2016/03/06

主日礼拝「祈りにおける確信」

礼拝メッセージ「祈りにおける確信」ヨハネの第一の手紙5章5章13~17節


長谷川和雄師


受験生のために手を繋いで祈る
Ⅰ. 永遠のいのち。

ヨハネの福音書の目的は、主を救い主と信じ、主の名によって命を得ることです(ヨハネ20:31)。ヨハネの手紙は、人が御父と御子との交わりに与り(1:3-4)、主の名を信じ、頼り、主につながり、いのちに与り、主に委ね、神の最善を待ち望む者に「永遠のいのち」があることを悟らせるためです(13)。そのいのちは、とこしえからとこしえまで存在される神のいのちであり、生ける主に満ち溢れたいのちです。もし、罪深い者の命が滅びないとしたら忌まわしく、重荷であり不幸です。永遠のいのちは、死後や、いつか与えられるものではなく、生かされている今与えられ、祈りを通して神と交わり、神の恵みと祝福を受け、肉体が滅びても永遠に神と交われるいのちです。ですから、日々神と交わる時、神の確実な知識を、体験的に知り、悟るのです(3:2)。

Ⅱ. 祈りに於けるクリスチャンの確信。

  1. 主を信じて神の子とされた者は、神に全てを打ち明け、大胆に祈ります。その祈りを神は聞かれると確信をもちます(14、3:21-22)。もし、心に責められる罪があるなら、神に告白し、十字架の血潮を仰ぎ、赦しの確信を頂いて、神に近付き祈りましょう(エペソ3:12)。
  2. 神の最善を知ると、祈りが、信仰的、倫理的、人格的で習慣的な生活となり行動となります(ローマ8:28)。神を愛する者の祈りは、空しくなりません(マタイ7:9-11)。
  3. しかし、自分中心、身勝手、近視眼的、愚かで感情的、非道徳的、本能的、衝動的、非理性的な祈りは聞かれません(ヤコブ4:3)。聞かれる祈りをするためには、私たちには何が最善で、何が益なのか分かりません。ですから、自分の思いや願いに固執し、こだわり続けることなく、神に全てを委ねて祈りをしましょう(5:14、ローマ8:26-27)。神に委ねた祈りのうちに、私たちの願いを祈るうちに、神のみこころを知り、神の喜ばれるみこころに沿った祈りに変えられ、祈りが聞かれるのです。そして、神は、世とは異なる祈りに導き、神を讃える祈り、御名を賛美する祈りに導かれるのです。主も父なる神に委ねたように(マタイ26:39-44)、神に全てを委ねることが、神のみこころを知る秘訣です。

Ⅲ. 執り成しの祈り。

  1. 祈りの確信は、互いに愛し合う者として、執り成しの祈りに導かれます。しかし、その祈りは「死に至ることのない罪」(16)を犯している者のために祈るなら、永遠のいのちを賜ります。「死に至る罪」(16)とは、永遠の滅びに至る罪です(ローマ6:23)。肉体の死のことではありません。神との交わりが永遠に絶たれることです。聖霊を汚す罪と、主の血潮によってきよめられ(1ヨハネ1:7)、神と交わりをした者が、神を拒み、逆らい続ける者のために、「願い求めよ、とは言わない」(17)のです。この罪は神に対する罪ですから、神が裁きます。私たちは勝手に裁かないで、日々十字架の血潮を仰ぎ、魂のために執り成し続けましょう。
  2. 私たちは誰にでも、福音を伝えましょう。伝えても信じないなら、神の憐れみにすがり、祈ることしかできません。執り成しの祈りをしないことは、兄弟姉妹の噂話や陰口よりも、大きな罪ではないでしょうか。パウロは執り成しの祈りを求めました(1テサロニケ5:25、エペソ6:19、ヘブル13:18)。また、モーセの執り成しは民に勝利をもたらしました(出エジプト17:8-13)。
  3. 私たちが心を合わせて祈るとき、神は勝利を与えてくださいます。主の十字架の血潮を大胆に示し、愛し赦せるように祈りましょう。主は執り成しの祈りに導いてくださいます。


教会の各活動


午後は、教会役員会が行われました。


今週~来週の予定


○婦人祈祷会 火曜日(3月8日)10:30~12:00


聖書:使徒行伝3章26節
題:祝福にあずからせる
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:175、206



○聖書研究祈祷会 水曜日(3月9日)19:30~21:00


聖書:使徒行伝6章1-7節
題:教会の組織化
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:264、414、435



○主日礼拝 来週日曜日(3月13日)10:30~12:00


招詞:イザヤ書45章22節
交読文:4  詩篇18篇
聖書:Ⅰヨハネ5章18-21節
題:神から生まれた者と世
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:20、448、354