2017/12/10

第2アドベント礼拝「初めに言があった」

第2アドベント礼拝メッセージ「初めに言があった」ヨハネによる福音書1章1~5節


長谷川和雄師


主イエスの誕生を祝うのはなぜでしょうか。言は初めからある神であり、言である主は神であり、命は人々の光であり、この世の暗闇の中に輝く光として、来てくださった救い主であるからです。クリスマスを迎えるにあたり、この救い主を信じ受け入れ、神に会う備えをしましょう。

Ⅰ.言葉は神です(1)…


1) 主は永遠。
  1. 「初め」とは、全ての時よりも前、宇宙が始まる前を指し、主は天地創造時に創造されていません(17:5)。父なる神と共に栄光をもって存在していました(コロ1:16—17)。
  2. 「言があった」。普通「ことば」は「言葉」と書きますが、漢字一文字の「言」を「ことば」と読むのは、主を指す語として用いたからです(1:14)。なぜなら、神は御自身を示す「ことば」として御子を遣わしました。

2)神と共にある方。

「言は神と共にあった」。このことは、
  1. 主イエスは被造物ではなく、創造者であり、神と共におられる方です。
  2. 主は神と共にあり、永遠にある方です。
  3. 主は全ての時間よりも前からある方です。

3)神である主。

「言は神であった」と記し、主は神ご自身だと宣言します(1:14新改訳)。主は被造物の天使や神より劣るものだから、罪を贖うため神から権能を受けた方でなく、主は御父と同質の神で、世の存在前に居た方です。私たちを、神ご自身の血で買い取った神の教会(使徒20:28)に加えてくださり、主が天の窓を開き、真の神を見せてくださるのです。

Ⅱ.創造者の主イエス(2—3)…


この個所は、父なる神と御子は一つであり、万物を主が創造したことを告げ、神は御子を通して、天地創造の働きに係わったのです。ある異端者は、イエスは神の被造物であると主張していますが偽りです。主は万物の創造者です(詩篇148:4—5)。

Ⅲ.いのちと光の源(4—5)…

  1. いのち(4)。主こそが「全ての霊的生命と霊的光の源泉」であり、永遠のいのちです。人は、主から常にいのちを頂いて来ました(詩篇104:29)。主は、創造された全てのものの命の源であり、全ての命は主によって維持されています。御父である神は、御子を通し私たちに永遠の命をくださり、この命によって神と交われます。この与えられた命は光、知性の光を宿しています。この知性の光は、主がくださったもので、この知性の光によって神を知り、神の愛を知って、主の栄光を表すことができます。
  2. 光(5)。光の反対は闇です。闇は悪魔の力、悪、愛の無さ、罪を象徴します。神から見た私たちの世界は闇の世界です。世界の始まりの時、神が創造した世界は完全で、素晴らしいものでしたが、人間が罪を犯し、堕落し、神から離れ、呪いの中に生きるものとなりました。「やみはこれに勝たなかった」。他の訳は、「暗闇は光を理解しなかった」(新共同訳)、「光を受け入れなかった」(詳訳)。相手の考えを理解出来たら勝ったも同然です。「理解する」は「捕える、支配する」ことを意味します。聖書は光と暗闇の関係を示し、人間の知性が閉ざされたことを明確にします。神に背を向けた人間は、与えられた知性の光を暗くし、暗闇の中に閉ざされました。こうして人間は、神を知ることもできなくなり、知性の光によって主の栄光を表せなくなりました。神は、暗闇に閉ざされた人間を救うために、命と光の源である御子を、最も高いところから、最も低い死と暗闇のどん底の、この世に遣わし、命と光をもたらしました。このことを喜ぶのが、クリスマスを祝う意味です。私たちはこの命と光の中にあって、真の霊的生命と光を持ち続けることができるように、命の光である主を信じ、主に依り頼み、真の光の内を歩み輝かせていただきましょう。



教会の各活動


青年学生クリスマス会とCS教師会が行われました。


今週~来週の予定

○婦人祈祷会 火曜日(12月12日)10:30~12:00


聖書:詩篇69篇26節
題:傷と痛み
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:67、38

○聖書研究祈祷会 水曜日(12月13日)19:30~21:00


聖書:使徒行伝21章1~16節
題:エルサレムを目指して
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:88、207、428

○主日歓迎礼拝 来週日曜日(12月17日)10:30~12:00


招詞:イザヤ書60章1-2節
交読文:46  詩篇148篇
聖書:ヨハネの福音書1章9節
題:「クリスマスの光」
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:8、68、73