。クリスマスはエバとマリヤによってもたらされました。
1) エバは、主が十字架にかけられる原因をつくりました。神とアダムに聞き従わず、サタンの誘惑にそそのかされ、アダムから聞いたことに逆らい、善悪を知る木の実を食べてしまいました(創世記3章)。その結果、神と交われなくなり、人類は罪を犯し、殺人、盗み、うそ、憎しみ、そして死が人類に入ってきました。
2) 最も大きな罪は高ぶりです。エバは神の言葉を誠実に聞かず、忠実に守らなかったので神と交われず、祝福を受けられなくなりました(創世記2:16-17、3:1-6)。彼女は、神の言葉に従っていれば幸いでしたが、自分が神になったかのように言動し、自分の罪を認めず、益々罪が増し加わりました。傲慢になったエバは、アダムにも木の実を勧め、誘惑し、罪を犯させました。「高ぶる者をしりぞけ」る(1ペテロ5:5)とあるように、神はアダムとエバをエデンの園から追放しました。
Ⅱ. 無条件の服従…
1) それに対し、マリヤは貧しく、無名で、優れた功績を残した女性でもなく、罪のない女性でもありません。しかし、神は一方的な恵みを彼女に与え、御使いを遣わし、神のひとり子イエスを宿す者とされました。
2) しかし、夫ヨセフと一緒に暮らす前に、子を宿すということは、破談や裏切り者として家族や友からも誤解され、捨てられ、殺されるおそれがありました。
3) まして、処女降誕は考えられず(34)、マリヤも初めは御使いの言葉を理解できませんでしたが、人間的な可能性ではなく、聖霊によってなされる神の全能を信じ(37)、主の奴隷として自分を献げました。そして、自分が主の恵みを受けるに相応しい者ではないことを熟知していたので、主のお言葉どおりになるようにと、条件をつけないで、全てを主に委ねたのです(38)。条件なしに明け渡し、全てを受け入れる、全く砕かれ低い心にならなければできませんでした。ただ、神の愛に応え、謙るマリヤの姿がそこにありました。
Ⅲ. 心貧しい者の幸い…
1) 心の貧しい者とは、自分の罪汚れを知っていて(マルコ7:21-23)、世の富・名誉・人などにとらわれず、神が全てであると心から告白し、神に期待し、頼りきって、栄光を神に帰する者です(申命記8:17、9:4)。まさに、マリヤは心の貧しい者でした。
2) 真の信仰は感情に振り回され、恍惚状態になりません。信仰は、目には見えないけれども生きておられる神を信じて拠り頼み、神のみ言葉に従います。私たちは、マリヤのように謙り、神の恵みを受けるに相応しくない罪人であることを認め、主の僕として、「み言葉どおりになりますように」と願い、誠実、忠実にみ言葉に従いましょう。神はそのような者を喜ばれ、恵みを増し加えられます。
3) マリヤが神の全知、全能、最善、愛、義を信じ、神に任せて従った時、イエスが誕生しました。イエスは神でしたが人となり、貧しくなり、貧しい者を助け、友なき者の友となり、弟子の足を洗い、罪がないのに罪人とされて、強盗の代わりに十字架につけられ、死に至るまで父なる神に従ました。私たちも心の貧しい者とされて、誠実・忠実にみ言葉に従う者とならせていただきましょう。
教会の各活動
今週~来週の予定
○婦人祈祷会 火曜日(12月8日)10:30~12:00
聖書:イザヤ書38章17節
題:苦しみは平安のために
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:248、236
○聖書研究祈祷会 水曜日(12月9日)19:30~21:00
聖書:使徒行伝3章11-16節
題:イエスによる信仰
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:42、249、456
○アドベント歓迎礼拝 来週日曜日(13日)10:30~12:00
招詞:ヘブル書4章14-16節
交読文:52 ルカ1章
聖書:ルカによる福音書1章39-45節
題:マリヤとエリザベツ
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:9、67、275