2022/12/03

第2アドベント礼拝メッセージ「世に憎まれた神」ヨハネの福音書7章1-13節 大頭眞一牧師 2022/12/04


今日から待降節(アドベンド)第二週を迎えました。先週の「捨てられる神」の次は「世に憎まれた神」!私たちもまた、かつては神をなんとも思わず、神を捨て、神を憎むこともしかねないものであったことが胸を刺します。けれども今や、神を愛する者とされています。クリスマスの奇跡がここにあります。

【仮庵の祭り】

仮庵の祭りはユダヤの三大祭りのひとつ。他は過越の祭り、七週の祭りです。いずれも多くの人びとがエルサレム神殿に上りました。7章8章は、この祭りのときに、主イエスがエルサレム神殿で語られたことを記しています。そもそも仮庵の祭りは、出エジプトを記念する祭り。神はエジプトからイスラエルを解き放ち、四十年の間、荒野でマナを降らせて養いました。仮庵の祭りは、毎年、木の枝などでにわか仕立ての小屋を作り、七日間そこで暮らして、荒野での恵みを、神に感謝したのです。天から下ったいのちのパンである主イエス。その主イエスにまことにふさわしい祭りということができると思います。

【兄弟たちもイエスを信じていなかった】

ところが主イエスは「わたしの時はまだ来ていません。」(6b)と言います。これは兄弟たち、つまりヨセフとマリアから生まれた弟たちが、「ここを去ってユダヤに行きなさい。…自分で公の場に出ることを願いながら、隠れて事を行う人はいません。このようなことを行うのなら、自分を世に示しなさい。」(3b,4)と言ったことへの返事です。

「兄弟たちもイエスを信じていなかったのである。」(5)とありますから、兄弟たちはイエスの使命を応援したのではありません。彼らもまた、イエスが天から下った神であることを信じていません。「地元ではなくエルサレムに行って、頭を冷やしてきたら」と言ったのです。主イエスの言葉やわざも彼らには響いていないのです。世界で最初のクリスマスがごく少数の人びとによって祝われたことを思い起こします。今も、ほんとうのクリスマスを祝う者たちは少数です。私たちは、その中に加えられているのです!

【わたしの時はまだ来ていません】

「しかし、兄弟たちが祭りに上って行った後で、イエスご自身も、表立ってではなく、いわば内密に上って行かれた。」(10)とあります。「わたしはこの祭りに上って行きません。」(8b)と言っておきながら、上って行ったのは奇妙です。けれども何度か申し上げてきたように、ここにもヨハネの二階建ての構造があります。

一階では、実際にエルサレムに行くか、行かないかという会話がかわされています。けれども二階では、「イエスは神であるかどうか」が問題になっているのです。一方には「ユダヤ人たちがイエスを殺そうとしていた」(1b)とあるようにイエスを憎む者たちがいます。イエスがご自分を「天から下ったパンである神」と宣言したことがゆるせなかったのです。兄弟たちも同じように信じることができませんでした。だからほんとうの主イエスは人びとには明らかにされていないのです。公になっていないのです。ヨハネが「いわば内密に」と記すのは、このためです。「わたしの時はまだ来ていません。しかし、あなたがたの時はいつでも用意ができています。」(6)ともあります。このとき人びとは「主イエスは神ではない」と主張します。けれどもそれは現代でも同じです。ほとんどの人は主イエスが神であることは信じないのです。では「わたしの時」と主イエスが言う「主イエスの時」はいつくるのでしょうか。いつかわからない未来なのでしょうか。

ヨハネは13章に「その時」を記します。「さて、過越の祭りの前のこと、イエスは、この世を去って父のみもとに行く、ご自分の時が来たことを知っておられた。そして、世にいるご自分の者たちを愛してきたイエスは、彼らを最後まで愛された。」(13:1)。出エジプトのときに小羊が屠られた過越。主イエスはご自分の十字架の死と復活が「その時」、隠されていた神としての栄光が輝く時、だと言うのです。私たちを最後まで愛することが神の栄光だったのです。それは、当時の、そして、現代の人びとの想像を絶する愛なのです。

【世に憎まれた神】

主イエスは神。世に憎まれた神。「世はあなたがたを憎むことができないが、わたしのことは憎んでいます。わたしが世について、その行いが悪いことを証ししているからです。」(7)。主イエスがご自身を神だとさえ言わなければ、憎まれることはありませんでした。けれども、それでは世界は救われなかったのです。「世の行いが悪い」とあります。それは主イエスが神であることを受け入れなかったこと。主イエスはそんな悪い、ご自分を憎む世にご自分を与えました。世にいのちを与えるために。私たちは、その主イエスの血とみからだにあずかります。そのことを思いつつ、聖餐に与りましょう。


   (礼拝プログラムはこの後、または「続きを読む」の中に記されています)


 礼拝プログラム

■教会学校(9:30-10:15)

  • 「すべての人を照らす光」ヨハネの福音書1:1~5、9~1

■主日礼拝(10:30-11:45)

  • 前奏:(奏楽の内に主を待ち望みましょう)
  • 招詞:詩篇24篇7節
  • 賛美:67①⑤
  • 交読文:36 詩篇116篇(新聖歌 P.857)
  • 牧会祈祷:大頭眞一牧師
  • 主の祈り:新聖歌 P.826
  • 賛美:69①②
  • 信仰告白:使徒信条(新聖歌 P.826)
  • 聖書:ヨハネの福音書7章1-13節(新約 P.192)
  • 説教:「世に憎まれた神」大頭眞一牧師 ※信愛より
  • 聖餐:
  • 賛美・献金:330①②
  • 感謝祈祷:
  • 頌栄:讃美歌21「27番」(曲は新聖歌63)
  • 祝祷:大頭眞一牧師
  • カテキズム:(左上に掲載)大頭眞一牧師 と 報告:(裏面に掲載)司会者
  • 祈祷: