先週は信愛で青年祝福の祈り、今週は明野で新成人と青年の祝福の祈りのときを持ちます。高度成長期には、明日は今日よりよくなるという空気があったように思います。それに比べて、今の青年たちはかわいそう、という声も聞かれます。加えてコロナがあり戦争があるこの時代の闇は深いようにも思えます。けれども、今日も主イエスの御声は響きます。「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持ちます。」(12bc)と。
【いのちの光である神】
ご自分を「世の光」と語ったイエスにパリサイ人たちが異を唱えます。「あなたは自分で自分のことを証ししています。だから、あなたの証しは真実ではありません。」(13b)と。無理もありません。もし私たちの前に「自分は救い主だ」と名乗る人が現れたなら、どれだけ疑っても疑いすぎることはありません。
そんな彼らに主イエスは答えます。「わたしは自分がどこから来たのか、また、どこへ行くのかを知っているのですから。」(14c)、また、「わたしは自分について証しする者です。またわたしを遣わした父が、わたしについて証ししておられます。」(18)とも。主イエスは父のみもとから来られました。そして十字架と復活を経て、父のみもとに帰っていかれます。主イエスはその意味をよくご存じでした。それは神の大きな物語のゴールのため。天地創造から、世界のあがない、そして、やがて成就するすべての回復という大きな物語のためです。世界には破れがあります。神と人の関係が破れ、人と人との関係が破れ、人と被造物の関係が破れています。その破れをつくろうために、神であるイエスがこの世にきてくださいました。
「あなたがたは肉によってさばきますが、わたしはだれもさばきません。たとえ、わたしがさばくとしても、わたしのさばきは真実です。わたしは一人ではなく、わたしとわたしを遣わした父がさばくからです。」(15-16)は先週の箇所と呼応するところ。姦淫の女性を痛み、その罪と痛みを子である主イエスが負う。それが父と子のさばき。父なる神と子なる神は、心をひとつに「生きろ」と女性にいのちを注ぎました。今日の箇所でも「わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持ちます。」(12c)と同じ御声が響いています。
【いのちの光となる私たち】
みなさん、ウクライナの戦争には心を痛めておられることでしょう。私たちにはロシアとNATOの対立のように見えるのですが、少し調べてみると、問題は複雑です。ロシアとウクライナの長い痛々しい歴史が関係しています。コロナ禍への対応もまた複雑です。コロナをとどめることと経済との兼ね合いがとても難しい。現代の複雑な問題には、はっきりとしたわかりやすい正解がないことがほとんどです。そこで問われるのは私たちの生き方です。正解がないことにいら立ち、自分と反対の意見を持つ人々を悪と断じるなら、社会の分断は加速されていきます。一方で私たちが、思考停止しないで、意見の異なる人びとと共に、複雑な問題に取り組むことも可能です。先週、ある教会員の方からメールをいただきました。新年のご挨拶とともに「対話を深め共通の議論の土壌を耕す勇気と努力の向こうに、神様の導きが見えてくるのでは」と記されていました。私はこのメールを読んでほんとうにその通りだと思いました。単純ではない複雑な現実は、忍耐強い対話を必要とします。自分とは異なる意見を持つ相手と話し合い続けるには勇気と努力が必要です。その人たちは敵ではなく神さまに愛されている傷ついた人びと。だから私たちは、神さまに期待して対話の土壌を耕し続ける。すぐに道が開かれなくても、コツコツと対話の備えを続けていく、そうするときに闇は明けていくのだと思うのです。問題は、私たちのそんな努力をなにが、いえ、だれが、支えてくれるのか、です。
【いのちの光である神】
「わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持ちます。」(12c)とあります。私たちを支えるのはイエス。光である主イエスは招かれます。「わたしについて来なさい。わたしがあなたがたに光を注ぎ続ける。だから、あなたがたは決して闇に吞み込まれることはない。わたしがそうさせない。あなたがたは闇の中に光を照らし続ける。仲間と共に。そして夜明けを早めることができる」と。ただ今から聖餐に与ります。光であるお方が卓主である光の食卓にようこそ。
礼拝プログラム
■教会学校(9:30-10:15)
- 「神の子として」ヨハネの手紙第一5:1~5
■主日礼拝(10:30-11:45)
- 前奏:(奏楽の内に主を待ち望みましょう)
- 招詞:イザヤ章60章2節
- 賛美:4①②
- 交読文:42 詩篇130篇(新聖歌 P.861)
- 牧会祈祷:大頭眞一牧師
- 主の祈り:新聖歌 P.826
- 賛美:242①③
- 信仰告白:使徒信条(新聖歌 P.826)
- 聖書:ヨハネの福音書8章12-20節(新約 P.195)
- 説教:「いのちの光である神」大頭眞一牧師 ※明野より
- 聖餐:(心を合わせて加わりましょう)
- 賛美・献金:300①②④
- 感謝祈祷:(明野)
- 頌栄:讃美歌21「27番」(曲は新聖歌63)
- 「父・子・聖霊の ひとりの主よ 栄えと力は ただ主にあれ とこしえまで アーメン」
- 祝祷:大頭眞一牧師
- カテキズム(左上に掲載):司会者 と 報告:(裏面に掲載)司会者
- 祈祷:司会者