礼拝メッセージ「信仰と愛と希望に生きる」テサロニケへの第一の手紙1章1~3節
長谷川和雄師
Ⅰ. テサロニケの概要
パウロたちの第2次伝道旅行の時、「マケドニヤに渡ってきて、わたしたちを助けて下さい」との幻を見て(使徒16:9)、ピリピ、テサロニケ、ベレヤ、アテネ、コリントを伝道した時の実です。この書簡の簡潔な挨拶の言葉は、パウロの言葉を神の言葉として受け入れ(2:13)、神とキリストとしっかり結ばれたテサロニケ教会は、彼からも信頼され親しい関係にあることを示し、私たちの望みの中心である主の再臨を待望し、困難な中でも永遠に勝利するのです。
Ⅱ. 絶えない感謝と祈り
- パウロは父なる神と主が与える「恵みと平安」を祈ります。受けるに値しない者に示される神の一方的な愛である主の十字架の救いにおいて、罪人に示されたものが「恵み」です。贖いのみ業により罪を赦され、神との敵対関係が解消され、神との平和が与えられ、魂に「平安」が与えられるのです。
- パウロの祈りと感謝の表現は、「いつも」「すべて」(新改訳)「絶えず」です(参照5:16-18)。主もパウロも、祈りに十分な時を持っていたのです。
Ⅲ. 感謝の内容
パウロがテサロニケ教会のことで感謝する時、思い起したことは、彼らの「信仰・愛・望み」(3)であり、クリスチャンの最も優れた徳性です。パウロは、3つの徳性に具体的な内容を付け加え、信仰には「働き」、愛には「労苦」、望みには「忍耐」と、彼らの信仰が上辺だけではないことを示します。
- 信仰。テサロニケの教会の信仰は生きて働く信仰であり、行動に至る信仰でした。空しい口先の観念だけにとどまる信仰ではなく、み言葉に生きました(ヤコブ2:26、テトス1:16)。神に全く拠り頼む心から神のみこころを求め、示されたなら無理なく従って働きが伴い、祈りを積み主にあって一致の心が生まれます。私たちは日々のデボーションよって、働きの伴った信仰を養いましょう。
- 愛。テサロニケの人々の愛は、労苦を伴う愛であり、喜んで他人の重荷を取り除き、助ける苦労をいといませんでした。笹尾鉄三郎師は、「あなたの動機は愛か欲か」と言いました。主の十字架こそ愛の労苦の結晶です。教会の十字架は単なるシンボルではなく、主の愛を覚え、その愛に生きることを勧めています。自分の楽しみや自分の勢力拡大、目の保養のためにお金や時を用いるのではなく、主に喜んでいただける奉仕や献金は、何と麗しいことでしょうか。
- 希望。彼らの希望には忍耐が伴いました。その忍耐は「主イエス・キリストに対する望み」であり、私たちの内面に練られた品性を生み出し(ローマ5:4)、どんな情況下でも望みを失わずに歩み続ける勇気が与えられます。しかし、私たちの最終的希望は主の再臨です。その時、栄化され、神の怒りから救われ、神のみこころがなされることに目を留めるので、この世に希望を抱かず、主の来臨と未来の栄光の望みに向かって忍耐するのです。よく思われること、偉くなること、得をすることなどは糞土のように思います。しかし、この望みに生きると妨害が起こりやすいのですが、賢い乙女を思い起こしましょう(マタイ25:1-13)。この忍耐の希望は、どんな時代でも有能なクリスチャンのしるしです。テサロニケの教会は、迫害や困難の中にありながら、信仰、愛、望みの実を豊かに結びました。そして、パウロたちはそのことを絶えず思い起し、祈りの度に神への感謝で満たされていたのです。
私たちはしっかりと望みの基である主を仰ぎつつ信仰の歩みを続け、主の十字架を仰ぎつつ、愛の労苦を惜しまずにささげる者とされたいものです。
京都聖会祈祷会の様子 |
教会の各活動
午後は、京都聖会祈祷会が行われました。
今週~来週の予定
○婦人祈祷会 火曜日(4月19日)10:30~12:00
聖書:詩篇30篇5節
題:待つ
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:218、177
○聖書研究祈祷会 水曜日(4月20日)19:30~21:00
聖書:使徒行伝7章17-43節①
題:モーセとイエスの共通点
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:263、371、316
○主日礼拝 来週日曜日(4月24日)10:30~12:00
招詞:ローマ書12章1-2節
交読文:3 詩篇16篇
聖書:第1テサロニケ書1章4-10節
題:模範的な教会
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:21、464、102