礼拝メッセージ「キリストのかおり」コリント人への第二の手紙2章14~15節
長谷川ひさい師
Ⅰ. 主の勝利
- 勝利の凱旋。パウロは当時、ローマの凱旋将軍が戦利品とともに帰還行進する時、民衆は月桂樹や花の枝をかざして出迎え、祭司たちは行列に加わり香炉で香を焚きました。
- かおり。かおりの語源は「ユーオディア」で、「最高・最上のかおり」という意味です。「キリストの香ばしいかおり」とは、主の十字架の死、十字架上で流された血潮を示しています(エペソ5:2)。
Ⅱ. 人間の創造
- 神による創造。創世記1章に、全てのものが神によって創造され、最終の目的である人間が創造されたことが記されています。同志社大学創設者である新島襄は、この神による人間の創造のみ業を知ってから人生が変えられました。私という存在は、神によって創造されたとのみ言葉に立つ時、人間の神の創造の意図や目的を知りますが、自然発生的で偶然の産物と考えると人生は目的も意味もなくなり、全く違う人生観になります。
- 神に愛されている人間。私たちを創造した神は、他人や私たちがどのように言い、感じ、思っても、常に私たちを守り導き(詩篇22:9-10)、憐れみ(詩篇103:13)、私たちを高価で尊い存在として、大切にし、愛してくださる(イザヤ43:4)と、神のラブレターである聖書は記しています。
- 神に背いた人間。神に創造された人間が、サタンの誘惑に負けて神の命令に背き罪を犯し、神との愛の関係を壊し、神を捨て、神から離れてしまい、神は嘆き悲しみ、人間の心を捜し求めました(創世記3:9)。神は人間を愛されますが、罪は嫌いなので罪を見過ごしにされません。罪を裁きますが、人間を救う道を予告しました(創世記3:15)。
Ⅲ. 人間の救い
- 人間を救う道。神は人間の罪を裁くために、神のひとり子の主イエスをこの世に送り、人間の罪の身代わりに裁き、辱め、苦しめ、殴り、鞭打ち、釘で十字架に打ち付け、野ざらしにし、槍で刺し、神に見捨てられました。神は、私たちが当然受けなければならない刑罰を、尊い神のひとり子のイエス様のいのちによって完全に贖われました。私たちの代価は主の命でした。何と大きな愛であり、これ以上の代価は他にありません。主は3日目に死からよみがえり、主の贖いのみ業を信じる者を死の呪いから解放し、永遠のいのちを与えてくださるのです(ヨハネ3:16)。
- キリストのかおり。主の贖いのみ業によって、主の最上の愛の香ばしいかおりが立ち上りました。このことをパウロは「キリストのかおり」と表現し、このかおりは主を救い主と信じ受け入れた人々の内にかおりとなり、救われる者や滅びる者が起こされるのです(15)。何と光栄なことで、責任が問われることでしょうか。私も宣教師や多くのクリスチャンの「キリストのかおり」が、み言葉の証拠となりました。私たちも日々の生活を通して、いつでも「キリストのかおり」とされ、主の愛と希望を満たせるように、主にしっかり繋がり、日々十字架を仰ぎつつ、日々のデボーションを保ち、主に頼りつつ、み言葉に生かされて歩みましょう。
教会の各活動
午後は、会堂大掃除(壮年会、婦人会、青年会合同)が行われました。
今週~来週の予定
○婦人祈祷会 火曜日(6月14日)10:30~12:00
※会堂外壁塗装工事のため休会します
○聖書研究祈祷会 水曜日(6月15日)19:30~21:00
聖書:使徒行伝8章14-25節
題:神のみ前に正しい心
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:450、369、104
○主日礼拝 [父の日] 来週日曜日(19日)10:30~12:00
招詞:申命記6章4-5節
交読文:32 詩篇103篇
聖書:ヘブル書12章1-13節
(中心聖句:12章11節)
題:神の訓練と父の訓練
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:21、303、102