礼拝メッセージ「救い主である神」
- 聖書: ヨハネの福音書4章39-42節(新約P.184)
- メッセンジャー: 大頭眞一師
(礼拝プログラムはこのメッセージの後、または「続きを表示する」の中に記されています)
【証言する教会】
ヨハネの福音書が書かれた目的は、この福音書の最後のところに記されています。「これらのことについて証しし、これらのことを書いた者は、その弟子である。私たちは、彼の証しが真実であることを知っている。イエスが行われたことは、ほかにもたくさんある。その一つ一つを書き記すなら、世界もその書かれた書物を収められないと、私は思う。」(21:24-25)がそれです。つまり、ヨハネの福音書はイエスが行われたあがないのわざを証しする(証言する)ために書かれたのです。その証言によって世界が救われるために。この証しと同じ言葉が、サマリアの女にも使われています。「さて、その町の多くのサマリア人が、「あの方は、私がしたことをすべて私に話した」と証言した女のことばによって、イエスを信じた。」(39)主イエスは、ご自分からこの女性に語りかけられました。真実に愛し合う関係をだれとも作り出すことができず、もはや自分にも他人にも絶望していたこの女性に。ところが主イエスが語りかけることによって、女はいのちの水を飲みました。主イエスを飲んだのです。そして変えられました。それまでは人目を避けて真昼に水を汲みに来ていたのに、自分から町へ行って、主イエスを証言したのです。まさにヨハネの福音書の目的はこの女性のうちに実現しました。この女性は主イエスを証言する私たち、教会の姿の先取りと見ることができるのです。人々から見下されていたこの人が、証言することばによって多くの人びとが信じたことは、大きな希望です。神さまは私たちを用いることができます。私たちがどんなに小さな、不完全な者であっても、神さまがそうなさるのです。
【いのちの喜びによって】
けれども不思議なことがあります。それはこの女が「あの方は、私がしたことをすべて私に話した」(39)と言っただけで、人びとがイエスを信じたことです。私たちの経験からはあまりありそうにないことです。しかし、人びとはただことばによってのみ動かされたのではありません。彼女のことばはただ情報を伝えたのではありませんでした。そのことばにはいのちの喜びが宿っていました。彼女の様子や表情もまた主イエスが与えたいのちの喜びに満ちていたことでしょう。女の負ってきた罪と痛み、後悔と自暴自棄、それらすべてを主イエスが負ってくださいました。だから女は解放されました。その軽やかな喜びが人びとを動かしたのでした。喜びを意識して作り出すことはできません。その人の内から湧き出るものです。私たちも証しをしなければならないから、証しをするのではありません。主イエスがていねいに、忍耐強く私たちに語りかけ、私たちを解き放つとき、喜びがあふれるのです。ありのままの自分を主イエスに差し出すこと、主イエスが見てくださっているように自分を見ること、主イエスはじっくりとそんな私たちにしてくださいます。すると、証しがあふれます。
【滞在してほしいと】
女の証言によって「信じた」(39)人びとでしたが、その信仰は最初はまだ芽のようなものでした。「それで、サマリア人たちはイエスのところに来て、自分たちのところに滞在してほしいと願った。そこでイエスは、二日間そこに滞在された。」(40)とあります。この二日間、主イエスは彼らの信仰の芽をたいせつに育ててくださいました。いのちの水を飲んだ女を見て、主イエスのところにやってきた人びとですが、彼らに主イエスがいのちの水、ご自分を飲ませてくださったのです。「もう私たちは、あなたが話したことによって信じているのではありません。自分で聞いて、この方が本当に世の救い主だと分かったのです。」(42)は、女を軽んじている言葉ではありません。「あなたが主イエスから飲んだように、私たちも主イエスからいのちの水を飲みました。主イエスを飲みました。この方は私たちも、罪と痛み、後悔や恐れから解き放ってくださいました。このお方を共に喜ぼうではありませんか」、そう言ったのでした。主イエスに滞在して欲しい、と願うことは、主イエスとの愛の交わりに身を置くことです。その愛の交わりが彼らの信仰の芽を成長させたのでした。
【礼拝の中で】
イエスのもとに来たスカルの町の人びとは二日間主イエスとの愛の交わりに身を置きました。主イエスと語り合い、食事を共にしたのです。そうするうちに彼らは主イエスからいのちの水を飲みました。いのちの水である主イエスが、彼らのうちにいのちを作り出してくださったのです。私たちも、今、礼拝の中で、主イエスとの愛の交わりに身を置いています。こうしているうちにも信仰といのちを育てていただいているのです。主イエスはこの礼拝の中で、ご自分を差し出し、私たちにいのちを作り出してくださいます。そして愛を生き、神と共に世界の回復のために働くものとして遣わしてくださるのです。主イエスを証言させてくださるのです。
礼拝プログラム
■教会学校(9:30-10:15)
- 「エリシャ①」列王記第二2:1~15a
■主日礼拝(10:30-11:45)
- 前奏:(奏楽の内に主を待ち望みましょう)
- 招詞:アモス5章24節
- 賛美:10①④⑤
- 交読文:22(口語詩篇第65篇P845)
- 祈祷:
- 主の祈り:新聖歌P.826
- 賛美:350①②
- 信仰告白:使徒信条(新聖歌P.826)
- 聖書:ヨハネの福音書4章39-42節(新約P.184)
- 説教:「救い主である神」大頭眞一牧師
- 賛美献金:358①②④
- 感謝祈祷:
- 頌栄:讃美歌21「27番」(曲は新聖歌63、詞は裏面下に記載)
- 祝祷:大頭牧師
- 報告・祈祷:司会者